見出し画像

【文学と宗教】文学が再び強いパワーを持つ時代が来る…!?

小説が偉大だったのは、
もうずいぶん昔になりました。

それにしても、
なぜ、そんなにも文学が
強い力を持っていたのでしょう。

それは文学が宗教のかわりを
成してたからではないでしょうか?

小説というメディアが輝き、
世界を引き付けていた19世紀、20世紀。
トルストイ、
ドフトエフスキー、
チェーホフ、
モーパッサン、
スタンダール、
フローベール、
プルースト、
ディケンズ、
トマス・マン、 
ジッド、
ヘッセ、
カフカ、
フォークナー、
ヘミングウェイ、
フィッツジェラルド、、、、
こうした作家たちは
みんな19、20世紀に活躍した人たち。

とりわけ、トルストイは、
宗教に匹敵するほど
「信者」が世界中に沢山いました。

今はどちらかというと、
ドフトエフスキーの方が、
迷い人に、沢山読まれ、
宗教的な力を持っている
かもしれませんね。

私は、どうも長い小説は
必ず挫折しましたが、
短編を沢山書いたチェーホフは
けっこう読んでました。
30数年前、まだ20歳くらいなのに、
人生は虚しい虚しいと
悟ったような顔をして生きてたから、
あれはチェーホフ病というらしい。

チェーホフ病から回復したのは
25歳くらいでしたか。
実にたいへんでした。

あ、また話が逸れました。
文学と宗教の話でした。

19世紀20世紀の文学は
なぜ宗教的なパワーを
持ち得たのでしょう?

小説は、
宗教とはちがって、
すぐには生きる意味を
教えてくれる訳ではない。
従うべき戒律を
与えてくれる訳でもない。
人生の答えをくれる訳でもない。

なのに、
19世紀20世紀の読者は
小説の中に神やモラルを
見つけるために読みました。
不思議ですね。

たとえば、アメリカ文学の異端児
サリンジャーはどのページからも、
神なき時代にピュアな魂を
求める人間たちが沢山出てきます。
それがいいんです。
サリンジャーの小説はまさに
宗教のかわりに成ってるんですね。

サリンジャーだけではない。
人生を迷い続けた寺山修司も、
三島由紀夫も、遠藤周作も、
宮沢賢治も、夏目漱石も。

さて。
今は21世紀ですが、
今のところ、
現代文学には、
宗教のかわりになるほどの力は
昔ほどはないですね。
ここ数十年は、
文学はエンタメ・アイテムに
なってきました。

でも、近年の世界情勢は
また混沌に逆戻りしてきたかのよう。
そんな時代には、人生の主題が
むきだしになるから、
また文学が宗教的パワーを
取り戻す時代に成るかもしれません。

人間とは何か?
生きる意味とは何か?
なぜ人は争うのか?
人はなぜ成功を求めるのか?

21世紀、少なくとも
中盤にはまた、
文学は強いチカラを持つようになる
かもしれませんね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?