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小山田圭吾(コーネリアス)の仕事を全まとめ! FantasmaやPoint、Mellow Waves解説など

ここで腹から声出して、小山田圭吾のソロプロジェクト「Cornelius」について愛を叫びます。マジ覚悟しといて。鼓膜とかもう爆破させるから。なんか、本当はもっと早く記事を書きたかったのだけれど、あまりに萎縮しすぎて、エンターキーを押せなかったのだ。あんなに軽いのに、精神的には6トン超えてた。子どものインド象3頭分だ。とても人差し指で押せない。

私は心底、彼の音楽を愛している。死刑台で「好きな音楽は?」と問われても言える。「へー、バンドやってんだー、好きなアーティスト教えてー」と尋ねられたら食い気味に「コーネリアス」と答えている。「(好きなアーティ)コーネリアス……っ!」くらいのスピード感。もうなんか語気で相手の眉間に風穴を空けるレベルの勢いで答える。空けたこともある。私はこの世のミュージシャンでCorneliusを最も聴いている。

いつどこでCorneliusを知ったのか

コーネリアスを初めて知った時のことは、なんとなく覚えていて、中3の5月だった。体育祭の練習で、応援団の演舞に合わせて「表が赤、裏が白地」のボードをひっくり返す……みたいな、遠目で見たら人文字的にメッセージが浮かびますよ、みたいな、そんな練習をすることになった。

あまりの暑さと退屈さにサボって教室に戻ると、底抜けに明るい北米出身のALT・ジェシー先生が来て「ナニシテルノ!練習シナキャホラ!」と急かすわけだ。「体調が悪い」と嘘をつくと「ウーン、ソレハ仕方ナイネェ」と理解してくれて「部活ハ!部活ハナニヤッテルノ?」と一気に距離を縮めてきた。精神的パーソナルスペースにマラカス振りながら踏み込んできたわけだ。

帰宅部だがバンドをやっていることを伝えると「スゴイジャーン! ドンナ音楽ナノ?ロケンロー、ポップス?」止めちゃ食いついてきた。「スゴイジャーン!」がもうロックフジヤマのマーティ・フリードマンだった。

その後はなんか適当な会話をしていて、最後に「先生はどんな音楽が好き?」と聞くと「アー、ソウネェ。ワタシはCornelius Group カナー」と答えた。「Cornelius Group」だけケイン・コスギの「パーフェッバリィ(Perfect Body)」で、発音良すぎて聞き取れず「ん?なんて?」と聞き返すしかなかった。

泣ける映像じゃないのに泣けた

それがCorneliusというアーティストだと知って、ノートにメモった。今だったらその場でスマホで視聴!なのだろうが、当時はガラケー最盛期で、しかも持ち込み禁止だったので、ノートの切れ端を大切に制服のポケットにしまったのを覚えている。

ほんでルンルンで家に帰って、メモを見ながら「Cornelius」とYouTubeで調べると「ULTIMATE SENSUOUS SYNCHRONIZED SHOW」のオープニング映像が出てきた。

最初に聴いたのは曲じゃなかったのだ。トリッキーなことにライブのオープニングから入ったのである。

これがもうとんでもなかった! 今見てもとんでもないが、当時は何も知らない中3だ。そのスマートさが衝撃すぎて「ホゲゲー!」と叫んでは、鳥肌が立ちまくっていた。つまめるくらい立ってた。

感動のあまり震える指で関連動画の「Fit Song」のライブ映像を押した。

「あぁ、無駄がない音楽ってかっこいいなぁ」と頭では冷静に考えつつも、口では「だっひょーん!」と発しつつ、9連続で開脚後転を決めた。もうなんかアドレナリンが出過ぎて、脳の各所が乖離し始めたのだろう。思考と筋肉がまるで合っておらず、次第に泣けてきてポロポロ涙をこぼし、小山田のギターをを聴く頃には「な、なんじゃこりゃ」と独言し、思考が完全に止まり「きしーんきしーん」と呟きつつ、冷蔵庫まで歩き、チーズとニシンを取り出して「きしーんきしーん」とニシンにチーズを巻きつけながら、ブブゼラのように吹きつつ「テーハミング!日本チャチャチャ!」と勝手に日刊友好曲を作り、興奮のあまり完全に服を脱ぎ捨てて、頭から柔軟剤をかぶってコサックダンスを踊りながら「僕はこんにゃくになりたい!僕はこんにゃくになりたい!」と叫んでいた。

……とまぁ、流石に後半は盛ったが「ホゲゲー!」とか「だひょーん!」と叫んだのは本当だ。オープニングを聴いた瞬間に「あ、バンドってこんなに遊んでいいんだ」と思えたことをはっきりと覚えている。「ずっとエイトビート叩かなくてもいいんだ」とか「こんな変なタイミングで音を鳴らしてもいいんだ」と。まさに音楽の解釈が2Dから3Dに変わった瞬間だった。

