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ベジータから学ぶプライドの正体 鳥山明さん哀悼(無料)

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先日鳥山明さんがお亡くなりになりました。ファンの一人として非常に残念。世界にその名を轟かせた歴史的人物でありながら、非常に謙虚な人格者でありました。

こんな人にすごい能力があるというのはいいことです。

鳥山明さんのご冥福をお祈りいたします。


さて、今回はプライドとは何か?ということを考えていきたいと思います。

とりあえず、一つの側面を言っておくと、自分の本当の姿を隠したい心を言います。虚栄心ともつながりますね。

例えば、プライド=ベジータという公式が成り立つくらいになっていますけれども、ベジータを例にして、プライドというものを見ていきましょう。

ベジータは自分でこう語っています。

自分は戦闘民族サイヤ人の王子であり、宇宙最強の戦士だ。

まず、このセリフを聞いて、おや?と思ったことはありませんか?

というのは、ベジータよりも圧倒的に強いフリーザの存在があり、ベジータはフリーザの部下として働いていたことがあったからです。

つまり、ベジータが自分で勝手にそういっているだけで、実はフリーザの方が最強と言えば最強だった、ということですね。少なくとも当時は。

この時、簡単のため、ベジータの想いをとして、実際の状態をとしておきます。

先ほどのプライドの一側面を言い換えると、プライドは、によってを見られないよう、外部の目から守ろうとする心です。


さて、私たちはプライドについて、こういう言葉を聞いたことがあります。

①「もっとプライドを持て!」

この意味で使われるプライドは、どうもいい意味であるように聞こえます。

しかし、あなたが誰かに何かを教え諭そうとするとき、相手が反抗的だったりすると、こういう形でも使います。

②「だめだ・・・。あいつはプライドが高いから言うことをきかない。」

①のプライドは、自分が何らかの仕事をしているときによく使われます。
②は、プライドの高い人が悪いことをしたから、ちゃんと謝るように勧める場合、相手が自分は悪くないと言って反抗するときに使ったりします。

このように時にはいいことのように、時には悪いことのように使い分けされるプライドですが、プライドの実の意味は一体何なのでしょうか?


まず①からです。あなたは外科医の仕事に付いています。しかし、自分の手に負えない患者がやってきて、ブラックジャックに頼むことにしました。

しかし、病院長がそれを許しませんでした。
病院長「何?あの闇医者に頼むだと?」

わい「はい。患者の命には代えられません。」

病院長「ムキ―!あんな奴に頼むなんてわが病院の名折れだ!一世一代の恥だ!何とかならんのか!そんなに簡単に匙を投げるとは、お前には医者としてのプライドがないのか!」

みたいな感じ。

この時のプライドの意味について考えます。医者としては、自分の力及ばずということを素直に認めているわけですが、本当は悔しい事に変わりはありません。この時、自分に力がもっとあればなぁ。って思いますよね。では、その自分に力がもっとあればなぁの、あればなぁのライン、そこにとしての力があると考えてください。

本当の自分(実像)とだったらいいなぁの自分(虚像)

どうも、この院長先生はプライドが高いみたいで、自分の病院の実績を、もっともっと、周りに高く見せたいのです。つまり、周りから見た時に、虚像こそが実像であるかのように見てほしいのです。

ベジータも実は同じです。自分は宇宙最強の戦士なんだ。と自分では言っていますが、実際にはフリーザというより強い戦士がいました。

プライドのいい面は、自分自身が本当にその虚像と一致できるように、頑張ろうと思う目標となることです。だから、プライドを持て!というのはどういう意味かというと、ベジータ的に言えば、宇宙最強の戦士だと言えるくらいの気構えを持て!ということになるんですね。もう持ってますけどね。すると、個人が勝手にその状態に近づくように、自分で努力をし始めるのです。つまり、プライドが高い人間は、自分自身の中にある虚像と一体化するための、動機付けを行いやすくなるというメリットがあります。

この時のプライドは、一種の目標になるのです。しかし、その目標を目指す動機がプライドである、というのが残念なところなんですね。ベジータが自分の事しか考えていないように、強くなろうとするのはやっぱり自分のプライドのためでしかありません。つまり、他人のことなんてどうでもいいんです。だから、回復してくれたデンデを蹴り上げるわけです。

