生誕50年✵超個人的カルチャー史【90’s編】
タイタニックとアルマゲドンをまだ見ていないじゅんぷうです、こんばんは。
小・中・高は学年ごとに記憶が紐づいていましたが、その後、とくに社会人になってからは、おまとめ記憶ですらおぼろげ。
1990が高3なので1991からですが、そんな90年代以降の「あなたの知らなくていい歴史」、はじまります。
1991~
愛読誌「オリーブ」で紹介されていた
授業内容を見て以来、
ここで勉強したいと決めていた
デザイン系の専門学校に入学。
埼玉から原宿まで
A2サイズの図面ケースを抱えて
満員電車で通学していて
筒タイプのケースと出会うまでは
「やめたい…」と思うほど深刻な地獄でした。
渋カジの流れで
金ボタンの紺ブレが大流行していましたが
バンタンなどデザイン系に通っている子は
「紺ブレを着ないのが誇り!」とばかり
個性の確立に走っていました。
わたしも紺ブレは買わず
GO-BANG’Sが着てそうな
ボレロにショーパンとかミニスカ時代。
ジュリアナ東京ができたころ。
芝浦GOLDや神楽坂TwinStarは行ったけど
まだまだバンドブームで
ライブハウスに行くほうが好きでした。
時代が早すぎたと思う
16TONS、SOY SAUCE SONIXを
よく聴いていましたが、
時代が進んでも
なかなか知っている人と出会わない。
・楠本まき「KISS××××」
・朝倉世界一「山田タコ丸くん」
・友沢ミミヨ
・「宝島」
・岡崎京子(桜沢エリカ派と分かれていた)
BA‐TSUやMILK FED.を好んで着てました。
「オリーブ」「キューティー」を読みつつ
「Fine」も読み始めます笑
好きなプロサーファーがいて
大会を見に行ったりしてました。
あのころの自分に、声を大にして言いたいのは
「オイルを塗るな~~~!!
日焼け止めをもっとちゃんと塗って~!!!」
(伊豆白浜で日焼けで発熱して寝込んだり
沖縄で歩けないほど焼けて
ホテルのお掃除のおばさんから
見たことないワイルドなアロエを渡されたりして
今となっては後悔しかない)
水着にはもれなくパレオがついていたころ。
バイトもいろいろしています。
いつも誰かしらフロムエーやデイリーアンを
買っていたあのころ。
最初の夏は某海沿いの某リゾートホテルに
1カ月住み込みのアルバイト。
20~30人ぐらい、関東のあちこちから
同じように夏休みの学生たちがきていて
部活の合宿みたいでした。
高校生から引き続き、
お正月は地元の神社で巫女さん。
あとは土日に缶チューハイとかの
キャンペーンのバイト。
TV番組のスタジオ観覧も
登録していました。
1収録2000円ぐらいだったけど
ただ座って見ているだけでよくて
TV局に入れて芸能人を見られるので
けっこう行きました。
フジテレビが曙橋にあった時代で
お台場はウィンドサーフィンの場所でした。
バーとかもちょっと働いたけど、
学校の課題が多くて単発バイト以外は
なかなか難しい状況でした。
学校生活のことも書いておくと
やっぱり勉強の内容はすごく好きだったし
先生も含め面白い人材揃い。
平行線を引くためのT定規を使わずに
ばんばん直線を引ける子とか笑
パース画の彩色に使う、
1本500円近くするマーカー
「コピック」を無謀にも全色買いして
帰国してしまった留学生とか。
(授業や課題で使うのはグレーの
バリエーションだけで十分だった)
わたしはデッサンや
プレゼン用イメージボード作りは
好きで得意だったけど
パースやモデリングは苦手。
先生にも
「アイデアはいいけどデザインが下手」
と致命的なことを言われていました。
それでも”ものづくり”業に就ければな~と
思っていたのですが……
1993
とんでもない就職氷河期で
卒業はできるも就職はいったんあきらめます。
運転免許をとって
叔母の家と実家を行ったりきたりしながら
叔母の仕事の手伝い&バイト生活。
デザインとものづくりをしたくて
看板屋さんも経験しました。
このころハマっていたのは
・スラムダンク
・村上龍
・引き続き山田詠美
・三好和義(写真家)
・BILLABONGやQuicksilverなどサーフブランド笑
・少年隊「FUNKY FLUSHIN'」はカラオケで必ず!
