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日本アニメ史を全まとめ|1917年〜2000年までの流れを代表作で振り返る

皆さんはいつからアニメを観はじめただろう。またテレビでどのアニメを観て育っただろうか。こんな質問が当たり前にできるくらい、日本では「アニメ」という文化が育ってきたんですよね。

「今や日本のアニメは世界のものだ」。アメリカ人がワンピースのアニメを観て「オゥ…ノゥノゥノゥ! オォ……オーマイガァ……ッ」と頭を抱える様子を観たりするとそう思います。

もともとディズニーに憧れて生まれた日本のアニメを、今やアメリカ人が夢中になって観ている。すごいことだな、としみじみ嬉しくなっちゃいますよホント。

では、そんな世界に誇る日本のアニメーションは、いつ生まれどのように変化したのだろう。今回は日本で初めて国産アニメが上映された1917年から、1990年代後半までのアニメの歴史を紹介します。

さまざまなアニメーターたちが紡いだアニメ史をどうぞご覧くださいまし。

戦前・戦中のアニメ


・芋川椋三玄関番の巻
・塙凹内名刀之巻
・猿蟹合戦
・赤垣源蔵徳利の別れ
・塩原多助
・ジラフの首はなぜ長い
・馬具田城の盗賊
・鯨
・くもとちゅうりっぷ
・桃太郎の海鷺
・桃太郎 海の神兵

日本で初めて国産アニメが作られたのは1917年です。なんと3人がほぼ同時に制作した。下川凹天が「芋川椋三玄関番の巻」、幸内純一が「塙凹内名刀之巻」、北山清太郎が「猿蟹合戦」をつくるんですね。

この3人はもともと漫画家、洋画家として評価されていた人間で、そのころディズニーの影響を受けつつ設立された配給会社がスカウトをしたのである。なかでも北山清太郎は日本で初めてのアニメスタジオ・北山映画製作所を設立した。

このほかにも、山本早苗は主に教育アニメを担当し国のPRアニメなどが作られる。また村田安司は撮影用のカメラをアップデートし、動きのタイミングもさらに質を高めた。

なかでも日本のアニメーターで最初に世界に飛び立ったのは、幸内純一の弟子・大藤信郎だ。大天才です。彼は折り紙(千代紙)を駆使してアニメを作り、日本の空気を存分に生かして画期的なアニメを作った。

大藤信郎の作品はカンヌ映画祭、短編部門で第2位になっている。この功績から、後年になって毎日映画コンクールには「大藤賞」が制定されることになる。

また戦争に入ると、海軍の依頼によって日本の軍国制度を讃える作品ができる。「桃太郎の海鷺」「桃太郎 海の神兵」などができた。しかし反面「くもとちゅうりっぷ」をはじめ、規制された作品もあった。手塚治虫はくもとちゅうりっぷを見て、感動のあまり涙を流したらしい。また同じ映画館に松本零士もいたのは有名な話です。

ディズニーオタクだった手塚治虫は「日本のアニメもすごいんだ」と自覚したんですね。

1945年〜1950年代のアニメ

・桜(春の幻想)
・王様のしっぽ
・白蛇伝
・少年猿飛佐助

終戦後、わずか2ヶ月で山本早苗や村田安司をはじめとするアニメーターが集められ、新日本動画社を設立する。なぜベンチャー企業並みのスピードで立ち上がったのか。それはGHQによる占領政策を進めるうえで、ディズニーアニメのようなメディアを作らせることが重要だったから。アメリカ文化を植え付けようとしていたんですね。

新日本動画社からは、あらゆる作品がリリースされる。しかしどれもGHQが期待する内容には届かず「いや、もう無理やん」とマッカーサーは匙を投げることになる。

そんななか民間から「東映動画」が発足。彼らは「東洋のディズニー」を目指した。東映動画はディズニーを徹底的に模倣。アメリカのディズニー社を視察して「分業制」を導入。各パートを分けることで、制作効率を上げた。

そんな東映動画の1作目が「白蛇伝」である。この時代にして、ちょっとえげつないクオリティの作品が出たのだ。

そのあまりに滑らかな動きは日本に衝撃を与え、ここからアニメーター志望が増えていく。宮崎駿もその1人だったんです。

1960年代のアニメ

・西遊記
・ある街角の物語
・鉄腕アトム
・鉄人28号
・仙人部落
・エイトマン
・狼少年ケン
・ジャングル大帝
・おそ松くん
・魔法使いサリー
・リボンの騎士
・おばけのQ太郎
・ゲゲゲの鬼太郎
・巨人の星
・サイボーグ009
・怪物くん
・ひみつのアッコちゃん
・サスケ
・忍風カムイ外伝
・タイガーマスク
・サザエさん
・ハクション大魔王
・ムーミン
・アタックNo.1
・長靴をはいた猫

