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【戦後作家の肖像①】ジブリに影響を与え続けた骨太知識人

新聞や雑誌やネット記事で
その言葉を聞くと
うっとりしてしまう、
そんな言葉がありますね?

私は「戦後」「戦後作家」と
言う言葉が出て来たら
うっとりしてしまう。

でも、今の20代、
いわゆるZ世代からすると、
昭和という時代は
もはや「大昔」らしい。
20 世紀というだけで、
昔昔の話になるらしい。
戦後作家はそんなに古くない、
今読んでも面白いんだけどなあ。

そんな訳で、ちょっと強引ですが、
大昔?の戦後作家を
身近に感じていただきたく、
時々、日本の戦後作家をポツリポツリと
ご紹介して行こうと思います。
題して『戦後作家たちの肖像』

まず最初の作家は、
ジブリの宮崎駿や高畑勲らが
若い頃から愛読してきた堀田善衛さん。

小説家が知識人であった時代の
典型的な作家の一人です。

1918年(大正7)〜1998年(平成10)。
堀田善衛は、
戦争中から作家活動を開始。
1951年に『広場の孤独』で
芥川賞を獲得する。
一方、アジア・アフリカ作家会議の
日本代表をつとめて、
海外との交流をおし進めた。

ベトナム戦争時代には、
脱走アメリカ兵士を逃がそうと
日本の作家や知識人、学生らが
協力しあいましたが、
堀田善衛は、その「ベ平連」の発足を
呼びかけた人でもありました。

今でも手に入りやすい作品では、
評伝『ゴヤ』『方丈記私記』
などがあります。
文化的で、歴史的で、思想的な
アプローチで、
スペイン画家ゴヤを描いた『ゴヤ』、
「エセー」で有名な
仏のモンテーニュを描いた
『ミッシェル』など、
いっけん、伝記になりそうもない人物を
評伝にして成功させている。

また
『インドで考えたこと』(岩波新書)は
海外と日本との比較文化論を
自由自在に描いてベストセラーに
なりました。
椎名誠のエッセイ
『インドでわしも考えた』や
髙橋由佳利のコミックエッセイ
『トルコで私も考えた』なども、
堀田善衛のタイトルから
いただいちゃっていますね(笑)。

それから、中年晩年には、
藤原定家のいた乱世、
鴨長明のいた乱世を、
太平洋戦争の乱世ぶりを比較?織り交ぜ、
時代の脆さ、歴史のあやふやさを
確かめるように、遺しました。
『方丈記私記』『定家名月記私抄』
などがそれらです。

海外に行って被れて、
日本はいかに劣っているかを
わあわあ騒ぐ文化人が多かった中、
堀田善衛は、
日本をそうやすやすと
劣っているとは言わなかった
腰の座った知識人作家でした。 
骨太の知識人です。

堀田善衛の世界に入りやすいのは
『インドで考えたこと』岩波新書。
『めぐりあいし人びと』集英社文庫
あたりでしょうか。

堀田善衛は、
ジブリの巨人二人に
常に生きる羅針盤となっていた、
そのことによって、
堀田善衛を知らない人々にも
影響を与え続けていたことは 
まちがいない。

ジブリ映画を通して、
ジブリのファンには、
堀田善衛DNAが浸透している。


追伸
これから、ご紹介する戦後作家は、
島尾敏雄、大岡昇平、寺山修司、
北杜夫、遠藤周作、吉行淳之介、
小島信夫、後藤明生、色川武大、
武田百合子、安岡章太郎、開高健らを
妄想しています。

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