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『僕が出会った風景、そして人々』⑥

家庭教師のこと。
舎人で生活を始めて間もなく、近所の高校生の家庭教師を頼まれて勉強を教えることになった。

その後、口コミでどんどん依頼が来るようになり、一時は小学校2年生から高校3年生まで10人以上掛け持ちで教えた。週2回、1時間半から2時間の勉強時間で、ほぼ毎日2軒ずつ回っていた。夕方5時から始まり、遅いところで10時まで教えていた。
 したがって、子供達が学校へ行く朝から夕方までは自由時間となる。夜はほぼ毎日外でお酒を飲んでいたので、小説を書くのは深夜から朝方にかけてが多かった。そうそう、大学だが、3年になるときに辞めてしまった。この件についてはいろいろあったのだが、長くなるので、また別の機会にお話ししてみたい。

さて、深夜の執筆(あるいは殴り書き)だが、アルコールをしこたま吸収した後に書くのだから、最初のうちは字も内容も乱れっぱなし。夜明け前ぐらいから次第に調子が上がり、いい感じで書けるのは2時間ほど。そして、世間の人々が学校や会社へ出かける頃合いになって布団に潜り込む。そんな生活を数年間続けた。若かったからできたのだろう。

もっとも、舎人を出た後も同様の生活を繰り返した。
 そのツケが今になって回ってきたようで、体のあちこちが悲鳴をあげてポンコツ状態だ。

そのころの僕はほぼ毎日、Mのような飲み屋さんでお酒を飲んでいた。お酒だけが目的なら、家で飲む方が格段に安上がりだ。そんなことは誰でもわかる。では、いったいなぜ?

人間ウォッチング?はたまた、小説の勉強のため?いやいや、そうではない。今、思い返してみると、やはり、当時の僕は人恋しかったんだろう。
 物書きになるために大学を辞めたにもかかわらず、心底、小説に打ち込んでいるわけでもない・・・。
 日々、どうしようもない不安と焦燥にかられつつ、かといって、そんな自分を正当化することもできず、自らを追い詰めていたような気がする。

当時の僕は、いわゆる「私小説」にあこがれ、自分の生活そのものを小説にしようとしていた。しかも真剣に。馬鹿馬鹿しいほどに純粋で、つまりは無知だったから、そんなことができたんだろう。

僕は当時のことを懐かしく思い出すと同時に、「いつか再びあの頃のように後先を考えず、糸の切れた凧みたいにあてもなく飛んで行ってしまいたい。」

今でも時々、そんな誘惑に駆られてしまう。

少しだけHな話。
 本題に入る前に、赤提灯M(その②で登場)のお話をもう少し。
 Mの常連客は面白い人が多かったが、その中でよく覚えているのが、NさんとTさん、そして大工のSさん。
 この3人は、赤提灯Mにほど近い長屋の住人だった。NさんとKさんは30代半ばと年齢も近く、どちらも東北出身ということもあり、仲良しだった。
 大工のSさんはかなり年配(50歳ぐらい)だったが、飄々としてとぼけた感じのオジサンだった。本人曰く、中央大の法科卒とのことだったが、法律に詳しいとはとても思えないところが僕は好きだった。

さて、ある晩Мで飲んでいたとき、僕があまりにウブな(?)ことに業を煮やした彼はこう言い放った。「よし、オレがお前を男にしてやる!」
 そして、僕はなかば強引に「石鹸の国」に連れて行かれた・・・。
(英語の直訳です。noteさん、お願い。18歳以上向けに分類しないでね。)

後で聞いたら、Mのママがかなり心配していたらしい。息子が危ない遊びを覚えるのを心配する母親の心境に近かったのだろう。

少女の思い出ふたたび
Yちゃん

「その④」でご紹介した焼き鳥屋「〇〇由」の娘さん。
4人兄弟の長女で、僕のことを「〇〇(僕の苗字)のお兄ちゃん」と呼んで、よくなついてくれた。
 彼女が小学校6年生の頃から家庭教師を頼まれて、お店の奥の部屋で一緒に勉強したのだが、お店の方から焼き鳥の美味しそうな匂いがしてくるわ、お客さんたちの与太話も聞こえてくるわで、あまりいい環境ではなかった。
 一家の自宅は少し離れたところにあったのだが、両親が店をやっているものだから、子供たちは学校から帰るとみな、店の奥に集まって食事をしたり、お風呂に入ったりしていた。
 そういうわけで、このままでは子供のためによくないということで、繁盛していた店を畳むことになってしまった。

Yちゃんが高校に入って間もなく僕は舎人を出たのだが、その後も時々手紙を書いて送ってくれた。手紙の中には、日々の出来事や家族のこと、勉強のことなどが、高校生の女の子らしい文章でしたためられていた。
 彼女が高校を卒業して就職した後も、しばらく文通が続いた。何度か舎人にも行き、一緒にお酒を飲んだこともある。
 赤提灯Mにも2度、連れて行った。その後彼女が書いてよこした手紙には、「Mさんの雰囲気、とっても好き。でも、なんだか男の世界って感じで、私なんかがいていいのかなって、思っちゃった。」と書かれていた。
 いつしか手紙も途絶えてしまったが、当時の僕にはもったいない、本当にいい子だった・・・。

さて、そろそろこの辺で、舎人の思い出はいったんおしまいにしよう。
 学生時代、日記や創作ノートに、日々の雑感や思いついた文章、悩みや不安などを書き連ねておいて、本当によかったと思う。
 こうして数十年もたった今、それらを読み返すと、部分的にではあるが、当時の出来事や僕自身の心の動きが、生き生きと蘇ってくる。
 良かったこと、悪かったこと。青春時代のさまざまな経験が、僕という人間を作りあげてくれたんだと思う。
 今はすべての出来事、交流のあったすべての人々に感謝したい。そしてnoteよ、ありがとう。
 最後まで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。

オマケ
普段は記憶の引き出しにしまってある、大切な思い出の数々。
 僕は時折、そっとその引き出しを開けて、お世話になった人々、触れ合った人々のことを思い起こす。時には、大切な記憶の一部をなくしてしまったことに気づいたり、反対に、忘れていたはずの記憶のかけらが見つかったりする。

そんなことを繰り返しながら、僕はとにかく前を向いて歩いてきた。
 時には後戻りしたり、どっちに行こうか迷って途方に暮れたこともあるけれど、もがいているうちに、なんとかなってきたような気がする。


僕が過ごした青春の日々は、常に失敗の連続で、いつでも、どうしようもなく不安で、心もあやふやで揺れ動いていた。けれど、なぜか底抜けに明るくて、バカなことを一生懸命やっていた。

楽しかったなー。

終わり
(・・・いや、もしかしたら、続くかも。)









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