見出し画像

【パスタ】ナポリタンを極めるため、ナポリに行ってきた話!

パスタで一番好きなのは
なんですか?

ナポリタン?
ミートソース?
カルボナーラ?
タラコバター?
ボンゴレ?
ペスカトーレ?

私は、母がよくだしてくれた
ミートソースかな、
いや、ナポリタンかな。

そういえば、
私が子供の頃はまだ1970年代で、
和歌山県の小さな町には、
カルボナーラもボンゴレも
ありませんでした(笑)。

パスタという言い方も
してませんでした。
当時は「スパゲティ」と
言っていましたね。

因みに「パスタ」という言葉が
日本に定置したのは、
バブル景気の80年代後半です、たしか。

話が逸れてしまいました。

さて。ナポリタンです。
これを食べる時、
東京の喫茶店やファミレスでは
タバスコと粉チーズが付いてきました。

田舎者には、
このタバスコとの出会いに
感動したのを覚えています。

なんだか辛いのに、酸っぱさもあり、
初めての新鮮な味でした。

パスタ以外、ピザにも
タバスコは付いてきました。

これってイタリア料理の
マストアイテム?

ところが、
イタリア料理に行くと分かりますが
イタリアンでは
タバスコはでてきません。
もし、イタリアンで、
タバスコをお願いしたら
苦笑いされそう。

その変わり、
香辛料が欲しい時は、
唐辛子を漬けたオリーブオイルが
出てきますね。

では、タバスコはいつ、
日本に広まったんでしょう?

どうも、敗戦後に日本を
占領したアメリカ軍の人々
(正確にはGHQ軍の人)が
日本に持ち込んだようです。

日本に戦後、もたらされた
アメリカン・ライフは
チョコレート以外もみな、
贅沢な旨さ、美味しさの象徴で、
アメリカの食生活はあっという間に
日本に広まりました。

タバスコは、元々、アメリカで
売られていたチリソースです。

ちなみに、
よく、アントニオ猪木が
タバスコを日本に広めた説は
よく聞く都市伝説ですが、
猪木が貿易会社を作ったのは
1970年代なので、
敗戦から25年も過ぎてます。
どうも事実ではないようですね。

そういえば、
ナポリタンは和製西洋料理でした。
有名な横浜のホテルで、
発案されたんでしたね。

私は、26才の頃、
ナポリタンを超えるパスタが
食べたくて、
イタリアのナポリに行きました。
何も考えてないバカ(笑)

他の日本人は、
ベニスやフィレンツェやミラノに
行くのが定番だった時代に、
私はそちらには目もくれず、
ナポリにいきなり直行しました。

パスタもピザも
基本的に、歴史的には
ナポリこそが原点ですからね。
やっぱりここはナポリでしょ(笑)?

実際、ナポリや
その更に南のソレント、
さらに南下したアマルフィの
スパゲッティがまた、
美味いこと、美味いこと。

あ、また話が逸れました。

それにしても、
ナポリタンを食べる時、
テーブルには
イタリア(パスタ)と
タバスコ(アメリカ)と、
粉チーズ(北海道)
ケチャップ味(横浜)とが
一体化してる世界だあ〜と
いつも小さな感動の叫びを
あげてしまいそうになります。

そんな訳で、いつも
テーブルにナポリタンが
運ばれてきたら、
タバスコとチーズを一杯
振りかけてしまいます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?