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「本当」の現代文…共通テスト 2021年 評論詳解

(※一般には総評しか出回っていない、本年実施の共通テストの中で、特に難易度が高かった🈩評論の真相です。多くの倒錯した解析が世に浸透する前に、また、著作権益的に最初に真相し得た証としてここに掲載します。ブログの設定上、横書きで読み辛い点に付きましては、ご容赦の程、御願い致します。)

共通テスト 2021年 評論詳解

 フィクションとしての妖怪、とりわけ娯楽の対象としての妖怪は、いかなる歴史的背景のもとで生まれてきたのか。(中略)

 妖怪はそもそも、日常的理解を超えた不可思議な現象に意味を与えようとする民族的な心意から生まれたものであった。人間はつねに、経験に裏打ちされた日常的な原因❘結果の了解に基づいて目の前に生起する現象を認識し、未来を予見し、さまざまな行動を決定している。ところが時たま、そうした日常的な因果了解では説明がつかない現象に遭遇する。それは通常の認識や予見を無効化するため、人間の心に不安と恐怖を喚起する。このようないわば意味論的な危機に対して、それをなんとか意味の体系のなかに回収するために生み出された文化的装置が「妖怪」だった。それは人間が秩序ある意味のなかで生きていくうえでの必要性から生み出されたものであり、それゆえに切実なリアリティをともなっていた。民間伝承としての妖怪とは、そうした存在だったのである。

 妖怪が意味論的な危機から生み出されるものであるかぎり、そしてそれゆえにリアリティを帯びた存在であるかぎり、それをフィクションとして楽しもうという感覚は生まれえない。フィクションとしての妖怪という領域が成立するには、妖怪に対する認識が根本的に変容することが必要なのである。(中略)

 妖怪に対する認識の変容を記述し分析するうえで、本書ではフランスの哲学者ミシェル・フーコーの「アルケオロジー」の手法を援用することにしたい。

 アルケオロジーとは、通常「考古学」と訳される言葉であるが、フーコーの言うアルケオロジーは、思考や認識を可能にしている知の枠組みー「エピステーメー」(ギリシャ語で「知」の意味)の変容として歴史を描き出す試みのことである。人間が事物のあいだにある秩序を認識し、それにしたがって思考する際に、われわれは決して認識に先立って「客観的に」存在する事物の秩序そのものに触れるわけではない。事物のあいだになんらかの関係性をうち立てるある一つの枠組みを通して、はじめて事物に対する認識や思考が、時間を隔てることで大きく変容してしまうのだ。(中略)

本書では、このアルケオロジーという方法を踏まえて、日本の妖怪観の変化について記述することにしたい。それは妖怪観の変容を「物」「言葉」「記号」「人間」の布置の再構成として記述する試みである。この方法は、同時代に存在する一見関係のないさまざまな文化事象を、同じ世界認識の平面上にあるものとしてとらえることを可能にする。これによって日本の妖怪観の変容を、大きな文化史的変動のなかで考えることができるだろう。

 では、ここで本書の議論を先取りして、アルケオロジー的方法によって再構成した日本の妖怪観の変容について簡単に述べておこう。

                  (中略)

 妖怪は、伝承や説話といった「言葉」の世界、意味の世界から切り離され、名前や視覚的形象によって弁別される「表象」となっていった。それはまさに、現代で言うところの「キャラクター」であった。そしてキャラクターとなった妖怪は完全にリアリティを喪失し、フィクショナルな存在として人間の娯楽の題材へと化していった。妖怪は「表象」という人工物へと作り変えられたことによって、人間の手で自由自在にコントロールされるものとなったのである。こうした妖怪の「表象」化は、人間の支配力が世界のあらゆる局面、あらゆる「物」に及ぶようになったことの帰結である。かつて神霊が占めていたその位置を、いまや人間が占めるようになったのである。

 

問2「民間伝承としての妖怪」とは、どのような存在か。その説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

①人間の理解を超えた不可思議な現象に意味を与え日常世界のなかに導き入れる存在。

②通常の認識や予見が無効となる現象をフィクションの領域においてとらえなおす存在。

③目の前の出来事から予測される未来への不安を意味の体系のなかで認識させる存在。

④日常的な因果関係にもとづく意味の体系のリアリティを改めて人間に気づかせる存在。

⑤通常の因果関係の理解では説明のできない意味論的な危機を人間の心に生み出す存在。

 

問3「アルケオロジー的方法」とは、どのような方法か。その説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

