見出し画像

東日本大震災と原子力発電を取り巻く環境の変化(3)

で、実際問題として、審査会合は物申す側の「規制側」、是が非でも再稼働をしたいので納得してもらいたい「事業者側」とのせめぎ合いのような形になります。
興味のある方はyoutubeでもその様子がご覧いただけるので、見てみてください。

確かに、福島第一の事故という歴史的にも類を見ない経験をした日本。もっと広くとらえると、原爆を落とされ、さらには自然災害が多発する日本。
そんな環境下で、規制側も「2度と事故を起こすまい」という気概を持って事業者側の説明を吟味する必要があるのはいうまでもありません。実際、「想定が甘すぎるのではないか?」といったような指摘も数多いです。
で、そんな規制側と事業者側の先生〜生徒のような構造があるもんだから、指摘により事業者側の作業も増え、結果として審査の期間が長期化するというのが実際のところです。

電気料金値上げのニュースがとっと前にメディアを騒がせました。
だからといって、規制側の手を緩めろ、とか、なあなあにやって早く早期再稼働をというつもりは毛頭ありません。安全に完璧はありませんが、そこは規制側も手をいてはダメでしょうし、事業者側も同じ気持ちかと思います。
ただ、このような構造・体制が国民のためになっているのか?というのはもう少し冷静になって考えるべきかと思います。

最終的に再稼働に至り、利益を享受できるのであれば(安全はもちろん確保された上で)早いに越したことはないはずです。
場合によっては重箱の隅を突くような質問への対応であっても、事業者側としては認めてもらうために・許可をもらうために受け入れて対応せねばならないような状況になっています。
「安全だから」という印籠を武器に、あれやこれやと要求を突きつけるだけではなく、厳しさと客観性を持った上で、相互に協力しながら国民にとって最大限良い環境を整える。そんな取り組みが必要な気がしています。

電力崩壊という本のなかで、竹内さんは原子力に関するアメリカでの事業者の姿勢について触れています。それによりますと、「原子力発電で事故が起きた場合、どれくらいの賠償が生じるかわからない。ある一定程度以上の賠償については、自分たち(事業者)ではなく、国が責任を持つということを明示してくれなければ、施設は持てない(持たない)」という姿勢で、事業者側から国に物申す形で、法なり制度が整備されたのだとか。

日本が〜、とか、外国が〜とばかりいってても話は進みませんが、外国の方が全てにおいて素晴らしいというつもりはありません。
でも、日本の事業者側は、もしかしたらもっとワガママになって良いのかもしれないとも思います。

国の政策の転換で、原子力発電にとって追い風が吹いているとも言える状況です。
でも、状況を見ているに、自分に十分なお金があったとしても、原子力発電事業に乗り込もうとは到底思えません。政治・地元合意に関する不確実性、司法の判断も二転三転、いつ終わるのか見通せない審査、膨らむ安全対策費。投資をしても、運転できるか・費用が回収できるかという点で不確実性が多すぎるからです。

全世界的にカーボンニュートラルを考えると、今後も原子力発電は重要なポジションを担うことは明白です。
もう少し建設的に、そして、国民と世界のためにより良い道はないのか、そう思う今日この頃です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?