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島をくちずさむ ~ジュスにまつわる随想~ゲレン大嶋 【第2話】 1996年夏 東京 ボクネンさんとの出会い

これもまだサラリーマンだった頃のお話。勤めていたFM局にイベントの依頼があり、クライアントが南の島が好きだという情報を得た私は、いそいそと、沖縄のアートや音楽を東京で感じようという、文字通り趣味と実益を兼ねたフェスを企画しました。メインに据えたのは名嘉睦稔さんの版画展。作品に惹かれてはいたもののまだ面識がなかったボクネンさんとは、この仕事で知り合うことになったのです。イベント開催に先がけてご本人にご挨拶するため、東京でのご自身の展覧会に来場していたボクネンさんを訪ねると、そのまま飲みに行くことに。そこで「大嶋さんは三線を弾くらしいね。ちょっとやってみてください」などと言われ、沖縄料理店でもないのになぜか置いてあった三線を手に「海ぬちんぼーらー」と「唐船どーい」のメドレーをやるとボクネンさんは大笑いして「こんなゲレンが東京にいたとは!今日から大嶋さんはゲレン大嶋と名乗りなさい!」とのたまうのです。すると沖縄から一緒に来ていたスタッフの方がいさめるような顔つきでボクネンさんを見ながら、「大嶋さん、ちゃんと意味を確認した方がいいですよ」とおっしゃる。聞けばゲレンは沖縄の古い言葉で「大馬鹿者」ないし、もっと悪い意味らしい。しかしボクネンさんはそのスタッフの方に「何を言ってる!馬鹿も一番下まで行くとくるっと回って一番上に上がるんだぞ!」などとニヤニヤしながら言っている。なんだか怪しい。しかし、すでにボクネンさんの作品とキャラクターに魅了されていた私は、この名前をありがたく頂戴し、名乗っていくことにしたのです。そしてその3年後、私はTINGARAというユニットの三線プレイヤー、ゲレン大嶋としてデビューし、ボクネンさんのアートと私たちの音楽とのコラボレーションを行ったり、展覧会のお手伝いをしたりしながら、この敬愛する版画家との親交を深めていきました。あ、「うんうん、それはわかったけど、なぜここでボクネンさんの話なの?」ってなりますよね。はい。実はボクネンさん、ジュスにも大きな力を貸してくれているのです。この続きはまた今度。


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