特にその頃から、音楽を聴くことが楽しくなり、大好きになったのである。

実験し続けるCorneliusの軌跡

Corneliusの何がすごいって、実験し続ける姿勢がすごい。もうホントころころ作風が変わる。いまだ挑戦を続ける彼の仕事を勝手にまとめるのはしのびないが、軌跡として書いてみよう。

フリッパーズ・ギター時代

Corneliusは独立する前、小沢健二とフリッパーズ・ギターというユニットを組んでいた。1989年にデビュー、とてもセンセーショナルなメロディやオケで今聴いてもおしゃれな曲だ。当時、小山田圭吾はまだ20歳だった。音楽雑誌だけでなくファッション雑誌に広告を出すことでファッションアイコンとしてもものすごく人気になった。

また超若かったこともあって、ものすごいビッグマウスだった。今インタビューをみてもびっくりするくらい態度が大きい。それがカリスマ性に拍車をかけたのではないか。

当時はジャズやテクノを駆使した洒落たポップス、というイメージだが、決してそれだけでなく効果音的なサンプリングも使っていたし、重めのギターサウンドも特徴の1つだった。ノイジーなギターはなんなら今でもよく弾いているイメージだ。

特にフリッパーズ・ギターの解散直前に出したアルバム「DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-」は1997年以降の小山田圭吾を思わせる実験的なアルバムであり、未だにものすごく高い評価を得ている。とにかくキレッキレのアルバムで、聴いていて思わず「やってんな!」とにやけてしまう。

ソロプロジェクト「Cornelius」がスタート

1991年にはフリッパーズ・ギターが解散。しかしその音楽性は非常にさまざまなミュージシャンに引き継がれた。ピチカート・ファイヴやbridge、Buffalo Daughterら「渋谷系」の先駆けとなったともいわれる。ただし個人的には渋谷系のサウンドはかなり幅が広く、それぞれに違いがある。ただ当時は横のつながりがものすごく強く、後年まで頻繁にコラボレーションをしていた。それで一括りにされたのではないか、という印象がある。

同年からソロプロジェクト「Cornelius」として作品を作りはじめる。渋谷系の代表格としても大きな影響力を持って認知された。

1枚目が1993年のシングル「THE SUN IS MY ENEMY 太陽は僕の敵」。私なんかがいうと「おい陰キャ外出ろ」と言われそうだが、小山田圭吾が言うとおしゃれに見える。誰もが聴いたことのある有名なイントロなのではないか。

このアルバムからは自身が1992年に立ち上げた「トラットリア」というレーベルでリリースしている。

1993年にはへへいへーい♪で有名な「Perfect Rainbow」をリリース。やはりホーンセクションを多用した渋谷系の豪華で華やかなサウンドが残っている。

前作に引き続き、どこか南国チックなパーカッションが気持ちいい。サビのマイナーコードが心地いい。 このころのシングルはポップスを突き詰めている感じだ。

1994年には「(YOU CAN'T ALWAYS GET)WHAT YOU WANT」をリリース。

そして同年、これらのシングルが収録された「THE FIRST QUESTION AWARD」をリリースした。レコード版はこの作品で小山田圭吾はオリコン4位まで上り詰める。特に「Love Parade」という曲が好きで、当時のわたしはチャリ漕ぎながら聴いていた。コーラスは野宮真貴。ちなみに収録曲の「DIAMOND BOSSA」でパーカッションを叩いているのは巡礼で有名なASA-CHANGこと朝倉さん。

このアルバムについては後年小山田圭吾本人が「CorneliusではイチバンJ-POP的なアルバム」と評している。作家としての自己表現というよりは渋谷系としてのリスナーに寄り添ったアルバムだった。

同年にシングル「Moon Light Story」をリリース。

ここまでCDで連続して音源を出してきたが、小山田圭吾はここからカセットやレコードでのリリースを続ける。1994年には「Moon Walk」をカセットでリリース。変形した拡声器を持って歌っていた。

1995年には名アルバム「69/96」をリリース。この曲でもASA-CHANGがドラムとして参加、また当時プロデュースをしていたカヒミカリィも参加している。

この翌年には「96/69」というセルフリミックス盤を出しており、この試みがおもしろい。「96/69」には渋谷系をはじめ、錚々たるアーティストが参加。石野卓球、岡村靖幸、スチャダラパー、砂原良徳、中原昌也、hideなどがいる。特にVolunteer Ape manは石野卓球と中原昌也という強キャラがそれぞれ異なるアプローチで編曲しており、その違いを聴くのが楽しい。

