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人との違いを楽しむには、まずは自分らしさを自分で信じてあげる

流れに身を任せて、起きたことに抗わず。
ただ、味わうような感覚でいると。

さまざまな感情や考えすぎてしまうことも、
その流れの中で。

今の自分そのままを少しずつ、
受け止めやすくなる気がします。

私なりのペースで、少しずつ行動を広げ。

素直であろうとしながら、人との関係に歩み寄りをしたり。

自分の気持ちを大事にする土壌を耕して、
自分で自分を励まし、頑張ってます。

一歩ずつでも頑張ってる。

そんな自分の底力と、
私らしさが今は好きです。

だから、もう大丈夫と自分を信じています。

無理をして人に好かれようとも
思わなくなりました。

ただ、人が持っている意見や
気持ちは丁寧に聞いてみたい。

そして、私の意見や気持ちを
聞きたいと望んでくれる人に対しては、
心を開いて丁寧に伝えたい。

人それぞれの違いが面白いから。
疑問を持つことから、
理解に繋がるんじゃないか。

それをもっと、味わってみたい。
そんな気持ちが出てきました。

だからこそ、私という存在の違いを、
楽しんで大事にしようと思います。

それぞれの人には、その経験や背景に
基づいて築き上げた大切な
価値観があるかもしれません。

外側に見える行動は、自分とは違ったり
全くわからないと思ったとしても。

「どうしてそうするのか」と、
その価値観について、ただ知りたいと。
興味を持って質問し合えたなら。

それは違いに対して判断をつけて
枠にいれて自分のフィルターで
見るのではなくて。

同じ人間として、仲間として
歩み寄る姿勢であり、違いを知る
面白さに繋がるかもしれません。

私自身は、多様なこの社会の中で。

自分の心を大事にし、
人の気持ちも大事にしながら。

素直で自由に心を開いた質問と、
意見を知るための
キャッチボールがしたいです。

今の私が求めているものです。

求めているものが合えば、近づいたり。
違えば離れていくことが起きるのは、
自然な流れなのかもしれません。

起きたことは変わらず、他者も変えられない。
でも自分の捉え方は自由に変えられると
教わりました。

その教えはずっと信じています。

だからこそ、流れに抗って、
人に何かを過剰に期待することは
執着だとも思います。

俯瞰した見方を大切に、
でも気持ちに対しては、抗わず。

今はただ、両方そのままを受け止めてます。

*********

人に認めてもらえる役割。
信じてもらおうと求める気持ち。
大切な人の支え。
自分で自分を認められる能力。

一つ一つは、喜びのエッセンスであり、
かけがえのないものです。

ただ、自分の自尊心を、
そうした何かに頼りすぎるのではなく。

自分の穴のように思える未熟な弱さこそ
ゆっくりでも満たしていく。

それが自分がただ在ることの中に、
芯となる軸を持つことになるような
気がしてます。

私そのものさえ、
自分で自分をどう捉えているかも、
その時々で変化があります。

その芯となる軸は、
自分をただ信じる心なのかもしれませんが、
私にはまだ、その感覚が
よくわからないことがあります。

でも、不思議なもので、
自分の土壌を育てていくと少しずつ、
子どもたちへの信頼も安定していきます。

今までどこか心の底にあった
「大丈夫かな」
という心配が少しずつ減っています。

子どもたちもきっと任せてほしかった。
というよりは、自分の力を
信頼して欲しいのかもしれません。

彼らは彼らで、もともと持っているものが、
すでに素晴らしいから。

私はその育ちを邪魔しないくらいの塩梅で。

子どもに大丈夫かな?と思うのは、
私の心の中にある、心配の種が
ただ疼いているだけなのです。

何かがあれば、一緒に考えてみる。
仲間として、横並びのような感覚で。

彼らの意見を聞いてみて、
違うことを話しながら相談したい。

私は、私の自尊心を自分で満たし、
自分で幸せを感じていることで、
その位置に立てる気がしてます。

みんな、誰しもの中に弱さはあって、
それは自分の中で大事にすればいいこと。

無理にさらけ出す事もなければ、
成長を急ぐ事もないけれど。

隠さないといけないと思う程ではないくらい、
自分で受けとめてさえいれば。

自分の心を少しずつ満たしながら、
楽に私らしく居られる。
そういう私として、一生懸命に生きたい。

失ったように感じた力の一部が
戻ってくるような感覚もあります。

自分に愛情やエネルギーを
注いであげられるって、
こんなに大事なことなのだと。

それをしみじみ感じてます。

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