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ディズニーアニメ・白雪姫は長編アニメの原点であり至高だ

現在、日本国内で作られるアニメの数は332本(2018年現在、日本動画協会調べ)。2000年が109本であり、この20年での増え方はまったく異常だ。「日本といえばアニメ!」みたいな文化が根付き始めたのも、ここ10年だろう。

しかしもちろん世界で最初にアニメを作ったのは日本人ではない。1892年にフランス出身のピエール・レイノーが作った「哀れなピエロ」という約15分の作品だ。最初のアニメ作品のタイトルが「哀れなピエロ」という謎のメッセージ性に笑う。

この作品の作画枚数は500枚。つまり1.8秒に1枚のイラストが使われていることになる。そらカックカクになるわけだ。

では「現在のアニメのスタイル」を最初に作ったのは誰なのか。これはアニメ界のキリストかつブッダことウォルト・ディズニーだ。彼は1937年に世界初の長編アニメーション「白雪姫」を完成させた。

さて、今回は1937年版「白雪姫」の凄まじさについて、存分に見ていこうと思う。原点であり至高、とはまさにこのことです。

いまだに塗り替えられない「初期ディズニーのセル画の枚数」

白雪姫は先述した通り、世界で初めての長編アニメだ。どっからが長編なん? という定義は協会によって変わるけど、だいたい1時間以上という感じです。

じゃあ白雪姫は1時間くらいなのか、といわれるととんでもない。この作品ぜんぶで104分もある。今のアニメと変わらないボリューム感の作品を75年以上前に作ったわけだ。

とにかく長編アニメを作るのは世界で初めてのことだ。ウォルト・ディズニー本人ですらどうなるか分からん状況である。ただウォルトはこの作品に命をかける。「蒸気船ウィリー」の上映から9年間で集めた資金をがっつり投じた。

その額、当時で170万ドル。スタッフ数は最初300人だったが750人まで増やした。なかでも作画・セル画担当の仕事は完全に鬼で週休1日、1日15時間くらい描いていたそうだ。

750人が1日15時間働いて4年……。なんだこの万里の長城の建設みたいな地獄は。「ハイホー!ハイホー!しごーとがすきー!」じゃねえよ。寝ろ。りんご食ってなくても死ぬぞ。

その結果、セル画の合計は、なんと25万枚。これがどれだけ恐ろしい数字か。例えばジブリの今までの最大の枚数(「かぐや姫」)でも17万枚。「作画やべー」でお馴染み、大友克洋の「AKIRA」でも15万枚である。今の日本アニメでは1秒に8枚が普通になっており、25万枚描くと(最大で)8時間36分くらいのアニメが作れる計算になる。

その努力の結晶か「白雪姫」は今見てもぬっるぬる動く。ぬるぬるどころじゃない。「サーッ」って感じで動く。もう完全に真水と化している。そして公開前は「ウォルトの道楽」と馬鹿にされていた白雪姫は蓋を開けてみれば大成功。6100万ドルもの興行成績を上げた。60億円くらいの利益。

「誰もやったことない」からこそ、この異常なセル画枚数で長編のアニメを作れたんじゃないか。最初だから作画枚数のちょうどいいラインがわかんないんだもの。

これが経験済みであれば絶対どこかで「あれ? 多くねこれ? 今回これ明らかにセル画多くね?」ってなるよね? でも最初だから「めっちゃきついけど、もう3日くらい寝てないけど! でもたぶん長編って25万枚くらいいるんだろうな!」とがんばっちゃったんだろう……と思っていた。

しかし、ディズニーのアニメーターとしてもまったくの誤算でこの3年後に「ファンタジア」という作品が出る。

白雪姫の大ヒットでウォルトはマジ謎なくらいテンション上がって、スタッフを1000人召集して3年で100万枚の原画を描かせた。経費は当時で228万ドル。

私の知る限り、世界で最も多くセル画を使ったのはファンタジアだろう。ちなみにこの作品はアホほど経費をかけたうえに芸術性がだいぶ高すぎて、リバイバル上映を繰り返しながらなんとか客を集め、投資回収までに30年かかった。

