見出し画像

ママ時間の使い方~キャリアの章~

人に語れるほどのキャリアは築いてない。
キャリアの最初の第一歩を「華やかさがいい。」と、当時そう見えていた「一般職事務員」に決めたし。
そこは大学で学んだこととは全く違う分野。まったく関わったことのない業界だったけど、理系だった私は「文系女子」との交流だけでもワクワクする瞬間だった。
・・・・そんな私がそこから20年たった今、思うこと。

その頃のキャリアに対する考え方

お恥ずかしながら、学生時代はキャリアについてまじめに考えた瞬間はほとんどなかったと思うんです。いや、少しだけ、就活した時には考えてたかなぁ・・・・あと、大学を決めるときも。「薬剤師」「飛行機関連」「研究者」とかだったような。
でも、社会人になる頃は歴史にも残るような「超氷河期」が日本社会にやってきていて、ちょっと前までそこにあった「華やかな世界(バブル期)」はどこにも残ってない状況。
世代的にずっと「~の後」ばかりを追いかけるような年代なのかなぁ。
社会って「やりたい!」と思うことが何一つかなわないイメージで、ちょっとすれちゃっていたのかもしれないですね。
その頃の社会情勢のせいにするわけではないけど、なんか「花火が終わった花火大会会場」にずいぶん遅れて入ってきた時みたいな気持ちだったのかも。

結婚することになって。

そして、結婚することになるのですが、その頃新社会人として入った会社は1年で辞め、大学の研究室に戻り教授のお手伝いをする仕事をしていました。
でも、妊娠がわかって1年半で退社。
夫の転勤もあり、名古屋へついていくことに。
今思うと、引っ越し先で仕事を見つければよかったんだけど、そういう発想はまるで思いつかなかったんですよね、出産直後。2年差で2人産み、毎日が必死で買い物行くだけでもぐったりしていたので・・・・
とにかく一人になりたくて、一人時間をどうやって確保するかは考えてたけど、キャリアのキの字も考えてなかったな。

けど、子どもが二人になってしばらくたった頃、やっぱり社会と繋がってたい!と思うようになりました。人との繋がりが好きな体質だったんです。
子どもたちが幼稚園へ行く数時間、家で内職(添削業務)をすることに。

キャリアについて

その頃まだ「テレワーク」なるものはほぼなかったので家で働く選択肢はとても狭かったですね。
内職って家で好きなときに出来るからいいな!と思ったのですが、私にとっては少し黒歴史。
外に出ていかない分、数をこなさないとお金にもならないし時間だけがやたら取られた印象でした。
それでも、何が起こるかわからない幼児を抱えてワンオペで育児もしていたのであの頃のベストは尽くしていたと思います。

地域コミュニティでのボランティア

夫の転勤で関東に引っ越してきた頃、子どもたちは小学生になろうとしていました。
上の子がコミュニティに馴染むのになかなか時間がかかるため、私もそのコミュニティに入ってみようと思ったのがきっかけで、そこから下の子が中学を卒業するまでPTAにがっつり協力。
色んな考え方あると思いますが、私はこのボランティア、自分の経験に多大なる良い影響を及ぼしていると考えています。
子どもを通じて色々な考え方の大人に会うことがで来たことも財産だし、苦労もたくさんあったけど、私が得た物は主に次の5つ。

・勧められてやることは自分が意識していなくても自分の得意なことがある
・人は立場によって様々な考え方を持ち、ステータスによって態度が変わったりする大人もいる
・私は第一印象で「好き嫌い」を勝手に判断してたけど、話してみると意外とどの方も何らかの共通点や話題もあるし、共感できる部分もある
・仕事や家族以外のサードプレイス作りに関わる人に会うことが出来た
・様々なバックグラウンドを持つ人に会うことが出来た。かっこいい大人もたくさんいることを知った。

これはいわゆる「キャリア」とは違うと思われるかもしれませんが、コミュニティの中での振る舞いや考え方、経験はその人にとっての立派な「キャリア経験」のひとつだと思っています。仕事も会社も、コミュニティの中でのやりとりから作り上げられるから。
多くのお金を生み出すことには繋がらないかもしれないけど、社会や人、団体の考え方に特化し、自分の考え方をフォーカスする良い機会。私にはこの経験が不可欠でした。もちろん、子どもたちとの共通の話題となることでも、一石二鳥。
PTA会長としてのコミュニティの運営も含め、これはその後の私のキャリア形成に生きています。

子どもたちのライフステージに合わせて


さらに時が進み、子どもたちが中学へ通う頃、私は夫の勧めでリカレント教育を受けます。
明治大学女性のためのスマートキャリアプログラム、というプログラムでした。

リカレント教育とは今でこそ話題となっていますがその頃まだ「なんのこっちゃ」な話でした。でも、これも私の環境を大きく変えることとなります。

理系出身の私にとって経済や経営、社会情勢や会計の話などは全く学んでこなかった分野。でもこれが社会を動かしているんだとわかったときの衝撃は大きかったです。学びたいときの学び直しって本当にすごい。
また、このコミュニティには様々な年代・キャリア・ライフステージの女性が50人ほど集まって毎日授業を受けるため、話す機会も多くたくさんの刺激を受け、ゼミや講義終了の半年後には私のキャリアや社会に対する価値観は大きく変わっていました。

今とこれから

地域ボランティア、リカレント教育を経たころ、子どもたちに手がかからなくなってきていたので、近所でパートを始め、その後再びフルタイムで働き出します。なんとなくステップを踏もうとまずは派遣社員として。
今考えるともう少し他の大きな選択肢を取れば良かったのかもと思いますが、なぜか自分に自信がなくスモールステップを繰り返しました。

今は子どもたちも大学生になり、家族から手が離れたため第三の人生を考えるようになったのですが、ここに来てその「派遣社員」という立場に疑問が。

(これもいろんな考え方があることを承知で)私にとっては、ステップとしては最適だったのですが、労働人生の短さを考えると背伸びも必要だったなと思う経験です。

「責任が持たされない=責任あるような仕事ができない」

ここが今1番引っかかるところ。
いいも悪いも自分で責任を取るので、やりたいように仕事がしたいと思うようになりました。

ただ、正社員2.3年→専業主婦10年→パートや派遣社員からのキャリアの創造は、現在の日本社会と私の理想はかけ離れています。
もちろん、取る側の考え方は手に取るように分かりますが、主婦からのキャリア形成を画一的に判断して欲しくない。もっとその声を大きくしていけたら・・・。

経験を通し、私がこれから社会に還元できることがあるとしたら、

「専業主婦からのキャリア形成」
「スモールステップでのキャリア形成」
「中高年の夢の持ち方」

かな。
そのためにも、改めて人生100年生きるとしたら、あと50年をどう生きるか、良い意味で今すごく思考を巡らせています。

キャリアについての考え方、あなたの考えも是非コメントで聞かせてください😊
最後までお読みいただきありがとうございます☆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?