【書く】エッセイの極意は、自分の感情との距離感?
猫マンガの編集で、数年前、
ある重大な発見をさせられた。
田舎に帰省する時は、
いつも、動物好きな母に
何冊か猫マンガのコミックスを
お土産に渡していましたが、
母は早い段階で、
毎晩読めるマンガを見つけ出す。
一度読んだらもういい本は
本棚にしまい、
毎晩読みたい本は枕元に置く。
その分かれ目は何なのだろう?と
母に聞いたら、
刮目すべき答えがかえってきた。
自分の気持ちを丁寧に刻んでる
マンガ家さんは、
感情をしっかり描いてるから
安心して何度でも読める、発見もある。
一方、猫への可愛さや愛情に溺れてる
マンガ家さんのエッセイは
「うちの猫、可愛いでしょ?」と
押しつけを感じ、飽きちゃうらしい。
編集をしながら、
自分の担当マンガ家を
そんな視点で見たことはなかった。
母に負けた、いや教わった…汗。
猫との距離感ではなく、
猫を可愛がる自分の気持ちを俯瞰して、
いつも自分を強靭な感性で
見つめるマンガ家のエッセイは
やはり面白い。
ものを書く時に
人は知らず知らず、
自分の感情との距離感を失ってしまう。
強靭な知性を持ってる人は
マンガやエッセイを描いても面白い。
自分に客観的になるのとは
またちょっと違うんです。
強いて自分から距離を
取ろうとしても、
自分の無意識の感情を描く時は、
素が出てしまう。
コントロールはできない。
私などは、自分にも、自分の感情にも、
距離を取ろうとしてるものの、
強靭な感性、強靭な知性はないから、
なかなか上手くなれない。
それにしても、
和歌山の片田舎で生きる母から
編集の極意、
ひいては、書く極意を教わる
とは思ってもいなかった。
改めて、作家が自分の感情を
どうコントロールしてるか?
コントロールしていないか?
注目しながら読むと、
人気の秘密がわかる気がします。
いくえみ綾さんや
大島弓子先生の猫エッセイは
たしかに飽きない。
可愛がる感情という意味では
同じながら、
人気になる猫エッセイと
人気がでない猫エッセイは
はっきり違いがあるんですね。
いやはや、20年以上、編集をして、
編集でも作家でもない母に
大事な極意を教わるとは…?
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