映画「ビバリウム」は視聴者の感受性と思考力が試される作品
「ビバリウム」の存在を知ったのは、たしか1年半くらい前だったかしら。仲のいい友人からティザーを教えてもらったんです。たしかこの動画だったと思う。
2019年に「ミッドサマー」旋風が巻き起こったのもあって、この「北欧調のおしゃれ感かつシチュエーションスリラー」みたいなのがブームになるのかしら、と思った記憶がある。
北欧テイストの薄緑、薄青のパステルなクリエイティブは、安心感を覚える柔らかい雰囲気がありますよね。しかしそこに相反する暴力的なホラーがくる、と。なんかとてつもなく、怪しくて危険な香りがするじゃないですか。サブカル脳がざわめきますよね。
それで「絶対に観に行かなきゃ」と思ってたんです。本国・アイルランドでは2019年に封切りなんですけど、日本では公開されてなくて。ようやく2021年の3月12日からはじまったので、早速渋谷のシネクイントで観てきましたぜ。
ビバリウムは、まず販促物のおしゃれさがすごい
これも本国で封切られた直後に見つけたんですが、とにかくポスターのクリエイティブがおしゃれすぎるんですね。
ちなみに西加奈子さんのエッセイで読んだんですけど、北欧には「おしゃれ」という単語がないんですってね。代わりに「無駄がない」という言葉で表されるそうだ。いやはやその通り。日本の販促物と見比べると分かるが、まったく無駄がない。
これは日本版のポスター。
この本国版のポスターも去年、友人から教えてもらったときに見つけたんですけど、とっても興奮しました。3つともテイストが違うけど、どれもスタイリッシュ。映画のコミカルさと、怖さを端的に作っていてすごいな、と。
ライターが言うのもどうかと思うが、キャッチコピー多すぎると、邪悪にみえますねやっぱり。
さて前置きはこのくらいにして、本編を紹介させてください。なお、ここからはネタバレを含みますので、これから観る予定がある方はUターンを!
ビバリウムのあらすじ
はじめに「かっこうの托卵」から映像がスタートする。托卵とは他の鳥の巣に勝手に卵を生み、しかも元あった卵やひなを木から落とし、他の鳥に育てさせる、という行為だ。
映像は本筋へ。保育士のジェマと庭師のトムは家を購入するために不動産屋を訪れる。店主のマーティンは2人に最近開発されたばかりの宅地、ヨンダーにある家を購入するよう勧めた。
マーティンの案内でヨンダーの9番地にやって来た2人だったが、その不気味さにゾッとする。と言うのも、ヨンダーには住人が1人もおらず、そこにある住宅も全て同じ設計のものだったからだ。2人が目を離した隙にマーティンは車を残したまま忽然と姿を消す。
2人は「帰ろう」と自分たちの車でヨンダーから帰ろうとするも、どうやっても9番地に戻ってきてしまう。携帯も圏外。仕方なくその日は泊まることに。冷蔵庫に入ったイチゴを食べるも無味だった。
朝起きるとすると家の前に段ボールの小包が。そこには冷凍の食料品や日用品などがパックされていた。翌日、トムの仕事道具の梯子で屋根に登ると、そこには見渡す限り一面の家があった。
2人は思いつく限りの手段を使ってヨンダーからの脱出を図ったが、どれも失敗に終わる。怒り狂ったトムはヨンダーに火を放つ。きっと消すために外部の人間が来るだろう、と考えたのだ。家の目の前で2人はそのまま眠りに就く。
ところが、翌日に目を覚ますと全てが元通りに再建されていた。愕然とする2人だったが、その目に謎の箱が飛び込んできた。その箱の中には赤ん坊が入っており、「この子を大人になるまで育て上げたとき、貴方たちは自由の身となります」というメモ書きが付されていた。
さて時間は進み3ヶ月後。子どもは小学生ほどに成長していた。この子は2人の仕草や口調をやたらと真似し、腹が減ると奇声を発する。2人は仕方なく子供を育てていたが、精神的に参っていた。
そんなある日、トムがタバコを庭に落とすと、周辺の芝がめくれ土が見えた。土にはビニールが混ざっており、トムは仕事道具のシャベルで掘り進める。トムは翌日からこれを仕事にしていた。「何かさせてくれ」という言葉からは、土を掘ることで気が狂いそうになる自分を律する姿勢も見えた。
そんななか、トムはジェマがだんだん子どもを育てる姿を嫌がり、金切声をあげる子どもを車に閉じ込めた。かわいそうに思ったジェマは子を救い、ここでトムとジェマは仲違いをしてしまう。トムはこの日から掘り進めた穴の中で眠るようになった。
ジェマは最初こそ「ママ」と呼ばれて嫌悪感をあらわにしていたが、だんだん子どもに慣れて、子との距離を縮める。そんなある日、起きると子どもがいない。夕方になって子が教科書のようなものを持っているのを発見しジェマは中を見る。そこには何語でもない不思議な文字列があった。
その夜、子どもに「今日会った人の真似をしてみて」とジェマが要求すると、少年の喉が膨れ上がり、ジェマはすっかり怯えてしまう。
