サブカルとアングラの違いとは|ヤバい世界について本気で考えてみる
「アングラとサブカルの違い」は一般のメインカルチャーで生きている人には理解し難いものがある。「いやいや、どっちも絡みにくいでしょ」とまとめてしまいがちだ。
しかし気をつけてほしい。アングラ畑で"毒"を撒布している人と、サブカル畑で"無駄"を耕している人は違う生き物だ。当人からすると「一緒にしないでくれ」と思っているパターンは結構ある。
アングラの人に「お前、ほんっとにサブカルだな」と安易に声をかけるのはマズい。「ちげぇよ。俺はアングラだよ」と血走った眼で返されるだろう。なぜなら彼は地下の住人を自負しているが、ヴィレッジヴァンガードに通う、その辺の地上の人たちと一緒くたにはされたくないからだ。
いっぽう、サブカル人間に「お前アングラだわ〜」と言ってしまうのと良くない。「ちょ、いや俺そこまでヤバくねぇから」と引き気味で返される。彼らは彼らでダークウェブとか薬物、人体実験みたいな世界にいるつもりはないのだ。
しかしサブカルとアングラの違いについて、明確に語られたことって意外と少ない。そこで今回はサブカルメディアを運営している身として、両者の見分け方について個人的な見解を述べたい。
サブカルチャーとは
サブカルチャーの言葉の意味に関しては、以前もたっぷり紹介した。
ざっくりおさらいしよう。サブカルチャーはもともと1960年代のアメリカで生まれた文化の形だ。そのころのアメリカでは長年虐げられてきた黒人が自由を模索して「公民権運動」をはじめる。キング牧師の時代ですね。
それがカウンターカルチャーになる。「黒人は低階層の人種だ」というメインカルチャーに反抗したわけです。
そこから「そもそも自由とは」について考える人が出てくるんですね。「セクシャルマイノリティはおかしなことか?」みたいな社会性のあるテーマからはじまり「自我の解放」に話題が移っていくんです。
つまりキリスト教から、仏教的な側面が出てくる。「無我」ですよね。「服って着なくてもよくない?」とか「ドラッグやってもよくない?」とか「さっき会った人とセックスして愛を叫んでもよくない?」みたいなヒッピーたちのカルチャーになっていくんです。
そしてヒッピーたちには「アート」があった。ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリクスなどのミュージシャンをはじめとして、マイノリティとしての「自我の解放運動」をしていくわけですよ。
決してメインカルチャーではなかったが、このころのサブカルチャーは、カウンターカルチャーとしても世間から広く認められていた活動でした。
で、これが1980年代になって、日本に曲解して伝わる。黒人の公民権運動とか、そんなバックグラウンドは無視されて、単純に「どうもアメリカで、マイノリティが輝いているらしい」となった。では、何が日本でマイノリティカルチャーだったか。アニメやマンガ、アイドルなどの愛好家たちなんですね。
特に1990年代に入ってから、ヲタは死ぬほど叩かれて嫌われた。アイドルは人気が低迷し、冬の時代に突入する。ヲタは大衆から「キモいんですけど」と排斥を受けた。
アニメでいうと1980年代の深夜アニメはアダルトアニメ「くりいむれもん」シリーズ(民放向けにライトにしたもの)が流行っており、これは現在だと児ポ法待ったなしの、アブナイ大人向け作品だった。1995年にエヴァがヒットしてから深夜アニメが少しずつ市民権を得るものの、まだヲタはきちんと排斥されていた時代である。
これが日本でいう「サブカル」となったわけです。
アングラとは
一方で「アングラ」、つまりアンダーグラウンドとは何なのか? 一言で言うと「人が近寄らない"地下"で反社会的な運動をしているマイノリティ文化」のことだ。では「アンダーグラウンド」という通称は、そもそもどこで生まれたのだろうか。
諸説あるが「underground」という言葉をはじめて用いたのはアメリカ・美術評論家のマニー・ファーバーだ。
1957年にフランク・ザッパの言葉を引用して「The mainstream comes to you, but you have to go to the underground(お前に主流の文化がやってくるが、お前は地下に行かなければならない)」と書いたのが発祥といわれている。
しかし言語化される以前にもアンダーグラウンド文化はあった。例えば1800年代初頭の「地下鉄道」。これはアメリカで奴隷化されていたアフリカ系アメリカ人を、地下鉄を掘って救った秘密結社であり、超マイノリティだった。
またアメリカ音楽誌「THE JOURNAL OF MUSIC」は、アングラの元祖をダダイストたちだとしている。「underground」の起源は結構まちまちです。
起源は定かではないが、アングラもまた1960年代・アメリカの公民権運動などカウンター・カルチャーから本格的に顕在化することになるんですね。
サブカルもアングラも、ヒッピーたちがマイノリティカルチャーをつくったわけだ。ヌーディストロン毛ラブ&ピース集団はすごいですね。
ただサブカルと違うのは、すでに1960年代の同時期から日本でもアングラカルチャーが育っていたということだ。例えば寺山修司の劇団「天井桟敷」はアングラ演劇を起こす。
また音楽界。泉谷しげる、岡林信康といったフォークシンガーは、当時カウンターカルチャーから派生したアングラカルチャーだった。さらに1980年代の「東京ロッカーズ」も同じだ。この辺りの歴史は、以下の記事でも紹介しています。
「アングラ」という言葉がさらに流行るのは、2000年代だ。インターネットが普及し、人々は手軽にアングラに触れるようになった。
またダークウェブが出始め、エログロコンテンツ、闇社会などとの関わりを深く持つようになった。このWebという場所が、アングラカルチャーに拍車をかけることになるんです。
