見出し画像

【差別】映画『あん』から考える、差別の脇出す泉とは?

今日は恥ずかしい話をします。
40歳手前から、どういうわけか、
内面が保守的になってきました。
道でホームレスの人が
手作り雑誌を手にして
売っていますね。

30代までは時々買っていました。
でも、中身はデザインも
掘り下げ方も素人なものに感じて。
いつしか買わないようになりました。
それでも買わないで素通りする時に
ちょっと心でごめんなさいと
言ってた時期もありました。
今は全然スルーで素通りします。
厚顔になりました。

2015年(平成27)に公開された
河瀬直美監督の映画『あん』は
評判がよく話題になりました。
小さな和菓子屋に、
樹木希林演じる女性がやってきて、
働くようになり、
その作るあんこが美味しいと
和菓子屋は人気店になりました。
ところが、樹木希林演じる老女は
ハンセン病だったと噂が広まり、
客足はパタリと途絶える……
そんな映画です。
これが評判になり、
観た人の胸を打つのは、
(私の考え過ぎでしょうか)
まだ日本人の多くが
ハンセン病だった人が
手作りした菓子や料理を
口にするのは怖い、という
差別心を持ってるからでは
ないでしょうか?
かく言う私はどうか?
やはり怖さを感じます。

この怖さこそ、差別の種になる
人間心理でしょうね。
私はあの悪名高い
「らい予防法」(1953年制定)を
作り、制定し、差別した
人間と変わりがないんです。
保守的になった、と簡単に
済ませる訳にはいかない。
人はなぜ差別してしまうのか?
その原型を、私も持っているんです。

一応、1996年(平成8年)
偏見と差別と無知に基づいた、
「らい予防法」は廃止されました。

でも、2015年(平成27)に公開された
映画『あん』はカンヌ映画祭でも
賞をとり、国内でもヒットしました。

元ハンセン病の人への
怖れはまだまだ根深いと、
言っていいのではないでしょうか。
もちろん、私も。

映画『ベン・ハー』や『砂の器』でも
らい病(ハンセン病)の人が
隔離され、生涯を隠れて
生きるようになる、
その悲し過ぎるイメージは壮絶です。

今は薬で直ります。
一生隠れて生きる必要など
ありません。
病気の最中でも、そんな
感染率は低いですよ。
戦前の結核より低かったのに、
結核は文学や映画で
しばしば登場しますが、
ハンセン病は本当に
覚悟を決めた作者しか
扱えないくらい、
大きく、大げさに扱われました。
あ、そういえば、
『もののけ姫』の中で、
らい病の人たちが
鉄砲作りの職場にたくさんいて、
あのタタラバはらい病の人をも
寛大に受け入れる立場なんだ、
という風に描かれました。
宮崎駿監督の、奥行きの広さ。

また、実際に戦前に罹患し、
多摩全生園に入所した
北條民雄『いのちの初夜』(角川文庫)は
ハンセン病患者しか掛けない
慟哭の記録かもしれません。

中身は小説ですが、
慟哭と憤りと絶望の中で
なんとしても作家になりたい、
名作を書きたいという
文学の鬼になった北條民雄の
美しい汚れなき確かな眼差し。

それを世に広めようと、
まだ書き盛りの壮年期の
川端康成は精力的に出版社に
駆けめぐりました。
その心には頭は下がります。

のち、老年期の彼はノーベル賞では
三島由紀夫とのあいだで
みっともない欲から、
ひと悶着ありましたが。

さて、話を戻しましょう。
歳を重ねて人は保守化する…
のかどうか、わかりませんが、
少なくとも私はだんだん
保守的になってきたのは事実です。

昔は、台東区の山谷(さんや)に行って、
ジョージ・オーウェルみたいに
日雇い労働者の実態を
ルポルタージュしようなんて
学生時代は思ったりも
しましたが、もう今は
それよりも大事なこと、
それも自分に関することばかり
関心をもつようになってきました。
うつ病だの、
親の健康だの、
自分の老後生活だの、、、、。汗。

これからは、
自分の中に生まれる
「怖れる心」をしっかり
もっと見張っていかなければ…。

人は歳を重ねるたびに、
自分のことに精一杯になるようになり、
くもりなきマナコで
世の中や人間を見据える力を
失っていく、、、、
それが「保守的になる」という
ことなのでしょうか。
まずい、まずい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?