1994
叔母と仕事をしていたときのツテで
出版社にバイトで行き始めます。
編集部なので服装は何でもよく
相変わらずサーフブランドのTシャツに
バギーパンツ、サボを履いて新宿に通勤。
徹夜残業上等のノーコンプラ時代だったので
電車の時間を気にせず仕事したいのに加え
3丁目やゴールデン街で朝まで飲んだり
歌舞伎町のカラオケ「上高地」で朝を迎えて
そのまま出勤する生活をやめようと、
一人暮らしスタート。
駅や近所で大槻ケンヂさんを見かけてました。
それでも家にいる時間は非常に短く
このころって携帯がそんなに普及してないので
外から家の留守電を聴いたり
今では考えられないけど
友だちが会社に電話してきたり
FAXまでしてきたりと
ドタバタなトレンディドラマみたいでした。
・すかんち
・コレクターズ
・THE YELLOW MONKEY
1995~1999
いったん編集部をやめ
某漫画家さんのプロダクションで働いたり
別の道も模索しましたが
編集部にもどり契約社員になりました。
かつてデザインの先生に言われた
「アイデアはいいけどデザインがへた」を、
編集者としては十分生かすことができて
わたしはこっちだったのか~と思ったものです。
そしてなんといっても、
GREAT3との出会い
TVCMでシングル「DISCOMAN」を知り
早稲田祭のライブで熱に浮かされて以来、
活動休止やメンバーチェンジも乗り越え
バンド活動はほぼない現在、
ドラムの白根賢一さまつながりで
ここ数年でいちばん行ってるライブはLEO今井。
GREAT3熱は現在進行形なのですが、
もうひとつ、わたしの90年代を語る上で
避けて通れないのが
HIGHLEG JESUS(ハイレグジーザス)
SEX、DRUG、R&Rと演劇
エロ・バカ・ショック
そんなテーマでくり広げられる
ナンセンスなパフォーマンスが、
わたしの青春だったんです。
「夏・体験物語」みたいな
ライブのオープニングムービーも好きだった~。
愛すべき集団でした。
横町慶子さんに惹かれて
劇団ロマンチカを見に行くなど
高尚な入口だったのが
デパートメントHとか
アンダーグラウンドイベントにも出没。
夫とつきあうきっかけも
ロフトプラスワンでした。
演劇は
ハイレグジーザス|ロマンチカ|
珍しいキノコ舞踊団|鳥肌実|大人計画
音楽は
GREAT3|クラムボン|BOAT|
NUMBER GIRL|BEAT CRUSADERS|
小島麻由美|ICE
OASIS|Suede|Pulp|Primal Scream
土曜深夜は「ビートUK」見てました。
TKはよくカラオケで歌ってたけど、
ジャニーズやJ-POPとは
人生でいちばん距離を置いていた時代。
だいたいCDショップではGREAT3の隣が
もれなくGLAYとGRAPEVINEであることが苦々しくって…!
文芸・サブカルは
鯨統一郎|高田崇史|梅原猛|
矢作俊彦|近藤史恵|澁澤龍彦|
横尾忠則|植田正治|アラーキー|
ナンシー関|井沢元彦|坂東眞砂子|
ねこじる|岡崎京子|安彦麻理絵|南Q太|
西原理恵子
CUT|STUDIO VOICE|SWITCH|
別冊宝島|映画秘宝|Quick Japan|
別冊太陽|H
新宿三越に入っていたのは
八重洲ブックセンター?
東京堂書店? 丸善?
うろ覚えですが、その一角に
新宿幻想文学館という
幻想文学コーナーがあり
ここがわたしにとって魔窟。
タイトルを眺めているだけでもうっとりして
足を踏み入れると容易に帰ってこれないスポット。
映画は
タランティーノ|ジョン・ウー|
ウォン・カーウァイ|鈴木清順|
平成ガメラ|オースティン・パワーズ
アップリンク渋谷やシネマライズ、
シネセゾン渋谷、銀座シネパトス
(ぜんぶない😭)、
ミニシアターや名画座行きまくり時代。
大林作品も好きで尾道で聖地巡礼しました。
小型船舶の免許を取りに行ったのも尾道です。
バス釣りが流行ったころで、
バスボートの操縦目的で川崎から来た
男子ふたりと同じ班でした。
瀬戸内海での実習、楽しかった…(現在ペーパー)。
合宿後、彼らと岡山でバイバイして
わたしは鳥取ひとり旅に向かい
ひとりでラクダに乗った思い出。
ファッションもサーファーから目を覚まし笑
OZONE ROCKS|CLUTCH
どちらも今はないけど
一生着たいと思ってたブランド。
ゴルチエのバッグのいくつかはいまだに現役。
フリーマーケットにハマって
古着や本を中心に頻繁に新宿中央公園に出店。
客層はガチのコレクターや
サブカル勢が多かった気がします。
カメラ好きで知られるアルフィーの坂崎さんを
お見かけしてました。
初めて浅草で出店したときは
マダム勢が多くて、しかもマダムは
紫色に寄ってくることが実証されました。
「危機管理」のワードメーカーである
佐々淳行さんきっかけで
わたしが生まれた年におきた
あさま山荘事件が気になり
関連書籍を読み漁ったのも90年代。
井沢元彦さん「逆説の日本史」
高田崇史さん「Q.E.D」シリーズなど
今もライフワークといっていい
教科書で語られない歴史が好き。
神社めぐりもこのころから。
それにしても情報量が多い時代です。
ひとりのときに住んでいた中野・杉並でも
サブカル人をよく見かけましたが
下北沢や吉祥寺に住んで
とことんサブカルに浸かるべき
だったのでは、と
結婚直前に思いました。
そうそう、結婚したころ
男友だちから会社にFAXが届きました。
もうメールもできる時代だったけど
わざわざ手書きのFAXで、
「小さくまとまるなよ」って…
これ、ドラマ『チャンス!』での
三上博史の口癖笑
うーんトレンディ。
これで27/50。
1999年に世界が終わるつもりだったので
2000年からは第二の人生です!
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