1960年に入って手塚治虫がアニメ制作に乗り出す。もともとディズニーオタクであり、日本のアニメにも感動していた手塚がアニメを作るのは自然な流れだった。

そのデビュー作が「西遊記」。この作品でベネチア国際映画祭特別賞を受賞します。その後、手塚治虫は自身の会社・虫プロダクションのアニメ部門を立ち上げ、1963年からはじめての毎週30分アニメ「鉄腕アトム」が放映開始。なんと平均視聴率は約30%。週一で紅白やってたようなものだ。立派な国民的アニメになったわけです。

このとき手塚は1秒間に24コマのフルアニメではなく、作画枚数を大幅に少なくしてコストを削減した「リミテッドアニメ」という手法で効率的に作品を生み出した。この発明によって、日本では毎週放送のアニメが次々に生まれる。

このヒットに注目して制作会社のTCJ(のちのエイケン)が、横山光輝原作の「鉄人28号」を放送開始した。また東洋のディズニー・東映動画も黙っちゃいない。「狼少年ケン」を放送開始。しかし両者とも鉄腕アトムには追いつけなかった。

アトムは1964年にカラーアニメを1話だけ放送。この話が40.3%の視聴率を叩き出したのを見て、虫プロは初の完全カラーアニメ「ジャングル大帝」の放送を開始する。音楽・冨田勲のオープニング映像が凄まじくかっこいい。ちなみに後年、ディズニーはライオンキングでこの作品をパク……ごほごほ。

こうして日本ではカラーのテレビアニメが主流となり、1960年代後半から今でも語り継がれる作品が出てくる。この頃の主人公は「アウトサイダー」なのが主流。星飛雄馬、タイガーマスク、島村ジョーなどの2枚目キャラがウケにウケたんですね。

また劇場アニメでは東映動画の「太陽の王子 ホルスの大冒険」が封切り。今作では監督・高畑勲、原画・宮崎駿という、のちにジブリを設立する2人がタッグを組んだ。

1970年代のアニメ

・マジンガーZ
・グレートマジンガー
・勇者ライディーン
・超電磁ロボ・コンバトラー
・昆虫物語 みなしごハッチ
・科学忍者隊ガッチャマン
・タイムボカン
・タイムボカン ヤッターマン
・新造人間キャシャーン
・あしたのジョー
・ドラえもん
・魔法のマコちゃん
・エースをねらえ!
・キューティーハニー
・キャンディ・キャンディ
・ベルサイユのばら
・ルパン三世
・ルパン三世 カリオストロの城
・アルプスの少女ハイジ
・フランダースの犬
・母をたずねて三千里
・あらいぐまラスカル
・マンガ日本昔ばなし
・一休さん
・宇宙戦艦ヤマト
・宇宙海賊キャプテンハーロック
・銀河鉄道999
・機動戦士ガンダム

1970年からは高度経済成長期に入ったこともあり、アニメ業界が冬の時代に突入した。というのも、アニメーターの給料は高まったが、制作予算自体は変わらなかったのだ。各制作会社が経営危機に入る。

各家庭において父親が残業、付き合いなどで家に帰るのが遅くなるのもこの辺りからだ。これによって、父親が独占していたテレビの主導権が子どもに移り、学校でアニメの話をすることも増えていく。

また1972年には「テレビリモコン」が生まれた。これによって、放送終了を待たずしてチャンネルを変えることが可能になる。より、アニメ番組の質が問われることになった。

そんななか、まず男子に流行ったのが「乗り込みロボットもの」だった。日本最初のロボットアニメは鉄人28号だが、これはリモコン操作型のロボット。これが「マジンガーZ」から乗り込み型になる。主人公のフィジカルがロボと一体化することで、よりスリリングな展開が可能になった。

また女子向けのキャンディ・キャンディ、ベルサイユのばらなども流行。なかでも東京五輪の「東洋の魔女ブーム」をもとに1960年代後半にアタックNo.1が出てから、エースをねらえなどの少女向けスポコンアニメも流行った。