①ある時代の文化的事象のなかにある関係性を理解し、その理解にもとづいて考古学の方法に倣い、その時代の事物の客観的な秩序を復元して描き出す方法。

②事象のあいだにある秩序を認識し思考することを可能にしている知の枠組みをとらえ、その枠組みが時代とともに変化するさまを記述する方法。

③さまざまな文化的事象を「物」「言葉」「記号」「人間」という要素ごとに分類して整理し直すことで、知の枠組みの変容を描き出す方法。

④通常区別されているさまざまな文化事象を同じ認識の平面上でとらえることで、ある時代の文化的特徴を社会的な背景を踏まえて分析し記述する方法。

⑤一見関係のないさまざまな歴史的事象を「物」「言葉」「記号」そして「人間」の関係性に即して結合し、大きな世界史的変動として描き出す方法。

問4「妖怪の『表象』化」とは、どういうことか。その説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

①妖怪が、人工的に作り出されるようになり、神霊による警告を伝える役割を失って、人間が人間を戒めるための道具になったということ。

②妖怪が、神霊の働きを告げる記号から、人間が約束事のなかで作り出す記号になり、架空の存在として楽しむ対象になったということ。

③妖怪が、伝承や認識といった言葉の世界の存在ではなく視覚的な形象になったことによって、人間世界に実在するかのように感じられるようになったということ。

④妖怪が、人間の手で自由自在に作り出されるものになり、人間の力が世界のあらゆる局面や物に及ぶきっかけになったということ。

⑤妖怪が、神霊からの警告を伝える記号から人間がコントロールする人工的な記号になり、人間の性質を戯画的に形象化した娯楽の題材になったということ。




〈問2 詳解〉

 およそ全ての論述(文章)がそうである通り、こちらの文章も、見事な対比の文章になっています。かつて、実在する存在と考えられていた「妖怪」が、以後、「ゲゲゲの鬼太郎」に見られるように、人間が作り出した架空(フィクション)上の存在となっていったという点が、本文の要点です。ただ、これだけでは全ての選択肢の判別には至りませんが、まず、この対比内容そのものを、明確に分別できていなければ、各設問で正解にたどり着くことは、到底、不可能です。

 A(以前)→「現象」(→実在)        ←恐怖 ←回収(解消)

 B(近世)→「表象」「フィクション」  ←娯楽

 この対比関係を活用した間違いの選択肢が②です。傍線部の「民間伝承としての妖怪」は「現象」、すなわち、実在する存在としてのA 妖怪です。これを真逆の B内容にすり替えて、非実在の存在である「フィクション」としたのが②です。こちらの方は、多くの方が見抜けたのではないでしょうか。

 これに較べ、やや判断に難ずるのが、③④です。③は「予測される」、④は「因果関係にもとづく」が誤りです。そして、これらの選択肢が注目した内容は、「民間伝承」の中で伝えられた妖怪が、「不可思議な」「説明がつかない」現象に対する解釈であった点です。何ものが引き起こした現象かわからないものを、当時の人たちは「妖怪」の仕業として恐れていたのです。「説明がつかない」わけですから、当然、「予測」もつきません。また、「因果関係」を明らかにすることも不可能でしょうから、因果関係に「もとづく」解釈も叶わないでしょう。③④は、近世以前の妖怪「伝承」が対象としていた「現象」が、どのようなものであったかという状態にまで入り込んで、逆の内容に変換した間違いの選択肢です。この着眼点を選択肢上から抽出すると、以下のようになります。


①人間の理解を超えた不可思議な現象に意味を与え日常世界のなかに導き入れる存在。
②通常の認識や予見が無効となる現象をフィクションの領域においてとらえなおす存在。
③目の前の出来事から予測される未来への不安を意味の体系のなかで認識させる存在。
④日常的な因果関係にもとづく意味の体系のリアリティを改めて人間に気づかせる存在。
⑤通常の因果関係の理解では説明のできない意味論的な危機を人間の心に生み出す存在。

 ①②⑤では、妖怪の仕業として恐れられていた現象の不可解さを、①「不可思議」、②「認識~無効」、⑤「因果関係~説明のできない」と、何れも正しい解釈を施しています。共通テストに限らず、間違いの要素は基本、選択肢中の平易な表現の中に、ごく微小な単位、すなわち、単語に凝縮して混入されます。厳密を期して言うなら、③は「される」、④は「もとづく」と、何れも平仮名書きの単語に間違いが仕込まれています。