プライドの高い人間は、基本的に自分のことだけを考えています。

ですから、病院長も、自分の病院のメンツばかり考えていて、(病院は組織ですが、実体はこの病院長自身の思いです。)患者のことはたいして考えていないんですよね。

これがプライドの欠点です。

プライドが高いと、どうしても、自分の実体の力ではなく、自分の虚像としての力を世界に見せつけたいと思うのです。ですから、ブラックジャックに頼もうとした医者が、もし病院長が言うようなプライドを持っていると、なにくそ!俺だってできる!と自分にはできない手術に無理やり挑んで、患者の命を駄目にしてしまう可能性があるのです。


次に、2番目のプライドに付いて考えます。ベジータも人に謝ることは極力しないですよね。したことあったっけ?

プライドの高い人間は、虚像こそが自分の実像なのだという心理状態になっています。人に謝ると言うことは、その人以下であるということを、自分が認めたような感覚になるということが一点。そして、自分の人生に何らかの欠点があるということを、自分自身が認めたことになるということが一点。さらに、相手の心の中に、自分の悪い情報が作られてしまったということを意識してしまう。これが何よりも耐え難いのです。悪いと認めた先にいるその相手は、もう自分のことを前と同じように、自分の虚像を自分の実像としてとらえてくれなくなるのですから。

これが、プライドの高い人間がなぜ人に謝ることができないのか、という理由です。

だから、地位の高い人ほど人に謝らない。その傾向があるのは、プライドが高いからなのです。そして人にお願いをすることもできない。プライドが邪魔して、全部自分の虚像の力を前面に押し出そうとする、そうして失敗してしまうことが多いのです。虚像はいくらでも頭の中で増幅できます。そもそもが嘘でできているからです。

皆さんも、この病院長の気持ちがわからないことは無いと思うんです。実際彼の立場に立つと、彼のようになってしまうかもしれません。


例えば学校でも、全国統一学力テストの時に、学校長の命令で、ミスや間違いを試験中に教えることによって、学校のテストの結果を操作するという事件が起きました。これも、学校長のプライドが関わっています。

私が小学生のころ、先生がなぜか、そのテストの時は、テスト中にケアレスミスを指摘してくれました。その後、不思議に思って先生に尋ねました。先生は、「〇〇サンの言うとおりだと思うんだけどね~」と渋い顔をしながら、はっきりとその理由を答えてはくれませんでした。

すると後日、今日は校長先生が授業を見に来てくれますみたいなことを言ってきたのです。そして、私の勉強中の机を見て、ノートとほんの位置が逆だ!といって叱ってきました。なんちゅう器の小さいやつ・・・。マジで実話です。


ベジータは、魔人ブウとの戦いの最中、自分のことを初めて自覚します。
「俺は今まで自分のプライドのために強くなろうとしていた・・・。しかし奴(悟空)は違う。あいつは前の自分を超えるために強くなろうとしていたんだ。」(原文を思い起こして書いています。)

あのプライドが超高いベジータが、心から孫悟空こそが宇宙最強の戦士であると認めます。ここは超絶名シーンだと個人的には思っています。


では、今までのところでプライドという心理の基本がわかっていただけたと思います。これからはプライド応用編です。

プライドは、頭の中でいくらでも増幅できると言いました。そして、ベジータのように元々プライドの高い人間として生まれてきた人もいるわけです。

このプライドの量と、そして、何に対してプライドを持つか、という二つは、どうやら自分達では決めることができないようで、先天的に決定されていると考えることができます。あるいは、ベジータは産まれた時に自分がたまたますごい強かったので、それをいいことに元々高いプライドが基本として精神に設定され、後は御覧の通りということも考えられます。そういう意味では後天的かもしれませんし、その後のベジータが丸くなっていったことを思えば、やっぱり後天的な人格であったと考えることもできます。

さて、プライドが理解できれば、何が理解できるのかというと、ヤクザの心理が理解できます。どうして、ヤクザなんて言う人間が、この世界に産まれてきてしまうのでしょうか。