しかしすごいのは30年かかることをウォルトは予期していたということだ。彼はファンタジアを作る前にこんな感じの台詞を残している。

や〜、この作品はウケへんで。でもわいが死んでも愛されるものになるやろな。

白雪姫で長編アニメにチャレンジしたのも、ファンタジアで100万枚の原画を描かせたのも、ウォルト・ディズニーのアーティスト魂だった。「ビジネスなんかより夢」。その姿勢がこれらの作品には詰まっている。

「フルアニメは24・日本のアニメ会社は8」

さて、セル画の枚数は基本的に1秒間に24枚となっている。これはアニメの伝統で暗黙知みたいになっている状況だ。もともとは24枚をすべて使ったフルアニメしか存在していなかった。

しかしこれがまぁたいへんなのである。セル画といったって手作業だ。完全にフルでやろうと思うと、1秒で24枚、1分で1440枚、30分アニメで4万3200枚にもなる。

これが数年に一度のジブリ、新海誠、細田守などなどであればまだいい。日本では1963年の「鉄腕アトム」から「毎週恒例のアニメ番組」が主流になっていくわけだ。

するともうまったく間に合わんわけである。そこで「あれ?ぜんぶ24コマで動かさんでもええんちゃう?」と気付いたのが手塚治虫。彼は「24コマを8コマ」にしたわけだ。

つまり「全体じゃなくて、一部だけ動かすよ」ということ。この場合、背景などは動かさないので、それだけ工数を削減できるっちゅうわけである。

この手法は「フルアニメ」の対義語として「リミテッドアニメ」といわれ、日本のアニメ業界で当たり前になっていった。ちなみにジブリやディズニーはいまだほぼ24枚で作っている。深夜アニメとジブリ作品の動きがまったく違うのはこのためだ。

白雪姫の精神を受け継ぐ「京都アニメーション」という神集団

冒頭の話に戻るが、日本でアニメ文化が浸透したのはリミテッド・アニメによって量産体制ができたからだ。これはもう間違いない。

ただ、だいたいの作品が8枚とか12枚になってしまい、久しぶりにジブリ作品を見ると「すげぇ〜。風の表現やべぇ〜」と思ってしまうことに少し哀愁を感じるのも確かだ。「もともとフルアニメがベースだったのになぁ」としみじみ思ってしまうのである。今回の白雪姫を作ったディズニーみたいな、野心あふれるアニメーター集団はもう現れないのかも……とすら思いかけた。

しかし!日本にはまだフルアニメの系譜を受け継ぐ「京都アニメーション」というアニメ会社があるではないか! 京都アニメーションは現代のアニメにおいてもフルアニメの手法を多用したことで、アニメ界に衝撃を与えた。

私が空気系アニメフリークだったころ「けいおん!」の唯が髪を切るシーンを見て、何度も巻き戻した覚えがある。

「ぬるぬる動く」という言葉を生んだほど、動きが滑らかでまったく違和感がない。すごすぎる。

また「日常」のみおちゃん爆走シーンは、私たち世代が作画の話をする際に毎回話に上がるくらい伝説的だ。凄まじすぎて毎回、鳥肌が立つ。アニメーターの汗が透けて見えるくらいの名シーンだ。

また鬼滅の刃のユーフォーテーブルの作画も、なんか、ね! ほら!すごいそうじゃないか!(見てないんです。すみません)。こうして脈々とフルアニメの動きが続いていくなら、日本のアニメシーンもまだまだ安心だ。

いつか「白雪姫」や「ファンタジア」くらいのセル画枚数の作品は出てくるのだろうか。そりゃあもちろん機械だったら一発だ。もはやセル画なんていらない。

ただ、いまだに私はアニメとは「人の身体の感覚が絵筆に伝わって絵に命が生まれるもの」そうあってほしいなと思うし、そこに感動が生まれると思ってしまうのだ。だからこそ「白雪姫」のエピソードを聞くたびに、痺れまくってしまうのである。

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