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【心理】私たちは「錯覚」によって生きている?

錯覚は大切らしい。
私たちは「錯覚」によって喜び悲しみ、
幸せや不幸せを感じるように出来ている。

「錯覚」とは、例えばテストの得点により
「偏差値」という数値化が行われ、
自分の頭脳が秀でてる?秀でてないと
私たちは判断するわけですが、
知性や教養はあくまで
そんな偏差値に数値化されない、
でも、日本ではとりあえず、今、
「頭の良さ」を表すのに、
偏差値が一番基準にされやすい、
この非知性的この現状…。

収入により、社会人の立派さは図れる、
とは、大勢の男女が考えてますが、
宮沢賢治の生涯収入は、
おそらくお父さんからの
援助を引いたら、かなり少ない金額に。
収入「イコール」人間の立派さ、
ではない、何よりの証拠。

私たちは、いつも
見えやすく数値化しやすい単位で
自分や他人を判定したくなる。

「いいね」数やフォロワー数も、
ある程度は頼れる単位ですが、
あまり「いいね」少ないのに
凄く自分には刺さるブログが
あったりしますねよね。

私たちは「錯覚」によって
普段は幸せや安心を得るように、
それが反転したら、
不幸せや不安を感じるように…。

いじめでは、
学校社会が唯一の少年は
必死に苦しむけれど、
最近は、大人は「学校から逃げよう」
「世界は、学校が全てではない」と
呼び掛けている。

世界はまだまだ他にもあると
自分を俯瞰で見られたら、
確かにそうだけど、
学校「イコール」生きる世界だ、
という「錯覚」から覚めることは
案外にむずかしく、
できないまま悲劇になる場合も…。

私も、去年春に取り囲まれていた
人間関係だけが全てではない、
とわかっていたら、
うつや出社恐怖症には
なってなかったのは、間違いない。
でも、あの時は、その時の人間関係が
全てでした。
俯瞰できなかった。

あの「テラスハウス」出演の
木村花さんの悲劇を、
爆笑問題・太田は、
この「人間の錯覚」を拠り所に、
悔しそうに話をしていました。

世界はもっと広いこと?
幸せになるために他の場所へ
移る(逃げる)こと??

普段は、偏差値や収入や
ビジネスの「成功」も、
イケメンや美女の基準も、
また、貨幣や国家や神様も、
人間が考えだした虚構であり、
幸せにしてくれる「錯覚」。

それが、時に、まるで自然災害と
同様に、狼のように
私たちに襲ってくる時が
たちが悪いんですね。
自分で信じ、巨大化させてるから。

爆笑問題・太田に限らず、
司馬遼太郎も、
養老孟司先生も、
こうした錯覚や虚構が
人間の幸せや苦しみの源泉だと
語ってる場面が多い。

それを聞くたびに、
あ?やべ?また、自分は今、
虚構を実態と勘違いしてるぞ?
と、なる。

自分からは、
自分が今見てる世界は錯覚だとは、
なかなか、思えない。

虚構論?
錯覚論?

まだまだ、自分には完全には
ピンと来てないらしいけど、
凄く大切で面白い視点だという
予感や胸騒ぎはずっとある、
この不思議な感覚は、
どうも実態らしい。


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