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東日本大震災と原子力発電を取り巻く環境の変化(1)

ご存知の方も多いかもしれませんが、東日本大震災から10年以上が経過し、特に当時若かった方なり興味が薄かった方は、原子力発電所を取り巻く環境の変化を漠然としか認識できていない部分があるかと思います。
自分の頭の整理も兼ねて、つらつらと書いていきますので、もし興味がある方がいたらご覧いただけると幸いです。
原子力発電に賛成というかたも反対という方もいるかと思います。
なぜ賛成なのか、なぜ反対なのかを整理していただける機会になればと思っています。

福島第一原子力発電所前後

東日本大震災で福島第一原子力発電所で事故が起き、原子力発電を取り巻く環境はそれ以前とそれ以降、で綺麗に分断される形になりました。
日本の主たる発電方法である火力発電では、日本ではほとんど取れない化石燃料が使用されていることはみなさんご存知の通り。で、さらには発電時に多くの二酸化炭素を発生させてしまうというデメリットもあります。
細かく挙げると値段であったりと色々と挙げられますが、大きくは

・発電に用いるエネルギー源の安定性:
  地域的に偏在していない、エネルギー密度が高く備蓄が効く
・発電時に二酸化炭素を排出しない:
  原理的に排出量ゼロ

という2点で、火力発電に比べ原子力発電は優位性があります。
福島第一の事故の前からもこのことは認識されており、エネルギーのベストミックスを考えた際、ベースロード電源の1つとして今後も活用されていくだろうというのが多くの人の見方だったかと思います。
2000年代のことを思い返してみると、テレビ報道などでは時々原子力発電に反対!といった人たちを取り上げた報道はありましたが、今ほどは目立ってなかった印象です。一部、反対の人も存在していたけど、これまで多くの事故もなかったし、安全・安いなら使っていっても良いのではないか。多くの人が原子力発電に対して抱いていたのはそのような思いだったかと思います(もしかしたら、発電方式なんて全く意識してない人も多数だったかも)

震災の時のこと

地震発生時、自分は新潟県にいました。
当時、ちょうど新潟市内で講習会の最中でして、立ってられないくらい大きく、長い揺れが続きました。何か、よからぬことが起こっていることは直感的に分かりました。ただ、東北地方が大変なことになっているのは、当然ながらわからず。
しばらくして、講習会主催者から「東北地方で大きな地震が起きたらしい」という情報が入り、そのまま講習も中断。急ぎ会社に戻りました。
新潟は幸い停電もなく、テレビで情報を得ていました。
見た記憶のある方も多いかもしれない、あの「ヘリからの津波の映像」を見たのはそんなタイミングでした。連続する海岸線が、黒い濁った津波に飲み込まれてく。
ちょっと現実離れしていて、すぐには実感を持てなかったように記憶しています。

実家が仙台なので、急ぎ両親や兄妹に連絡を取ろうと試みるものの、不通。
無事が確認できたのもその日の夜だったと記憶しています。
内陸部なので大丈夫であろうと予測はしていたものの、もし何かあったら・・・と気が気じゃありませんでした。
翌日、新潟から仙台に戻りました。何が必要かもよくわからなかったのですが、断水と停電の情報だけは得ていたので、ホームセンターで購入できる物資を買っていったのを覚えています。カップ麺とか。
ガソリンがなかなか給油できないのが意外でした。新潟では問題なかったのですが、山形に入るとスタンドには長蛇の列。生まれて初めてみる光景でした。
ちなみに、仙台ではしばらくガソリンが手に入りづらい状況が続いたので、新潟で自分の車のガソリンを満タンに給油+携行缶にガソリンを詰めて仙台へというの数回続けました。

私の両親は秋田の田舎出身。
特に父親の家は横手の山奥。高校には原付で通っていたそうですが、満タンにしても往復分の燃料が持たないため、缶にガソリンを詰めて持っていくというレベル。
豪雪地帯、雪下ろしもきちんとしないと家が潰れる。
そんなところで逞しく生きてきた人間。

苦労しているだろうな、と思って新潟から車を飛ばして仙台の実家に着くと・・・

昔の結婚式で使ったとかいうどでかいローソクをテーブルの中央において灯りとし、ご飯を召していらっしゃいました。
「二度と使わないと思ったら、ついに使う日が来た!」
のだそう。
あ、この人たちは大丈夫そうだと肩の力が一気に抜けました。

福島事故の報道

津波と地震の被害も甚大でしたら、それと同等、もしくはそれ以上にセンセーショナルだったのが福島第一の報道でした。
水素爆発の映像が繰り返し流れ、やばいんじゃないか、という雰囲気でした。
海外の友人からもFacebook経由で「FUKUSHIMAがやばいらしいじゃん。無事か?」というメッセージをもらいました。
事故の検証委員会による報告書もまとめられており、吉田所長の奮闘ぶりをまとめたドキュメンタリー、書籍もまとめられているので、当時の内容については朧げながらでもご存知の方は多いかと。

で、この事故をきっかけに原子力規制庁の設立なり、新規制基準なるものが制定され、原子力発電を取り巻く環境は大きく変化することとなりました。


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