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ミストという"コメディ映画"を存分に語る【ネタバレ】

どんな物語も結末は重要だ。特に「ラスト20分に震撼する……っ!」といった常套句が流行るほどに「映画」というジャンルでは、結末のインパクトが求められてきた。

大きく分けると「ハッピーエンド or アンハッピーエンド」という話になる。そしてアンハッピーエンドの作品の代表格として「ミスト」は外せないだろう。これ以上の「救われない話」はあるのか。観ていてお腹が痛くなる。「エンドクレジットよ! まだ流れないでくれ!」と願ってしまう。

原作者はホラーの神様、スティーヴン・キング。彼は映画版・ミストの結末を見た後に「超怖え。俺の原作より怖え。最高ですわ」と称賛したらしい。

では今回は、鬱映画の決定版「ミスト」という作品について、一緒に観ていこう。4、5回観て気づいたんだが、この映画はもはやコメディだ。ぜひ友だちと一緒にツッコミながら観ることをおすすめする。

ミストのあらすじ・ネタバレ

はじめにまだ観ていない人に向けて「ミスト」のあらすじを……と書きつつ、まだ観ていない人は、あらすじ読まないよね。

デヴィッドとその妻・ステファニー、息子のビリーはある町で暮らしている。ある嵐の次の日に、町には霧が立ち込める。デヴィッドは妻を残して、息子のビリー、隣人のノートンとスーパーマーケットまで車を走らせる。お客さんはたくさんいたが、停電していた。すると鼻血出した年配の男が来て「霧にバケモンおるでー」と騒ぎはじめる。あっという間にショッピングモールの外は真っ白。聞こえるサイレンの音。客はスーパーから出られなくなる。
店内はパニック。おばちゃんが終末論を唱えて宗教を作る。また別の女性は「子どもを迎えにいかなきゃ誰かついてきて!」と懇願するも、誰も挙手しなかったので1人で外に出てしまう。
スーパーのなかは「宗教論おばさん」「外に出て助けを呼ばなきゃグループ」「怖いから救助を待っとこうグループ」に分かれる。
デヴィッドはスーパーの副店長と、裏の倉庫を調べにいく。ちょっとシャッターを開けると、アイアン・メイデンの内部みたいなトゲのついた触手が数本出てきて若い男が霧の中に引きずり込まれる。
「バケモンいるよー!」と店のみんなに伝えるもノートンら懐疑主義者のグループは信じない。で、外に出てしまい餌食となる。その後、夜になると光に寄ってきたモンスターがスーパーに入ってきて、たくさんの人が犠牲になる。
翌日「宗教論グループ」は信者を増やし、内部で生贄を作ってスーパーから追い出す始末。ついに「ビリーを生贄に!」と叫ぶ宗教おばさん。デヴィッドとビリー、それに賛同した数名は脱出をすることになる。霧の中を懸命に進み、車に乗り込んだのはデヴィッドとビリーを含む5名、デヴィッドは妻の様子を観に家にいくが、奥さんは亡くなっていた。
ガソリンはわずか、なんとか霧が晴れた場所まで車を走らせるものの、残念ながら途中で車は止まってしまう。外からはモンスターの鳴き声。ビリーは眠っており、大人たちは生存を諦める。デヴィッドは4発の弾が入った銃でビリーを含む4人を撃ち、自身は車から降りて悲しみ「殺せ!」と叫ぶ。
すると霧が晴れ、戦車や火炎放射器でモンスターを焼き殺す兵隊が現れる。荷台には最初に息子を助けにいった女性と2人の子が。
崩れ落ちるデヴィッド。どうしようもない後悔のなかで霧は晴れていく。

「見せないけど怖い」じゃなく「見せないから怖い」

ミストを観ていて最初にグッときたのは、巨大なモンスターを見せなかったことだ、最初に出てくるバケモンは触手が大量に生えたタコみたいな奴。触手しか見えない。

全貌が見えないので、頭のなかで補うしかないのだ。もしかしたら上半身は美川憲一かもしれない。しかも人を襲うことに全然集中せず、ポテチ食いながらガキ使観てるかもしれない。これはもう悪魔の証明なので、何を想像しようと我々の勝手だ。

話が逸れたが、とにかくミストは「見せない」からこそ怖い。スクリーンのなかだけじゃなくて、我々の脳内で勝手にモンスター像を作らせることに成功しているわけだ。それは「霧」という舞台を思いついたスティーブン・キングの功績だが、再現したフランク・ダラボン監督も素晴らし過ぎる。

この鬱オチは原作にはない映画オリジナル

「ミスト」の肝は間違いなくラストシーンだ。この悲しいオチがやけに美しく見えるのは「セリフがほぼない」からだ。霧の中を走り、ガソリンが切れて、息子と仲間たちを撃つまでのシーンは、ほぼセリフがなく悲哀に満ちたBGMのボリュームが上がって消える。しかも霧に包まれているので映像として「諦観」というか「終わった……」という無情があらわれる。そしてどんでん返しの鬱ラストだ。

