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【文豪】川端康成がよくわからない!?

思春期、青春期というのは、
不思議なもので、
古くて立派そうな作家には
なぜか抵抗したくなる。

高校時代は、
志賀直哉や川端康成などは
読むものか!と
決め込んでました。

国語の宿題に書かされた
「こころ」の感想文でも、
「こんな詰まらない作品を
なぜ今でもずっと授業や教科書で
ありがたがっているのか?
意味がわからない」と書いて、
国語の先生を泣かせそうにした
記憶があります。
今思えば、ひどい生徒ですね。
それに「こころ」は
詰まらない作品ではないですね。
(汗)。

ものごころついた頃に
もうすっかり神様扱いされていた
志賀直哉や川端康成は、
だから、高校時代、大学時代は
あまり好ましく思っていなかった。

志賀直哉については、
今もまだ、リスペクトは 
できないでいますが、
川端康成は、
40代くらいから、だんだん、
「このおじいさん、どうやら
凄いらしいぞ」と、
真価はわからないまま、
興味が湧いてきました。

その一番の原因は、
作家・小川洋子さんが、
川端康成の「片腕」を
色んな本で推奨していたからです。

それまで、川端康成で
読んでいたのは、
『伊豆の踊子』『雪国』や
『山の音』くらいでした。
まあどれも、
煮えたぎるような青春期には、
退屈な恋愛小説にしか
見えていませんでした。

それが40代を超え、
アラヒィフに入ると、
その才能の深さが身に沁みるように
なってきました。

少年時代、父、母、姉、祖父母と、
家族を一人ずつ亡くしていく
その天蓋孤独の宿命。
ハンセン病の北條民雄の作品を
見出し、世に広めた編集者の才能。
日本人初のノーベル賞。
『雪国』『山の音』『古都』
『眠れる美女』『浅草紅団』など
質の高い作品を描き続けた
鬼気迫る才能と筆力。

鬼気迫る、といって 
川端さんの逸話で思い出すのは、
たしか石原慎太郎が
書いていた話ですが、
電車で川端康成は向かいの席に
美女を見出してしまうと、
あの大きなギョロ目で
美女をずっとガン見していたそう。

美女としては、
川端と知っても知らずでも、
恐かったでしょうね?
今なら迷惑条例ものかも?

ところで、上にも書きましたが、
川端康成を見直すようになった
きっかけは、小川洋子さんが
「片腕」という奇妙な短編を
推奨していたことでした。

腕を貸して欲しいという人、
腕だけを貸してくれる人。
腕を?もぎりとる?
それは、ホラー?
いや、ミステリー?
それは、ぜひ実際に読んで下さい。
ロマンチシズムや
幻想美、ゴシック感など、
まるで、欧米の、 
ポーやラブクラフトのような世界。
なのに、生々しい生の感覚。

こんな小説を日本の作家が
書けるとは思わなかった。
私は『雪国』や『伊豆の踊子』で
川端康成を舐めていました。
いけませんね、偏見は。
それも浅い読解力では!

その『雪国』も、
この歳になってやっと
わかるようになった気がします。
少なくとも、学生時代に読んだ
印象とはぜんぜん違うんです。

「片腕」から入ると、
川端康成もがぜん読みやすく、
かつ、深い興味が湧くはず。

それにしても、
小川洋子さんが
こうして「片腕」を 
広めてくれていなかったら、
まだ私は川端康成を 
古臭い、カビも生えた
レジェンド作家として
退屈な作家と思ってたでしょう。

最近では、作家の小川洋子さんと
先輩作家の佐伯一麦さんが 
川端康成について対談した
『川端康成の話をしようじゃないか』
という本もでました。

川端康成について、
『伊豆の踊子』や『雪国』から
はいるのではなく、
新潮文庫の『眠れる美女』に  
収録された「片腕」や
また『川端康成異相短編集』
(中公文庫)の謎めいた作品、
例えば「心中」や「死体紹介人」 
から入ったら、
古臭い退屈な作品?というような 
偏見や先入観もなく、 
新鮮な眼で川端康成と
向き合うことができそう。

何から入ろうか
迷っている場合は、
新潮文庫『眠れる美女』や
中公文庫『川端康成異相短編集』は
力になってくれるかもしれません。
 
それにしても、
川端康成は、
ハンセン病だった北條民雄を
世に出すなど、編集者としての
一面も一流だった。
私はその面もいつかまた
書いてみたいと思います。

川端康成は、
作家としても何タイプもの
ジャンルも書き分けられたし、
編集者の才能もあったし、
電車では変態になってしまう
病的な女性好きな一面があり、  
日本ペンクラブ会長としても
様々な事業で牽引しました。

多忙な一生だったはず。
最期の自殺の原因を
ワイドショーみたいに
詮索するのはやめたいと思います。

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