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読書は、覚醒か?陶酔か?

私は酔うのが苦手だ。
酔うのが気持ちいい状態だと
思ったことがない。
いつも覚めていたいと願う。

でも、タイプ的には
クールではない。
多量な感情をどうコントロールするか
そのことで頭がいっぱいだ(笑)。

酔いたくない。
酔うのはみっともないと思う。
だから、サッカー観戦の
暴力性を疎んできた。
だから、コンサートの
歓声を醜いと思ってきた。
お酒も、やっと禁酒に成功した。
居心地の悪い忘年会などからは
おさらば、だ。

でも、たまに来る。
ずっと酔わないでいる不安!
醒め続けているゆえに
頭がおかしくなりそうな瞬間。

だから、思うんです。
人間はもしかしたら
たまには酔わないと
頭がおかしくなるんじゃないか、と。

でも、私は本当に
酔わないでいるのだろうか?

読書は、眼を開かせ、
心を啓かせてくれる。

一見、酔うこととは正反対だ。

たしかに、自分の力で
ひとつひとつ考え、感じ、読む、
それが読書だ。

でも、作家により、作品により、
時として、陶酔をもたらす本もある。

感動とか癒やしなどとは段違いの、
とても力強いパワーで
読者を遠くに放り投げるような、
壮大な本がある。

村上春樹『海辺のカフカ』が
私にはそうでした。

読み終えて、
興奮も冷めやらず、
ぼんやりした頭で
部屋をみまわした。

私にはどこか山奥の森の中に
バサーン!と放り投げられたような
記憶があるというのに、
それは錯覚だったというのかしら?

嵐に巻き込まれたような
恐怖すら感じたというのに…。

『海辺のカフカ』は
読者を嵐に投げ込む
不思議な小説ではありました。

ただ、あれ以外には
あんなに乱暴な衝撃は
まだ一度も受けたことがない。

あれだけは
読書による陶酔だった気がします。

あの時は思ったものです。
読書によるのならば、
酔うのもまんざら悪くはない、と。

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