記事一覧
島をくちずさむ~ジュスにまつわる随想~ 【特別編】 笹子重治 & ゲレン大嶋による曲目解説
30年来の「飲み友達」のゲレンさんと初めて一緒に音楽を作ることになった経緯については、ゲレンさんの詳細な文章(ジュスnote『島を口ずさむ~ジュスにまつわる随想~第4話、第5話』参照)に書かれてあるとおりなのだが、今回曲を作るに当たって、多分ゲレンさんと僕は「逆のこと」を考えていたのだと思う。
即ち、ゲレンさんは、ショーロクラブやコーコーヤなどでの僕のサウンド、「洋楽色」の濃いメロディをイ
島をくちずさむ ~ジュスにまつわる随想~ゲレン大嶋 【第7話】 そして巨匠名嘉睦稔さんとのコラボレーション
お待たせしました。再び名嘉睦稔さんの登場です。私とボクネンさんの出会いについては第2話に書きました。ボクネンさんは沖縄の自然や文化をコアなモチーフとする版画家で、見る者の心を瞬時に奪う鮮やかでパワフルな画面からは、歓喜、悲嘆、過去、未来、神秘といったさまざまな要素を含む、言葉にならない豊かな物語があふれ出してきます。一方、ボクネンさんは唄三線の名手でもあり、その場で即興の詞を作って歌うフリーなスタ
もっとみる島をくちずさむ ~ジュスにまつわる随想~ゲレン大嶋 【第5話】 笹子重治+ゲレン大嶋というソングライティング・チームの誕生
思えばココムジカの始まりもそうでした。すでに長年の飲み友達だった梶原順さんの「ゲレン、そろそろ何か一緒にやらない?」という魔法の言葉を受け、私はおそらく1週間もかからずしてココムジカの1stアルバムに収録した曲のほとんどを生み出したと記憶しています。そして今回も。「歌ものでもやりましょうか?」という笹子さんのミラクルな一言は、私にとってとてつもなく大きなインスピレーションとなったのです。こうなった
もっとみる島をくちずさむ ~ジュスにまつわる随想~ゲレン大嶋 【第4話】 2021年春 「歌ものでもやりませんか?」
1993年夏の沖縄での出会いからしばらくは時々顔を合わせるくらいのお付き合いだった笹子さんと私ですが、1999年には私もアーティストとしてデビューをし、さらにたまたま同じ沿線の住民となった2002年以降は一緒にお酒を飲む機会も増え、親交を深めていきました。とはいえ笹子さんは、ショーロクラブ、さまざまな歌手たちとのコラボレーション、コーコーヤなどで、超がつくほどの多忙ぶり。一方の私もTINGARAや
もっとみる島をくちずさむ ~ジュスにまつわる随想~ゲレン大嶋 【第3話】 2005年 チュラマナ結成時 宮良牧子さんとの出会い
2004年のアルバムを最後にTINGARAを脱退した私に、レコード会社のディレクターが電話をくれました。「ゲレン、山内雄喜さんは知ってるよね?一緒にユニットやらない?」とのこと。日本におけるハワイアン・スラック・キー・ギターの第一人者、アラニさんこと山内雄喜さんとはすでに面識もあったしプレイも大好きだったので、もちろん「やります!」と即答しました。フロントは私にとって初めましての二人で、フラの名手
もっとみる島をくちずさむ ~ジュスにまつわる随想~ゲレン大嶋 【第2話】 1996年夏 東京 ボクネンさんとの出会い
これもまだサラリーマンだった頃のお話。勤めていたFM局にイベントの依頼があり、クライアントが南の島が好きだという情報を得た私は、いそいそと、沖縄のアートや音楽を東京で感じようという、文字通り趣味と実益を兼ねたフェスを企画しました。メインに据えたのは名嘉睦稔さんの版画展。作品に惹かれてはいたもののまだ面識がなかったボクネンさんとは、この仕事で知り合うことになったのです。イベント開催に先がけてご本人に
もっとみる島をくちずさむ ~ジュスにまつわる随想~ゲレン大嶋 【第1話】 1993年夏 沖縄 笹子さんとの出会い
三線を手にして数年が過ぎた頃、東京のFM局に勤める駆け出しのサラリーマンだった私は、仕事を通じてネーネーズのみなさんと知り合っていました。新宿で打ち上げをした時、古謝美佐子さんが「沖縄に来たら店に寄ってくださいね」と声をかけてくださったこともあり、それからほどなくして島を訪れた私は、胸を躍らせてお店のある沖縄市へと向かったのです。コザの中心地から少し離れた所にある古いビルに辛うじてしがみ付いている
もっとみる