さらにこの時代には「名作アニメシリーズ」が放映開始。ハイジ、フランダースの犬、ラスカルなどの「泣けるアニメ」も始まる。シリーズでいうと「マンガ日本昔ばなし」もスタートした。

また宇宙を舞台にしたSFアニメが流行したのもこのころ。もちろん先祖は1970年代はじめのメカ系アニメ。これがスケールアップした形である。特に宇宙戦艦ヤマトは高い視聴率を記録。「ヤマト(大和)」が活躍する様を描き、敗戦後の日本のコンプレックスを払拭した。なおこの背景には王貞治の世界記録をはじめ、日本が世界に誇る〇〇がで初めていたこともある。メイドインジャパンが流行語に。

また銀河鉄道999も重要です。星野鉄郎というヒーローはそれまでの2枚目のアウトサイダーではなく、平凡な姿。内省的で自分に自信がない……という情けない主人公像はこのあと、ガンダムのアムロ・レイ、エヴァのシンジくんなどにも受け継がれる。

1980年代のアニメ

・機動戦士ガンダムⅠ
・地球へ…
・まことちゃん
・トム・ソーヤの冒険
・釣りキチ三平
・Dr.スランプ アラレちゃん
・じゃりん子チエ
・まいっちんぐマチコ先生
・うる星やつら
・プロゴルファー猿
・パタリロ!
・あさりちゃん
・三国志
・キン肉マン
・おはよう!スパンク
・未来少年コナン
・風の谷のナウシカ
・忍者ハットリくん
・ゴルゴ13
・ストップ!! ひばりくん
・キャッツ・アイ
・キャプテン翼
・天空の城ラピュタ
・とんがり帽子のメモル
・ガラスの仮面
・小公女セーラ
・タッチ
・AKIRA
・ハイスクール!奇面組
・DRAGON BALL
・めぞん一刻
・シティーハンター
・キテレツ大百科
・となりのトトロ
・火垂るの墓
・トランスフォーマー
・それいけ!アンパンマン
・美味しんぼ
・魔女の宅急便
・DRAGON QUEST

1980年代に入って最初に流行ったのがガンダムだ。1979年4月から始まるも人気がなかったガンダムは打ち切りが決まっていた。しかし1980年1月の最終回間近で急に人気が出てきた。そこで急遽1981年に「機動戦士ガンダムⅠ」が公開される。

また少年マンガ原作のものでいうと、元祖萌えアニメ・うる星やつらがテレビアニメと劇場版の両方でブームに。テレビ版のチーフディレクターは押井守だった。なかでも評判を呼んだのは劇場版2「ビューティフルドリーマー」で、押井守はラムちゃんの性格を大幅に変えたんです。さらに日常世界を飛び出して、夢の世界を描くなどの演出を加えた。

高橋留美子はこの作品を相当嫌っており、原作ファンとしても否定的だったが、世間的には高い評価を得た。

また1982年に大友克洋が「AKIRA」を公開。これが日本アニメ的には大きい功績となる。世界に日本のアニメーションが認知されるきっかけともなった。

また宮崎駿がかねてから念願だった「風の谷のナウシカ」を1984年に公開。興行的にヒットはしなかったが、国内外の賞を獲り、宮崎駿の名前は広く知れ渡ることになる。その後、宮崎駿、鈴木敏夫が主となってスタジオジブリを立ち上げ、となりのトトロ、火垂るの墓などの作品を発表した。

1990年代前半のアニメ

・ちびまる子ちゃん
・きんぎょ注意報!
・少年アシベ
・ろくでなしBLUES
・紅の豚
・YAWARA
・美少女戦士セーラームーン
・クッキングパパ
・幽遊白書
・ぼのぼの
・SLAM DUNK
・クレヨンしんちゃん
・しましまとらの しまじろう
・無責任艦長タイラー
・赤ずきんチャチャ
・名探偵コナン
・平成狸合戦ぽんぽこ
・魔法陣グルグル
・魔法騎士レイアース

1990年代前半はちびまる子ちゃん、クレヨンしんちゃんなど、今でも語り継がれるテレビアニメが放映開始になる。しかしテレビアニメはだんだん視聴率を取れなくなり、衰退傾向になったのがこの時代でした。

