見出し画像

健康になる方法はすでに江戸時代に答えが出ていたんじゃないかという話〜養生訓/貝原益軒


結論は江戸時代に出ていた?

健康情報は世に溢れています。
不健康になりたい!という人はまずいないでしょうし、どこかしら皆、不調があったり健康面で不安を抱えていたりする。
そういう人たちにとって、インスタントな回答というのは目をひくのだろうと思います。

かくいう自分も、健康でいることを人生の重要なテーマの一つとしていて、あまりテレビは見ないものの、ネットや書籍で情報を収集し、良さげなものを普段の生活に取り入れていくというのを繰り返しています。

・腹八分目にしましょう
・過度な飲酒は控えましょう
・バランスよく食べましょう

こんなことは、文字化されるまでもなく大事であることはもう常識かと思います。
冒頭にした養生訓という、江戸時代の学者 貝原益軒が著した本をAudibleで聞きました。
第一に思ったのは、
「今、よく言われてる健康情報ってもう江戸時代からわかってたやんけ!」
ということw

もちろん、当時は分析のEBMなんて言葉も精密な測定機器なんかもなかったでしょう。でも、貝原益軒をはじめとする江戸時代の人たちは経験的に「中庸」が大事であることがわかっていた。
面白いですよね。

体の声に耳を傾ける

ウエアラブル端末という単語も昨今の流行り。
apple watchなんかは使っている人が多く、装着しているだけで体温、心拍数、睡眠時間等色々なデータが記録できます。
前述の通り、自分は多少?健康意識高い系おじさんなのでoura ringという指輪型のガジェットも海外から輸入して一時期使っていました。

アメリカなどでは、apple watchの心拍測定機能を用いて、心停止を含む以上が確認された時には自動で救急に連絡がいくようなシステムまで構築されているそう。
最新技術があってこそできる技といいますか、心臓の病気や以上で亡くなる方も少なくないので、それで救われる命があれば素晴らしいことだと思います。

一方で、こういう技術の進展した現在から、貝原益軒が養生訓を著した過程を眺めてみると、もしかしたら、現代の人たちは測定機器に任せて自分の体の声に耳を傾ける能力というかセンサーを失ってはいないか、とちょっと心配になる部分があります。
極端な例ですけど、例えばちょっと熱っぽいなと思った時に体温計で測って確認するというプロセスを考えた時に、熱っぽい・なんか違うと感じるセンサーが弱まるのって、結構危ないんじゃないか。
そんなことも思ってしまいます。

今、養生訓を読む意味

どうなれば健康になるかというかという知識はあるものの、なかなか習慣化できないのが人間の性。
腹八分目が良いと頭ではわかっていても、美味しそうなものを目の前にすると腹がはち切れるくらい食べたり。記憶をなくするくらい痛飲したりw

今養生訓を読んでも、目新しい健康知識が手に入ったりすることは正直ありません。
ただ、じっくり読んでいる(聞いている)と、

・習慣と自分の体の状態をきちんと把握しようと努め、体系的にまとめ上げた努力
・測定機器なぞほとんどない状態で、現代の科学で証明されるようなことを経験的に導き出していた身体感覚

にある種の畏怖の念を感じざるを得ないわけです。

現代医学的には、サンプルが少なく貝原益軒が健康習慣を維持したから長生きしたのか、たまたま長生きだった(83歳まで生きた)のかはわかりませんが・・。

日頃の習慣のチェックリストとしても使えそうです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?