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今を生きるということ

私は恥の多く迷惑をかけてきた人生を歩んできました。

それは、決断の失敗だったのか?
環境の失敗だったのか?
人付き合いとの失敗だったのか?
恵まれていなかったのか?

自問をしていても結論はなかなか出てこないものでしょう。
哲学的で、文学的で、それは数学的なものではないのです。
組み立てるものができない、しかして積み上げなくてはならない。

私は何を間違ったのだろう?
何に依存しているのだろう?
快楽に溺れていたのだろうか?
攻撃的になっていたのだろうか?
自分の存在とはなんなのだろうか?

きっと自分は自分自身がわからなくなるのだ。
何せ、今は何もかもがわかりすぎる社会だから。

自分は、私は、僕は、俺は、うちは
かず多くの私自身を探し、どれが本当の自分なのかもわからなくなる。
模索するというのはそういうものなのだと私は思う。

今、どう思う?
本当に私が?
これが私のしたことなのか?

後悔の念と含羞が私を蝕むのだ。
人に潜んだ蔑んだ目と哀れみの目は少しずつ私を蝕むのは間違いないだろう

私は依存症になった。
快楽に溺れた。
止められなかった。
やめるべきだったのに、やめられなかった。
今、こうして私はずっと後悔の念で生きている。
暗くありながら、突き放されながら。

きっと私の他にもこの暗闇を彷徨う人はいると思う。
私はこの暗闇でありながらも誰かと手を取り合いたいのだ。
幸いにも私には知見がある。
本を読む習慣がある。

本を読みながら私は原因究明と分解を繰り返し、
依存から脱却ができた。

でももう遅いのだ。
結果は過去を蝕み今の私の鎖となる。

こうはなってほしくない。

その信念で、私は記事を書き発信をしてコンサルをする。

あなたの変わりたいところは?

この一言は私にとってとても重くのしかかる。


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