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【平等】文学の前に人はみな平等である、は本当か?

「文学の前に、人はみな平等である」。

以前、このnoteで、
「医術の前で人はみな平等である」
みたいに、
「文学」という言葉を
さくさくっと当て嵌めてみた。
なんだかクールな響きに思えた。

でも、その後、
果たしてそうか?自問自答が続いた。

重度の筋疾患と闘いながら、
『ハンチバック』で今年春に
芥川賞を受賞した市川沙央さんを
思い出してしまう。
 
「通常」の読書の姿勢もママならない、
障害ある人にとって、
通常の読書の姿勢が
どれくらい難しいことか?
また、そのことを
いわゆる健常者で
知っている人はあまりいない事実。
健常者の無知は残念だという
厳しい言葉が印象的でした。

健常者への憎悪と怒気に満ちた
市川さんの会見が思い出されてしまう。

そんな市川さんのような障害、
あるいは、また別の障害を持ち、
読書を思うように出来ない人は
たくさんいるでしょう。

「文学の前に人は平等だ」なんて
タテマエというか、ウソではないか?
私は軽率だったのかな…。

また、貧困ゆえに
本を読むようなゆとりがない
子供たちのことも忘れていた。

昨年、クリスマスの時期、
「ブックサンタ」というキャンペーンに
たまたま出会った時、
本が読みたくても
本を買えない子供が
たくさんいることもを知りました。

高校生時代に、
お小遣いをもらい
文庫本をしはしば買っていた私には
予想ができなかった。
日本がそんなにも貧困であることも。

本は決して、
誰にも平等なものとして
我々の前に存在している訳では
なかったのですね。

でも、図書館があるじゃないか?
貸出カードを作れさえすれば、
図書館は誰にでも、
本を貸してくれるじゃないか?
たしかに、そうですね。
図書館に通える人には、 
たくさんの本が無料で読める。

ただし、
自分の近所の図書館が小さく、
本もあまり揃ってない場合は
よほど本好きな子でないと、
また、図書館のスタッフで
よほどサービス精神旺盛な人と
出会っていないと、
本好きになる道は難しいかもしれない。

本好きになるには、
どんな人や環境があれば
いいのでしょうか?

どうしたら、どんな人にも、
そうした人や環境や資金が
平等に与えられるでしょう。

それは、
すでに恵まれた環境や人のおかげで
本好きになった人間たちこそ、
知恵を出して考えていくべき
問題にちがいない。

それこそが本好きになった人間の
義務なのかもしれない。

この世界に暮らすすべての人が
必ずしも本を求めるかは疑問ですよ。
でも、本好きになるチャンスは
やはりすべての人に
用意されていて欲しいと願いたい。

本を買うゆとりがある、
本好きな健常者は、
そのことを、頭の片すみに
備えているべきなんでしょうね。

みずからの幸せ過ぎる状況を
当たり前と思ってしまわないためにも。

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