サブカルとアングラの違いとは
はい。両者の歴史と立ち位置について説明したうえで「じゃあ何が違うのか」という問題について語ります。ここからは持論も混じるので、決して歴史的に正解というわけではないです。ご注意あれ。
サブカルもアングラも、カウンターカルチャーから派生して、世間的マイノリティの文化として残った、という意味では同じだ。
では何が違うのか。これは言葉をそのまま受け取るとわかりやすい気がする。アングラは文字通り「地下」であり、サブカルは「副次的なもの」だ。文字通りの意味での違いを超絶雑に図にするとこんな感じ。
「でっけー木だなぁ!」「パワー感じるわ!」と大衆が大木に集まっているなか、サブカルは隣の枯れ木を見て「なにこれ。変な枯れ方してんな」と興味を惹かれる、みたいな感じ。
そしてアングラは、もはや人が寄り付かない、虫とか骨とかゴミがたくさんの土の中で少数派のコミュニティを作っているわけですよ。反社会的すぎて、メインカルチャーの人もサブカルの人も、ちょっと見たくない世界……。なので、よりアングラを際立たせるなら、こういう図になる。
はい。もうコンクリで埋めちゃうんですよね。見たくないから蓋しちゃうんです。これがアングラ。
こう考えるとサブカルとアングラの違いは、かなり分かりやすいですよね。
サブカルは、メインカルチャーからちょっと目の付け所を変えた文化なんですね。一方でアングラは、もはやメインカルチャーが見たくない世界に属する、ということになります。
「菅田将暉さん」というメインカルチャーでサブカルとアングラを考える
もちろん両方ともマイノリティなんです。ただし性質が違うんですよね。もっとわかりやすくするために例を出そうと思う。
俳優で歌手でもある菅田将暉さんは、もう完全なるメインカルチャーでしょう。
でも仮に「1年間、菅田将暉くんの語尾を記録して『だよ』なのか『だぜ』なのかを数えるだけのブログ」があったら、これはサブカルチャーですよね。「菅田将暉さん」という対象はメインカルチャーだが、目の付け所をちょっと変えている。特に大きな意義はないけど、大衆から嫌われるわけでもない。
では「暗室で全裸の菅田将暉さんが片手に人糞持ってカマキリ食べながらドラッグパーティーに興じるドキュメンタリー映像」はどうか。これも目の付け所を変えているが、もはやメインストリームが目を背ける内容であり、コンクリートの下に葬られる。アングラですよね。
サブカルチャーの必須項目に攻撃的な要素はないが、アングラはこうした反社会的なにおいがするものだ。
補足するならアングラは「世間の健康的で(ある意味)盲目的な大衆文化」に対するカウンターカルチャーとしての意味合いもある。「世の中の知らない部分には、こんなに汚くて、危険なものがあるんだぞ」という訴えも内包されることが多い。
一方、今やサブカルにカウンターカルチャー感ない。それよりも閉ざされたコミュニティの中で「俺らが楽しいと思えることしようや」と、わちゃわちゃやっているわけである。
サブカルとアングラもメインカルチャーになりうる
ただしサブカルもアングラも、メインカルチャーになる可能性は大いにあるのは確かです。例えば吉田拓郎的フォークシンガーのあいみょん。彼女は数年前まで知る人ぞ知るアングラ歌手だった。
もともと(ラストラムレコード傘下ではあったが)インディーレーベルから出した「貴方解剖純愛歌 〜死ね〜」というシングルでデビュー。これが、かなりエログロ満載な歌詞で、ラジオで放送自粛になったくらいだ。この辺りのマインドは初期・岡林信康イズムを感じる。「くそくらえったら死んじまえ〜」である。
しかしその攻撃的な歌詞に憧れる女性ファンが増えていき、気づけば人気に火がついた。ついにメジャーレーベルに移籍。彼女も地上に出てからは、ものすごく一般ウケする作品を出すようになった。
このようにサブカルやアングラという文化は、時としてカウンターカルチャーになり、一部のファンから熱狂的に支持されてメインストリームとなる可能性がある。
なぜならサブカル・アングラは、ものすごく革命的なエネルギーに満ちているから。
メインカルチャーは総じてビジネス思考であり「売れ線」を突き詰める。そこに「革新」がないのだ。サブカルやアングラは「人と違うことをする」のが特徴なので、常に新しいムーブメントを作るのは、これらのマイノリティなんですね。
ただし悲しいかな。メインストリームとして羽ばたいた時点で、当然のようにサブカルやアングラでは無くなってしまう。皮肉にもアイデンティティを失ってしまうことになるんですな。
くれぐれもサブカルとアングラの呼び間違えには気をつけて
今回はアングラやサブカルの人種の見分け方を紹介した。彼らは往々にして繊細な場合が多いので、ぜひ呼称には細心の注意を払っていただきたい。
特にアングラ人間をキレさせたらやばいぞ。普段からドラッグ、暴力団、エログロ、人体解剖などにハマっている人たちだ。何するかわからん。呼び間違える……というより縁を切ったほうがいい。
なお私が運営している「サブカルマガジン」はサブカルと名付けているものの、メジャーカルチャーもガッツリ扱っている。これは「サブカル」と銘打ったほうがウケると思ったからです。へへへ。正直でごめんなさい。
……というのはもちろん冗談で、メインカルチャーについて述べるときも「目の付け所」は、よくよく考えていますよ。私にしか書けないことを、ちゃんと吟味しているつもりでございます。だからいつも長くなっちゃうんですね。でもその辺のWeb記事みたいに薄っぺらくする気はないぞ。
サブカル・アングラテーマの記事も随時更新しまくってますので、暇で暇で仕方ないときに、読んでいただきたく思います。
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