彼らは、プライドが異常なほどに高い人間なのです。ということは、虚としての自分がとてつもなくでかくて、実としての自分が、とてつもなく小さいのです。

こうなると困るのが、彼らの教育課程です。彼らはとてつもなくプライドが高いので、自分の失敗を認めることも出来なければ、自分の悪い部分を認めることもできません。そうして、無反省のまま子供時代を過ごすことになってしまいます。その癖、プライドだけはやたらと高いので、自分は仕事ができて、とても能力の高い人間であるということを周囲に示そうとします。

すると、キンキンキラキラの派手なブランド物の服。ダイヤやゴールドをあしらった指環とネックレス、そしてイヤリング。ベンツやフェラーリなどの高級車。そして高級住宅。金歯、綺麗な愛人など、外観がめちゃくちゃ派手な格好になるというわけです。そうして、自分の能力の高さを外に示しているわけですね。

ところが、人間性はちっとも育っていないのです。だから結果としてはああなってしまうのです。彼らが努力をする理由は、何と云っても、プライドのためです。プライドを守るために、彼らは生きています。この時のプライドを、メンツといいます。

そして、政治家がしばしばヤクザと言われるのもこのためです。自分達の内実としての力は大したことがないのに、お飾りだけは立派だと揶揄されます。

例えば、卒業した大学とか嘘であることがマジで多いらしいですし、自分達のメンツを守るためにプライドの内部で様々な工作をします。私たちは、彼らのプライドの虚の部分を見ているので、その裏側で彼らが動いていても、なかなか本性を見抜けないのです。

彼らにとって最も恐ろしいのは、この世界に彼らのが出てしまうことです。例えば今は、盛山文部科学大臣が旧統一教会との関りがあったことを糾弾されていますけれども、すごいのが、証拠があるのに知らんふりなのですよね。

ですから、自分のが外に出るようなことがあり、それを知っている人間がいるのであれば、それを闇で始末する。脅迫しておく、証拠隠滅は当たり前ということになるわけですね。森加計そばの事件で自殺した赤城さんも、その犠牲者といえるでしょうし、役人が彼の残したファイルを奥さんの元へ回収しに来たのもうなづけるわけです。

ベジータが好きだと言う人は多いと思います。しかし、プライドというのはこのように、そんなにいいものではありません。嘘を実にして振る舞ってしまうのですから、それが原因で、この世界に損害を与えてしまうのです。

プライドを大事にするより、もっと大切なことがあるはずなのですが、人は自分自身の実を見つめることができないのです。

もう一ついい例があります。それは、エヴァンゲリオンのアスカです。彼女は使徒と対決する際、自分の心の中を覗かれてしまいます。あれは、自分のプライドで守っていた実の自分が、使徒に見られてしまったことを意味します。本当は隠しておきたかった自分の秘密なのです。それがきっかけで、彼女は精神病にかかってしまうのでした。

プライドは、虚と実のバランスを良くすることによって問題を解消することができますが、これは結果論で、急激に自分と実を向かい合わせると、精神的なダメージを負ってしまうことがあるのです。

なぜなら、プライドが高い人間の深層心理は、実の自分を見ないで、虚の自分を見ていたい、という心理の表れだからです。つまり、本当の自分から、常に目を背け続けているという心の反動が、プライドの高さに直結しているということもできます。

だからこそ、自分の間違いを認められなければ、自分の欠点を認めることもできずにいる。そういう状態が作られて行ってしまうのですね。この社会は、プライドが高い方が、社会的地位も高くなる傾向にあるので、プライドの高さは、半分いいものであるかのように扱われています。

ところが、プライドを持っている本人自身は、やっぱりどこか心が空虚、虚しさを感じており、常に他者の目を意識しながら、本当の自分を見ぬかれはしないかと、心のどこかで張りつめたものを持っているものなのです。

彼らはプライドと一体化し、優れた人間になっていることもあれば、プライドが悪い意味で高すぎて、無反省のまま肥大化してしまったヤクザのようになっていることもあります。ベジータのように本当にある程度強かったり、アスカのように、美人で本当に優秀な子がプライドの高い子であればまだいいかもしれませんが、プライドだけがとりえの、内面が全くない人間は、その実態は、何も成長していない赤ん坊ということになるのです。