実はこのオチはスティーブン・キングの原作「霧」にはない。原作も読んだが、本来のラストシーンでは普通に霧の中で一夜を過ごし、夜が明けてからガソリン入れる。普通に息子とホテルに泊まってたら、ラジオからノイズ混じりのある単語が2つ聞こえてくる。「ハートフォード」と「ホープ」。つまりハートフォードに行けば希望がある。これは主人公にしか聞こえてなかった。幻聴かもだけど、ちょっくらハートフォード行くわ〜という、ちょっと明るいラストなのだ。

しかし実は「このラストも改変されたもの」というのはあまり知られていない。本来のキングの小説(アンソロジーの1つだった)では「街の名は分からない」となっている。本来は完成版よりも鬱みが増していた。これにキングのファンから「どっちやねん!はっきりせぇよ!」と抗議があったので「霧」のラストになっている。

「ミスト」のラストを「怖い」と言ったスティーブン・キング

「霧」の最後でも「幻聴かも」とか「主人公にしか聞こえてなかった」とか、スティーブン・キングはぎりぎりまで主人公を助けたくなかったのが分かる。スティーブン・キングは基本的に「ハッピーエンド」が嫌いなのだ。生粋のホラーオタクという感じで最高な考えをしている。

なので映画版のオチをダラボン監督から聞いたときに「ちょっと〜ダラボン〜! お主最高なんだが〜」と褒め称えた。そして「このラストは私のより怖い」と言ったのである。

スティーブン・キングから「君の作品怖いよ」といわれるのは最大の賛辞だが「怖いか?」と思った。「このラストは怖いか?」と。「悲しい」とか「切ない」なら分かる。いやでも怖くはないだろう。

と、思って見返したが「いや、やっぱこれ怖いかもしれん」と思えてきた。

作中での大事な伏線に息子・ビリーがデヴィッドに「パパ、僕をバケモンに殺させないでね」と告げるシーンがある。

これがラストの伏線なのだが、普通「殺させないで」と言われたら「守ってね」と翻訳されるだろ。「約束を守るためにパパが殺す!」はちょっとサイコパスが過ぎる。ビリー撃たれる直前に起きて「え?」という顔をしていた。「そうじゃないんよ。パパ。解釈間違ってるよ」と言いたかったに違いない。デヴィッドのサイコっぷりがやばい。

そもそも車のガソリンが切れて、車内の全員が諦めて「バケモンに殺されるくらいなら」と自死を決めるだろうか。この思考もかなり怖いと思う。死が近すぎる。普通は足掻くんじゃなかろうか。で、車内でバケモンに襲われるというジュラシックパーク的展開が王道だ。

あと、最後に霧が晴れて兵隊が火炎放射器でバケモンを焼き殺すのを見て「いや文明の利器! 文明の利器で勝てるんかい!」と突っ込んだのは私だけではないだろう。

そういちばん怖いのはここだ。「モンスター=人間じゃ歯が立たない」という刷り込みの結果、デヴィッドは後悔することになったのである。実は意外と勝てるのだ。

つまり総括すると、デヴィッドってかなりヒロイックでナルシストなやつなんだと思う。「俺はできることをやった……! もう助からない。息子も殺してしまった。うぉぉー!俺を殺せー!」という思考は相当自己愛が強くないとできない。

普通、格好悪くても逃げるもん。で、モンスターに殺されるもの。こいつは結婚式の余興とかできないタイプだ。あとみんな変顔のプリクラで1人だけ中途半端にベロを出すタイプ。

ミストはデヴィッドで笑えるコメディ映画です

ミストはいろんな記事で鬱映画と書かれすぎている。いやいや何をおっしゃる。これはデヴィッドの自己陶酔さが笑えるコメディ映画だろう。

思い返せばもっとあるぞ。例えば触手のバケモンに仲間を引き摺り込まれたとき。シャッターの隙間から霧のなかに帰っていく触手を「くそ!」となぜか斧で一刀両断した。もう誰も襲われてないのに。「え?なんでいま?」と声出してつっこんだもの。あれは「いつもいじめてくるヤンキーが帰ったあとに『くそが!』と近くのゴミ箱を蹴っ飛ばすパシリ」に近い。

なので、一度観た方もぜひ、できれば仲のいい友だちとデヴィッドの一挙手一投足に突っ込みながら見てほしい。冒頭で「観ていてお腹が痛くなる」と書いたが、あれは友だちと観てて笑いすぎて腹筋をつったからだ。

もうミストは鬱映画」とか暗いレッテルは十分。あれはそろそろ笑いながら観る作品とカウントしたほうがいいのである。

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