その一方、オタクたちはOVA(オリジナルビデオアニメーション)のほうに興味を移していく。なのでVHSビデオの売れ行きは好調だった。

そこで、テレ東18:30枠が登場。これは「OVAをアニメで放映してビデオ収益を得る」のが目的という意味で画期的だった。

それまでのアニメは「メインスポンサーの広告としてアニメがある」というものだった。サザエさんの東芝みたいな感じ。これがOVAの登場によって、複数スポンサーを抱え、ビデオを売るというアニメ単体で売り上げをつくるシステムができたんです。アニメのビジネスモデルが、広告収益型からプロダクト販売型に切り替わったんですね。超絶画期的だったわけである。

1990年代後半のアニメ

・GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊
・MEMORIES
・NINKU-忍空-
・アリス探偵局
・ふしぎ遊戯
・行け!稲中卓球部
・スレイヤーズ
・H2
・ご近所物語
・新世紀エヴァンゲリオン
・忍たま乱太郎
・地獄先生ぬ〜べ〜
・爆走兄弟レッツ&ゴー
・みどりのマキバオー
・はじめ人間・ゴン
・花より男子
・機動戦艦ナデシコ
・逮捕しちゃうぞ
・勇者王ガオガイガー
・ポケットモンスター
・烈火の炎
・さくらももこ劇場 コジコジ
・ボンバーマン ビーダマン爆外伝
・たこやきマントマン
・カードキャプターさくら
・おじゃる丸
・まもって守護月天!
・ホーホケキョ となりの山田くん
・おジャ魔女どれみ
・神風怪盗ジャンヌ
・デジモンアドベンチャー
・モンスターファーム
・GTO
・キョロちゃん
・HUNTER×HUNTER

1990年代後半のアニメで特筆すべきは「攻殻機動隊」と「エヴァンゲリオン」だろう。攻殻機動隊に関しては、鉄腕アトム、AKIRAに続き、海外に向けて日本のSFカルチャーをアピールした作品であり、特にアメリカで大ヒットした。のちにハリウッド映画化されることになる。今でもネットフリックスがオリジナルコンテンツ作ってますよね。

エヴァンゲリオンは先述した「テレ東18:30枠」で放送された作品だ。しかし放送開始から爆発的に人気が出たわけでない。最初はその難解さゆえにちょっと敬遠されていた。エヴァンゲリオンのヒットの裏には「最終回」がある。そのアート性が高すぎる「おめでとうオチ」が「わけがわからんぞこれ」と話題になり、社会現象となったのだ。

そのため、エヴァが本当にヒットしたのは1997年の深夜アニメ枠で再放送をした際だった。深夜にも関わらず、毎回5〜6%の視聴率を獲得することになる。このヒットから「深夜アニメ枠」という言葉が一般的になった。

アニメとともに育ってきた日本人

さて今回は日本のアニメ史を紹介した。実は以前、マンガの歴史もがっつり紹介したことがあります。

最初、アニメ史とマンガ史ってかなり似通うんじゃないかと思ったが、いやいや振り返ってみるとまったく違うものじゃないか。

アニメならではのカルチャーでいうと、テレビやビデオなどのハード面が大きい。特に媒体がマスメディアであるテレビがあったことが多い。広告効果があったからこそ、アニメは日本のお茶の間をジャックすることになった。

だからこそ99.9999%の日本人は幼いころからアニメを観ているのだ。日本人のマインドのうち、幾分かにアニメの影響があるのは間違いないだろう。以前「令和の女性が強いのはプリキュアの影響があるのではないか」という記事を書いたが、本気であり得ると思う。

例えばエヴァがヒットした背景にはシンジくんの内省的で自分に自信がないヒーロー像があったとも言われる。エヴァを観ていたのは1980年代生まれの人たちだ。当時は日本全国が「右に倣え」から、何かにつけて「自分らしさを大事にしよう」という考えに変わってきた時代だった。

しかし「個性の作り方」なんて分からない。親に聞いても、親も知らない。必死に自問自答を繰り返すしかなかった若者たちは、だんだんと内省的になっていった。

「急にエヴァとか知らんよそんなん」というシンジと「乗れ!」と怒る父・ゲンドウの姿は、まさに同時代の若者に強烈に支持されたのである。

さて、2000年代に入って、新海誠や細野守が現れたように、2021年以降も新たなアニメーターが登場して、まだ世にないストーリーを見せてくれるだろう。

白黒テレビからカラーテレビ、VHS、DVD、Blu-rayときて、サブスク配信が今の主流。ハードは次々に変わっていくが、アニメの楽しみは変わらない。これこらどんな作品が出てきて、日本人をどう変えていくのか。いやはや楽しみで仕方ないわけです。

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