だから、ヤクザは赤ん坊だと言われることがあるのです。

プライドは、自分の実像と一致する程度に持つ。それが心穏やかでいられる秘訣なのではないでしょうか。

さらなる応用
プライドの応用から、さらに応用してみましょう。プライドの正体は、自分の実と向かい合いたくない心でした。プライドの高い人の社会的地位が高いのは、自分ではない何か別の者になりたいからです。自分自身を見つめていたくはないので、自分以外の、何か別の者。例えば、医者や弁護士など、社会的に見て地位が高いと思われるような人間です。その立場を獲得することができれば、自分は、もう自分ではなくなって、医者になる事が出来た。弁護士になる事が出来た。そう思えるのです。

そして、皆それを通して自分を見てくれます。このように、職業フィルターや学歴フィルターというのは、非常に強力で、自分のプライドを守るためには、大変役に立ちます。

しかも、自分自身と向かい合う必要もなくなり、大嫌いだった自分自身とはおさらばできるのです。しかし、これは精神医学的に見れば大問題なんですよね・・・。まぁ、本人が幸せならいいかもしれませんが・・・。だって、自分自身を見つめる機会から、それだけ遠ざかって行くということになりますから。

さらに応用

ベジータをはじめ、プライドの高い人間が他人に対して対抗意識を持ちやすいのはなぜか、これでもうお分かりだと思います。プライドが高い人間は、自分のを他者に認めさせたいところがあるのです。しかし、自分よりも高いを持っている人間がそばにいたらどうなるでしょうか?

みんな、その人の方をすごいと思い、自分のをすごいとは思ってくれません。とすれば、自分のをすごい状態へ持って行かなくてはならなくなるのです。そうすると、やることはただ一つ、そのライバルのを、自分自身が超えることなのです。

ベジータは、悟空の修行の邪魔をしたり、陰湿な嫌がらせをするような男ではありませんでした。つまり、卑怯な手段で相手のを上回る行動をとることはありませんでした。しかし、現実はもっと過酷なのです。卑怯な手段はなんでもありです。特に利用されるのが噂です。噂は、他者の虚をコントロールする手段であります。他人の悪い噂を流すことによって、他者の虚を低めることができます。こうなると、みんなその噂の方を信じて、その人が持っている虚を通して、その人を見なくなるのです。

どうしてみんなが噂を流したりして、他人の情報をコントロールしようとするのか、それは、噂を流す人間たちのプライドが関わっているということができそうですね。

悪いプライドがあるのだとすれば、それはこういうことです。とりあえず相手のよりも自分のの方が周りよりも上回ればよいのですから、陰湿な嫌がらせによって相手の虚を減少させたり、本人が勝手にこけてくれることが、何よりもありがたいわけです。プライドが高く、一方で自分に実がなく、自分に自信がないものほど、他者の悪い噂を喜び、関心を示すのもこのためなのです。

道を踏み外すとき

自分のが誰にも通用しなくなる時がくるのを人は恐れるものです。年を取るのも怖い。財産を失うのも怖い。地位を失うのも怖い。そして、周りの評判を失うのも怖い。

特に、自分の評判を失うことが怖いというのは、プライドからくるストレートな恐怖だと言えます。だから、もし自分に対抗馬がいて、自分の虚を周りが意識してくれなくなると、どうしても焦って、即座に虚を補おうとします。

そうするとき、人は盗作によって他者の考えを盗んだりすることがあります。

プライドは、自分を見つめず、自分の虚というものを見ていたい心理があるわけですが、その虚というのは、自分以外のものによって与えられているものなのです。自分の評判も、周りが与えてくれているものにしかすぎません。自分のものではないのです。ここが、とても勘違いしやすいところです。

虚ばかり追いかけ、虚ばかりに振り回される人間というのは、「自分がない」人間です。自分の最大の敵は、自分自身ですね。

どんな場合でも、のほうがよりも圧倒的に高くなっていくと、人でも、組織でも、国でも、ヤクザ化していくのです。




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