【自伝小説】私の人生

2【社会人1~2年】いきなり家主

ここまで私の学生の時の話を書いていただけだったので簡単な紹介をさせて頂きたいと思います。

私は4人家族の長男として産まれた。

部活でバレーボールをしており、テレビゲームが好き。

弟は5つ下。
父は会社員で年収800万ほど。
母はパートをしていた。

私個人としては平均的な家庭だったと思う。

しかし私の高校受験あたり金銭的に厳しくなり始めた。

母親の強い勧めで私立受験のみを許された私は、私立高校に入学する。
「お前は頭が悪いのだから面倒みがいい私立に行きなさい。親の言うことがきけないなら自分で働いて効率なり就職なりしなさい」と言われた後に続けて「お金のことは気にするな。子どもが心配することではない、子どものクセに調子にのるな」と言われたが、お金がなくなれば、1つ前に書かせてもらった通りの状況となるわけである。

そして大学生4年生の3月頃に話が戻る。
就職が決まり大学の卒業も見えてきて、私自身も家を出ようと思い、家を探しているときである。

「やっぱり頼れるのはお前だけだお前だけがまともだ」

と母親に言われた。そして母親は家を出たのである。

働いていない父親が家のローンを払っているはずもなく自己破産という形で家を手離す形になったのだ。

当時父親は無職、弟は学生、となれば私が家を借りてそこに父親と弟が住むことになるのは当然の流れであろう。

しかし私が就いた仕事は介護の仕事。手取りで月12万ほどである。

なので父親にもお願いをしてバイトでも何でもいいから働いて、家賃は折半してほしいとお願いしたのである。

弟は高校に上がっていてバイトもしていたが、自分の為にお金を使って欲しかったので私と父でどうにかしたかったのだ。
父は「わかった。」と返事をしてくれた。
そうして家賃5万6千円のアパートを借りての生活が始まる。

約束とは何か、家族とは何かを考えさせられる厳しい時間が始まったのである。

そして職場の都合で免許が必要だった私は、仕事の終わりに教習所に行かなければならなかった。
当然お金もかかるが仕事の都合なので嫌とは言えない。

加えて、父から家賃が払われることは一度もなかった。
というより仕事を探してすらいないのである。

余談だが保険金が解約になったか何かで100万円ほど入っていたらしいが、全て父のお金として使ってしまったそうだ。

この1年半の暮らしは実に厳しかった。
電気が止まることもあった。洗濯機を買うお金もなく夜な夜なコインランドリーで洗濯をして帰る、時間は深夜の0時、何故かそんな深夜に大の男2人が喧嘩をしているのである。理由はコンビニの新作のおにぎりは黙って弟が食べてしまったからだそうだ。

私は介護の仕事でシフト制で夜勤もあった為、朝早いときもありこの深夜の喧嘩が起こる度に気がおかしくなりそうであった。

何度も夜は静かにしてほしい、おにぎりを買うお金があるのなら家に入れてほしいとお願いしたが、願いが叶えられることはなかった。

何故私1人が働いているのだろう?

何故あの人たちは働かないのだろう?

家族は困ったときに助け合うものではなかったのだろうか?

私は何に困っているんだろう?

私は死ぬまで父と弟の面倒をみないと行けないのだろうか?

あの2人はいつ自立するんだろうか?

次第にこんな気持ちが芽生えだんだんと大きくなっていく。

家にいたくない、帰りたくないそんな思いで仕事を遅くまでしていたが「新人なんだから帰りなー」「早く帰れるの今だけだよ」と優しく声をかけて下さる先輩たちになんとも言えず、「早く仕事を覚えたいので」と残っていた。

飲みに誘われることもあったがお金がないので断っていた。

ここでも私は演じていたのである。ニコニコ笑顔で、仕事を頑張っている新人を。

「あなたはいつもニコニコしていて何も考えてないんだろうね!私は色んなことを考えなくちゃいけないから大変!」と言ってきた先輩がいたがこんな嫌みも気にならなかった。

家にいるよりはましだったから。

そして私の感情が爆発しそうになり私はついに考えてはいけないことを考えてしまった。

私は家族を殺そうと計画したのだ。

先ず結果からいうと、イメージしただけで何も実行はしていない。

相談した友人にこう言われたからである。

「何故何も悪くないお前が手を汚す必要があるのか?お前の家族が死ぬのは勝手だが、何も悪くないお前が死ぬのも違う。お前の命だから好きにすればいいけど、どうしても死にたくなったらその前に飲みに行くぞ」

と私は私のことを想ってくれている友人がいたことで少し気持ちが軽くなった。そしてあの家を出る決意をしたのである。

家族を殺すか、私が死ぬかの2択しかないほどに私の精神はまいっていたが、3つ目の選択肢があったことに私は喜んだ。
そして同時にそんな簡単なことにも気づかないほど余裕がなかったんだと気づいた。

4月に私は家族にこう告げた。

7月にボーナスをもらったら1人で暮らす。

この家は解約するから自分達で家を探すか、今から働いて名義を更新するか考えてと。

親には「お前に1人暮らしはできない。電気も止まっていることがあるし、ご飯や洗濯など1人でしないといけない」と。
そもそも電気に関しては書類を何故か父が止めていたこと。払ってほしいお金を家に入れてくれなかったことが原因である。

炊事家事も特に手伝ってもらった記憶がなく、何をいってるんだろうこの人と思ったことを私は忘れない。
そして月日がたち7月になる。
ここまで一切動きを見せなかった父が不安になり退去日は大家さんと家の確認をするから家を出るように伝えた。

そして退去日3日前。

私は新居が決まっていた。ロフトのついているアパートでエアコンがついていたのである!!(今までアパートにはエアコンはなかった)
家賃も3万9千円と安くなり、何で早くこうしなかったんだろう!と浮かれていた。
そして家に戻ると、父も弟も何もしていないのである。
私の部屋以外は生活感が溢れており、梱包もされていない。
あと3日ということを伝えるが「どうしようかねー」と返ってくる始末であった。

私は友達に相談し軽トラで他の部屋の荷物を全て出し、母親に連絡をして戻ってきてもらったのだ。

母親には本当に申し訳ないと思ったが、正直こうでもしないと、父も弟も出ることができないため最終手段だった。

私が梱包している間も「それは優しく入れて」「それは下に入れないで」と私は引っ越し業者じゃないし、そもそも自分の荷物は自分でやってくれと何度も怒りそうになったが怒っている時間すらもったいなかった。

自販機で1人飲み物を飲みながら「進んでる?」と言ってきたときは「お前の親どうなってんの?」と怒り気味だったのは言うまでもない。

そうして何とか退去日を迎え、鍵も返却し念願の独り暮らしを叶えられたのである。

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