さて、1997年にはとても興味深い試みをした。「STAR FRUIT」と「SURF RIDER」の2枚同時リリースだ。この2枚、実はプラナリアみたいな曲で、もともと同じ曲なのだ。つまり(当時はプレーヤーもないので)別々のコンポで同時に流してはじめて完成するのである。両曲は後日合体してcorneliusの代表曲になる。

FANTASMAのリリース

同年「Fantasma」を発売。日本語訳すると「幽霊」となるこの曲はそれまでのcorneliusの音楽とは大きく違って、より実験的なサンプリングを重ねた1枚だ。とにかく騒がしくておもちゃ箱をひっくり返したようなサウンドが楽しい。

このアルバムからアメリカでもリリースを始めたこともあり、世界中に小山田圭吾の名前が知れ渡った。実は最初は海外の小さなライブハウスだったという。それまで武道館でしていたのに、急に小規模なライブハウスで映像も流せなくて困ったこともあるらしい。

FANTASMAはそれまでの渋谷系のポップスはほとんどなりを潜め、サンプリングを主体にしたおもしろおかしさに溢れている。愉快でちょっと奇妙なアルバムだ。小山田圭吾自身も「情報量が多い」と自評している。

人気なのは今でもライブでの定番曲となっている「Monkey」Count five or six」か。個人的には(ちょっとずるいが)ボーナストラックの「Typewrite Lesson」が大好き。女性の声は2000年に小山田圭吾と結婚することになる嶺川貴子。嶺川はカヒミカリィとユニットを組んでたりしていた。今でも活動を続けている歌手だ。

この辺りからCorneliusは制作期間に入り、自身がリミックスしたり、されたり。既存曲を変形させたアルバムをたくさん出すようになる。小西康陽が「Count five or six」をリミックスしたり。

逆に電気グルーヴの「ガリガリ君」をcorneliusがリミックスしたり。この時期にリミックスをこなすことで平面ではなく、レイヤーや音の隙間を駆使したを重ねた空間的な作曲の方法を確立していく。間が気持ちいい曲はCorneliusの代名詞になってゆく。

POINTのリリース

2002年に久しぶりのオリジナルアルバム「POINT」をリリース。その名の通りDAWのセルが点々と置かれたような曲で、まさに必要最低限の音で構成されたアルバムだ。Corneliusの音楽の特徴を形づけた一枚といってもいいだろう。

「FANTASMAのような情報量の多い音楽はもう終わった」「CDのセールスは1998年がピークだった」「30歳になり父親になった」などの激動の時期であり、Corneliusとしてリセットをするためにも出したとてもミニマルデザインなアルバムだそうだ。ただし小山田自身はこの曲を「ポップス」だと捉えている。しかしマーケティングをしているわけではなく「誰に聴いて欲しいかは(昔から)考えていない。マーケットのことは考えない」と明言している。

またこの時期から「間を意識するようになった」ともいっている。MIDIをはじめ、音楽制作ソフトにおいて音をバーで可視化できるようになった時期だった。視覚情報的に音を捉えることで空間を作るよつになったそうだ。

toeのドラマー・柏倉隆が「最高のドラム」と形容した「Point of view point」は本当に聴いていて気持ちがいい。アメリカではシングルカットで発売された。

また個人的には最近「Another view point」が好きで聴いている。この曲のライブverは特におもしろいのだが、おそらく日本でやると訴えられる。聞きたいのは別として、私として実は作りたいのはこういう曲だ。

Pointをリリースしたのちに2002年に「Drop」をリリースするのだが、そのあとはパタリと制作が止まってしまう。この間にDropのMVが賞を取るなど、音楽外の分野でも認められていた。

SENSUOUSのリリース

沈黙を破ったのはPOINTから4年後の2006年。「Sensuous」をリリースした。個人的な話をすると、高校1年生の私が最初に出会ったアルバムがこれで、思い出補正のせいかいまだにマイベストはこの1枚だ。それまでのアルバムは小西康陽をはじめ、共作者がいるパターンばかりだったが「Sensuous」は作詞作曲編曲と、ほぼほぼ小山田圭吾が手がけているのも特徴だ。

先述した「Fit song」のほかにもおもしろい曲がたくさんある。例えば「Toner」はコピー機の音をサンプリングしている。そこにピアノの音を足すことで可愛らしくてキャッチーな曲に聴こえる。まるでコピー機が意思を持って動いているような感覚に陥る曲だ。