 最も判別が難しく、よって、多くの受験生が選んだ、あるいは、最後まで正解の候補から除外し得なかったであろう間違いの選択肢が、⑤です。近世以降の「妖怪」が「娯楽」の対象と化し、「恐怖」や「不安」を喚起し得ないものとなったこととの比較で、多くの受験生が、近世以前の「妖怪」を、単に「恐怖」や「不安」を抱かせるものとして捉えたのではないでしょうか。ここで盲点となっているのが、「回収」という言葉で示された内容です。不可解な事象に対する「恐怖」や「不安」をそのままに、日々の暮らしを営むには問題があります。私たちは、自身の理解が及ばないものを、そのまま放置することを嫌います。当時の妖怪「伝承」は、私たちの日々の暮らしを苛む不可解な現象に対する、ある一定の答え、すなわち、「恐怖」や「不安」を解消するための手っ取り早い解釈だったのです。当時の人々は、不可解な現象を「妖怪」の仕業とすることで、「恐怖」や「不安」を払拭・解消していたのです。この点が、⑤によれば、「危機(=恐怖)」を「生み出す」と、「恐怖」や「不安」の払拭以前の状態に止まっています。結果、⑤は本文中、「回収」という言葉で示された本文の内容のになってしまいます。現実感覚に基づいた精緻な解釈を求めた、実に高尚なレベルの間違いの選択肢です。




〈問3 詳解〉

 「アルケオロジー的方法」。一般に馴染みのない言葉ですが、本文中に「考古学」とあります。考古学的な現象の理解の仕方が「アルケオロジー的方法」ということだと理解します。まずは、見慣れない、聞き慣れない言葉に対して、過度に恐怖心を抱かないことです。大学入試現代文において、言葉に対する認知の多寡が、直接、正答率を左右することはありません。難解な語句も、どこかで言い換えられる、あるいは、説明されているため、初見の言葉に関しても、本文上で必ず処理し得るのが科目としての現代文の基本性質です。語彙力そのものの高低が直に響くのは、日本語の使い手として未成熟な幼少年代のことであり、入試の範疇で言うなら、中学入試に当たる年代に限られます。

 問題は、この「アルケオロジー的方法」の中身です。これを本文の中で抽出する力が必要になります。本文中の「関係性をうち立てる」が、これに当たります。「関係性をうち立てる」ということですから、歴史上のひとつの事象を単独にではなく、他の様々な事象と関連付けながら考察する態度でしょう。この点をつかむことができたなら、③の「要素ごとに分類」が、逆の内容であることを判別できます。選択肢の言い回しに揃えるならば、「アルケオロジー的方法」の下では、様々な事象が「分類」されることなく、相互に関連付けられながら、総合的に考察されるはずです。

 ④⑤は前後のすり替えで作成された間違いの選択肢です。但し、これらに関しては、選択肢の内容に相当する「さまざまな文化事象を、同じ世界認識の平面上にあるものとしてとらえること」を「アルケオロジー的方法」が「可能にする」ということと、「アルケオロジー的方法」に「よって」、「大きな文化史的変動のなかで考える」ことができるようになるということを押さえる必要があります。これら着目した叙述の中で大切なのは、「可能にする」と、「よって」という言葉ですが、それ以上に、ここで示されている内容と、「アルケオロジー的方法」そのものの内容との相違を読み取ることです。「アルケオロジー的方法」が「可能にする」のが「さまざまな文化事象を、同じ世界認識の平面上にあるものとしてとらえること」ですから、「さまざまな文化事象を、同じ世界認識の平面上にあるものとしてとらえること」は、「アルケオロジー的方法」である様々な歴史上の事象を関連付けたに可能になることなのです。思えば、事象そのものを関連付けることで、はじめて、それらを「同じ」「平面上」で捉えることが可能になるのでしょう。④が示す、「さまざまな文化事象を、同じ世界認識の平面上にあるものとしてとらえること」は、「アルケオロジー的方法」によって事象を関連付けた後のことなのです。

 同様に、この「さまざまな文化事象を、同じ世界認識の平面上にあるものとしてとらえること」に「よって」可能になるのが、⑤が言うところの、特定の事象を「大きな文化史(=世界史)的変動のなかで考える」ことですから、「大きな文化史的変動のなかで考える」ことも、「アルケオロジー的方法」によるによる事象の関連付けので為し得ることなのです。時系列的に前後関係を整理すると、事象相互を関連付ける(=「アルケオロジー的方法」)→「さまざまな文化事象を、同じ世界認識の平面上にあるものとしてとらえる」→「大きな文化史(=世界史)的変動のなかで考える」、という前後関係が成り立っているのです。事象や行動の前後のすり替えが、間違いの選択肢作成の常套パターンであることを意識し、本文上で、傍線部の内容の前後に派生する内容を分別し得ていなければ、看破し得ない、実に高難度の間違いの選択肢です。

 これら以上に難しいのが、①でしょう。「客観的な秩序を復元」が誤りです。結果、本文の逆の内容となっているのですが、非常に難解な間違いの選択肢です。まず、本文上で、「客観的」な「秩序」に「触れるわけではない」と、事象間に明らかな「秩序」が、言い換えれば、毅然とした因果関係が成立しているわけではないとされていることを読み取ります。考えてみれば、当たり前のことかも知れません。歴史上の出来事相互の関係性など、後の時代に生きる者からすれば、推定・推察の域に過ぎないでしょう。著者は本文の中で、「アルケオロジー的方法」を、事実として客観的に立証し得ない事象相互の関係性を推定する主観的な営みとして捉えているのです。これが、①が言うように、「客観的な秩序」を「復元」するとなると、元々、事象相互の関係性が明らかなものであることになるのに併せて、「アルケオロジー的方法」が客観的な営みであることになってしまうのです。