さて、数ヶ月後、子どもはすでに2メートルを超え、20〜30歳ほどの青年に。ジェマとトムは恐れを感じながら丁重にもてなすようになる。
この青年は毎日どこかに出向き、ジェマは脱出の糸口があると思って後を追うが、いつも見失ってしまう。そんななか、トムが穴の中から人骨を発見する。そのころトムは体が弱っており、シャワーもジェマの支えがないとできないほど衰弱していた。しかし青年は2人を家から追い出してしまう。
その晩は外で眠るが、トムはもう限界で、翌日にジェマとの思い出を語りながら死んでしまった。すると青年が段ボールを持って帰ってくる。そこには遺体を詰める用の真空パックがあり、青年はトムをパックに詰めて、庭の穴に捨てた。
翌日、ジェマは車中で青年を待ち構え、ツルハシで頭を殴る。青年は家の前の縁石を持ち上げて逃げていく。
ジェマが後を追うと、そこは異次元になっており、ジェマとトムと同じように子どもを育てさせられる3組の家族を見た。しかし結果的にジェマはまた9番の家に戻ってきてしまい、ボロボロの身体で絶望に打ちひしがれ衰弱。青年から真空パックに詰められて、穴に捨てられてしまう。
その後、穴をきれいに埋めた青年は、トムとジェマが乗ってきた車でヨンダーを出て、冒頭の不動産に向かう。そこにはすっかりおじいさんになったマーティンがいた。マーティンはネームプレートを青年に渡して息を引き取る。青年は棚から真空パックを取り出して老人を詰め、ロール状に丸めてしまった。そこに1組のカップルが来店。新マーティンとなった青年はヨンダーを勧める。
「賛否両論あるだろうなあ」が直感的感想
観終わった後の感想は「これは……日本だと賛否両論あるだろうなぁ」というものでした。ヨーロッパの映画あるあるですね。まず、まったく謎が解き明かされないんです。ヨンダーがなぜできたか、歴代マーティンは何者なのか、教科書の文字は何なのか、などはすべて謎なままで、投げっぱなしジャーマンスープレックス的に話が終わります。余白がものすごく広い。
この「余白の広さ」と「映画のアート性(文学性)」は個人的には比例すると思っているんですね。例えばエンタメ映画だと必ず伏線を回収してオチをつけるのがマストでしょう。日米映画だと特にそうですよね。
でもヨーロッパ圏内では、今でもコンテンツのアート性が高いんですよ。例えばフランス漫画・バンドデシネは何が伝えたいのかわからない話がめっちゃ多いんです。バンドデシネに影響を受けた大友克洋の初期作品集とか、かなり伏線をほったらかしますよね。「読者の感受性」にお任せスタイル。
また日本では流行らないインストバンドが、ヨーロッパ圏ではめっちゃウケるのも近いですよね。歌詞があると曲を理解しやすいけど、歌詞がないと「この曲は何を表現しているのだろう」と自分で考える余地がある。
もっと例を挙げると「名探偵コナン」って、必ず犯人を明示しますよね。一方、芥川龍之介の「藪の中」という作品は、ミステリーですけど犯人がわからないまま話が終わるんです。
前者だと思考せずともトリックから何からすべて把握できるのでエンタメ性激高なんですけど、後者はすべて読者の頭のなかでアリバイやらトリックを組み立てて、各々で答えを出す必要があるんですね。文学性(アート性)が高いんです。これはいまだに文学部の教授たちが謎解きしてます。
パッと見では何のこっちゃわからない。でもあとでカフェでコーヒー飲みながら考えていると「あの表現はこれを意味しているのか」って、自分のなかで分かってくるんですね。
この「自分のなかで」が大事だと思っています。そもそもコンテンツの受け取り方って自由なのが基本なのでね。私個人的にビバリウムは、観た後に解釈できるのが楽しかったですね。
思考停止せずに「何を表現したいか」を考えられる人はハマる
で「みんなどう思ったんだろう」と、さっき感想を調べてみたんです。すると思った以上に否定意見ばっかりでびっくり。
その理由が「子どもの叫び声が不快」とか「テレビ画面の映像が気持ち悪い」とかだったんですけど「え? そこなんだ」と思いました。
映画全体を通しての意見というより、1つひとつのギミックとか描写に不快感を覚えた人が多かったみたいです。なるほど〜と思いますね。個人的には絵画、小説、マンガ、アニメ、作品全体のメッセージで感想を言いたいので、映画もそうなんですけど。そっか。細かい部分が不快だったのか。これはかなり盲点だ。皆さん厳しいですな。
ただ、個人的には、ギミックの先を考えるのも映画としておもしろいと思っています。「音声が不快だ!」で思考停止せずに「なんで不快な音声を流すんだろう」と考えられる人はハマると思います。その考える過程を楽しめる方にはオススメです。
あ、それとルネ・マグリットがお好きな方にもおすすめしたいです。たぶん直感的に気付いた方もいたんじゃないかしら。彼の代表作「光の帝国」にはかなり影響を受けているみたいです。