「Sensuous」のリリース後、次にアルバムを出すのは実に10年後となる。その間にリミックスアルバム「CM4」を発表。野宮真貴やIf By Yesなど仲良しの面々だけでなく、Maia Hirasawaや相対性理論など新たなアーティストのリミックスもしている。ちなみに相対性理論の「QKMAC」は彼女らのアルバム「正しい相対性理論」にも収録されている。原曲はミスパラレルワールド。

ただ、なかでもCM4での傑作といえば「赤とんぼ」だ。「ぃゆぅやぁけこやぁけぇぇの、あかとぉんんんぼぉぅぅ」と、三波春夫の声がいつもより雄弁に聞こえる。いつものCorneliusのリミックスとは毛色が違うので「こんな引き出しも持っているのか」と驚いた覚えがある。

またこのころからNHK教育の「デザインあ」がスタート。小山田圭吾がすべての挿入歌の作曲をしていた。さらにいうとこの間「salyu×salyu」「青葉市子」などのプロデュースをしていた。salyu×salyuは小林武史がプロデュースしたSalyuという歌の天才の実像をバァーンと破壊し、新たな局面、より奥行きを見せた姿を作り上げた。またYMOの系譜を汲むスター集団・METAFIVEを結成。裏方に表に忙しそうな時期。

そうそうMETAFIVEに加入したころにCornelius groupのベースが清水ひろたかから大野由美子に変わったことで、コーラスに女声が入って奥行きが出たように思う。あらき・清水の夫婦リズム隊も素晴らしかったが、長年の盟友Buffalo daughter・大野さんはものすごくすんなり馴染んでいて驚いた。

Mellow Wavesのリリース

2017年に10年ぶりのアルバム「Mellow Waves」をリリース。POINTの間をたっぷり使ったキレの良いトラックではなく、SENSUOUSの自然音を取り入れた静かでクリアなサウンドでもない。断続的に流れるようなサウンドが特徴で、タイトルの通り、サウンドが波打っている曲が多く、特に1曲目の「あなたがいるなら」はイントロから左右のパン振りがえげつなく、MVも相まってどこか深海で漂っているような心地になる。

再始動してからもアメリカでのリリースは続いており、この辺りから半分くらい拠点が海外に移った印象だ。ライブ映像も海外のものが多い。その感覚を表すかのように2018年にリリースしセルフプロデュースアルバム「Ripple Waves」には海外でのライブ音源が多く出ている。2018年には六本木の「Audio architectureー音のアーキテクチャ展ー」のテーマ「Audio Architecture」を書き下ろした。この展示では音を視覚で見るような体験ができ、映像作家さんの作品ももちろん実験的で楽しかった。また、楽曲のDAWデータを見ることもでき、それはそれは貴重な体験だったように思う。詳しくは以下の記事から。

音のアーキテクチャ展

この2枚のリリースごろから、以前にも増してライブの本数も増えていく。各地の音楽フェスが増えていた時期だったし、新しく実験的なインドア・アウトドアフェスもあったことが、背景にあるのだろう。福岡のCIRCLEという野外フェスにて小雨のなか、大トリを飾っていたのを思い出す。

Corneliusは映像も素晴らしいのです

「Drop」が2003年のResFestでオーディエンス賞を受賞したのは先述した。もちろんその他のミュージックビデオも本当に素晴らしい。ライブでは映像をバックで同時に流しているのだが、音とムービーがしっかり同期しているのだ。これはどこかのインタビューで小山田圭吾自身が語っていたのだが動きと音がシンクロナイズする表現技法は「特撮映画」「トムとジェリー」「ディズニー映画」などからもインスパイアを受けているそうだ。

2019年にオーケストラがトムとジェリーの効果音を付ける様子を生で見たことがあった。動画は海外のものだが、2019年に日本でも全く同じことをしてくれて「その楽しさ、快感は何で起きるんだろう」と今でも思っている。トムとジェリーしかり、ミッキーマウスしかり、生でやってたんだからこれはすごいコトだ。Corneliusのライブにも同じような楽しさがある。

Corneliusの今後のスクラップアンドビルドが楽しみ

先述したが、小山田圭吾の曲は進化を続けているのがすごいなぁとしみじみ思う。

特にFANTASMA以降の作品はポップスの檻から抜け出しており、誰もが「おっ?」と思っただろう。FANTASMAではもう思わずウキウキしてしまうようなパーティソングがあって、POINTで間の気持ちいいワビサビのような感覚の曲があって、SENSUOUSでは美しく静音が際立つような曲が存在していて、Mellow Wavesでは波のような漂流するようなサウンドがあって、年々変化を続けている。これはなかなかできないことだ。

彼は今年で52歳。これからも実験的で新鮮な音楽が聴けると思うと、嬉しくて新譜が待ちきれない今日このごろが、もう10年以上も続いている。

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