〈問4 詳解〉

 今一度、基本の対比を思い出しましょう。

 A(以前)→「現象」(→実在)        ←恐怖 ←回収(解消)

 B(近世)→「表象」「フィクション」  ←娯楽

 B「表象」とA「現象」は、言葉そのものとしては似ていますが、本文では真逆の内容として扱われています。「表象」は、「フィクション」「人工物」として作り上げられた「キャラクター」に相当します。事実である「現象」に、真っ向から相反する内容です。この点を利用したのが、③の「実在」です。「表象」が「フィクション」、すなわち、B 非現実 であるところを、真逆の A 現実 にすり替えた間違いの選択肢です。

 ①は本文上で示された、「フィクション」に対する人々の感情的反応である「娯楽」を逆の内容変換した間違いの選択肢です。「娯楽」を「ゲゲゲの鬼太郎」の如く、人為的に作られた「フィクション」の中の存在に対する、人々の感情反応として明確化すると、遊び、楽しむ、というプラス感情として割り切ることができます。これを真逆のマイナス心情に変換して、「戒め(る)」としたところが、①の誤りです。

 ⑤は主体のすり替えで作成された、間違いの選択肢です。「人間~を~形象化した」の「人間」が誤りです。妖怪は不可解な「現象」を形象化したものです。この「現象」は人間が出会う事象であり、人間を主体として措定すると、その対象となります。⑤は主体を対象にすり替えた間違いの選択肢であり、人間の行動や事物の作用(動き)を媒介に、主体と対象を明確に区別する思考によって、はじめて見破ることができる間違いの選択肢作成パターンです。また、その手口は、現代文に限らす、広く英語や社会科系科目においても用いられています。

 難しいのが、④でしょう。傍線部直後の「人間の支配力が世界のあらゆる局面、あらゆる『物』に及ぶようになった」という叙述と、その直後の「帰結」という言葉に注目します。問3の④⑤と同様、こちらも時系列的な前後関係を利用した、前後のすり替えの間違いの選択肢です。問3の④⑤の判別において、注目した本文上の言葉が因果関係を形成する「可能にする」と「よって」でしたが、こちらの④に関しても、同様に「帰結」という言葉が、傍線部と、選択肢で抽出された「人間の(支配)力が世界のあらゆる局面(や)、あらゆる『物』に及ぶようになった」の因果関係を示しています。つまり、「人間の(支配)力が世界のあらゆる局面(や)、あらゆる『物』に及ぶようになった」のは、妖怪が「フィクション」の中の存在として、「表象化」される前のことなのです。これに反して、④では、この「人間の(支配)力が世界のあらゆる局面(や)、あらゆる『物』に及ぶようになった」ことは、「妖怪の表象化」を「きっかけ」としていると、つまり、「人間の(支配)力が世界のあらゆる局面(や)、あらゆる『物』に及ぶようになった」のが、「妖怪の表象化」の後のこととされているのです。現実的にも、「妖怪」などという、特定の領域において、何らかの変化が生じたのは、人間の文化水準の向上、すなわち、「人間の力が世界のあらゆる局面や物に及ぶ」ようになった後のことでしょう。単に言葉のみを機械的に目と手で負う表層的な読解や、内容そのものを直に示さない方向指示器同然の接続語などに注目する記号処理的なスタンスでは、これらの事象の前後関係を読み取ることは不可能でしょう。

 



 思考力重視の共通テストという前評判からすると、随分と肩透かし的な平易な出題が為されていたというのが、大方の見方のようですが、そんなことは断じてありません。少なくとも、現代文に関しては、共通一次・センター試験を通じて培われた高尚、且つ、精緻な、いわば高値安定の設問設定が為されており、難易度において、従来のセンター試験と何ら変わるところはなかったのです。間違いの選択肢についても、従来通り、毅然とした基準で作成され、整合性を担保し得ていました。それは「書いてないから」などという表面的な基準で正誤を分けるものなどでは断じてありません。圧倒的な正解と、圧倒的な間違い。正に白と黒。間違いの選択肢は、間接的な示唆や、明言するまでもない周知の事実なども含めて、本文で示されている内容と、何かしらの点で逆の内容になっているのです。そして、この真相に関しては、現状の多くの塾、予備校の手の及ぶところにから遠く隔たったところにあるのです。

                                                                   現代文・小論文講師  松岡拓美

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