Jun Jono

30歳を過ぎて、語学留学の名目でウェリントンへ。いい仲間たちができ、もう一度行くことに…

Jun Jono

30歳を過ぎて、語学留学の名目でウェリントンへ。いい仲間たちができ、もう一度行くことにした。その時語学学校から紹介されたのが、今も年末に泊まりに行くファミリー。「20年だね」と言われたので、いい区切りと思い、これまでのことを記しておこうと思いました。他の街や国のこともついでに。

最近の記事

キャッスルマン病のこと

 写真はウェリントン近郊、お土産屋さんに居ついていたネコさん。  おじいさんとおばあさんのことをかなり書いてきたので、今後はウェリントンとその周りの街のことを書いてきたいと思います。しかし、一番初めの投稿で、自分の病気のことを詳しく書きませんでした。こんな病気もあるんだな、と知ってもらえると嬉しいです。  今、自分の抱えている病気はキャッスルマン病、特に私の場合は特発性多中心性キャッスルマン病と言います。厚生労働省から数年前指定難病に加えられました。全国で1,500人くら

    • PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年(14)

       写真はウェリントン駅。今は新しい車両になり、これらのタイプは走っていません。赤いのが特に古い車両でした(普段出てこない、リバイバルイベント走行でした)。  語学学校に通っていたころ、担当の先生が陪審員の仕事があるとのことで、代役の先生が来た。こちらの人にしては小柄でやせた男性だった。小麦アレルギーで食事が大変とのこと。「ニュージーランド人はね・・・。」という話が結構ためになった。この人は一歩引いた目でニュージーランドを観察しているようなところがあり、その話が自分は結構好き

      • Poppaと7Nannyと~ウェリントンに通って20年(13)

        写真はウェリントンの港。豪華客船がたびたび寄港します。  再婚してから、アーニーさんは奥さんとの連名のメールアドレスで、たびたびメールをくれた。しかし、同じメールアドレスで、おばあさんが亡くなったことを伝えてきた。  やっぱり、そうなったか。前回の訪問でいやな予感がしていたのだが、その通りになってしまった。  亡くなる前の訪問から、やはりおばあさんの暮らしぶりが気になり、上司に頭を下げて、1日早く休みをもらい、ウェリントンへ向かった。そして、家族のクリスマスに加わり、その

        • PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年(12)

           この子の歌声、天の神様に届くんじゃないか。  オークランドに住んでいる末っ子のバートさんが再婚することになった。私はクリスマスの時期はウェリントンのおばあさんのもとに行くのだが、参加していいよとなったので、ウェリントンに行く前にお邪魔することにした。するとおばあさんはサーシャさん付き添いで参加することになり、私は空港でおばあさんたちを待ち、一緒に会場へ向かうことにした。。  結婚式、といっても新居の庭と車用のスペースを利用した、手作りの式だ。テーブルの上にはケータリングの

        キャッスルマン病のこと

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年~(11)

           写真は、ウェリントンから北に行ったフォックストンという町で偶然撮ったスズメ。こちらのスズメは人との距離が近い気がする。  「最近、よく眠れないんだよ。」  おばあさんからくる手紙は、たいてい家族に近況を書いたもので、孫が学校で先生にほめられたとか、身近な話題が中心で、自分のことは「元気だ」ぐらいしか書いていなかった。しかしおじいさんが天に召された今、書かずにいられなかったのだろう。  「まいったな。どう返事すればいいのだろう」と考えつつ、二人の寝室を思い出した。もちろん中

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年~(11)

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年~(10)

           写真はウェリントンの北西となり、ポリルアのNorth City Shopping Centreで靴を買ったときの箱です。取っ手がついて袋いらず。靴は中国製ですが、デザインはニュージーランドのメーカーです。  この年末に、ウェリントンに行き、長女のサーシャさんの家に泊めてもらい、少しですが夏を過ごしてきました。久しぶりにおじいさん、おばあさんのお墓参りをしました。「お墓きれいにしに行くけど、来る?」というのでついていったのです。  お墓は、芝生で覆われているので、陰気臭いと

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年~(10)

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年~(9)

           写真はニュージーランドの地元書店チェーンのもの。これはオークランドの店です。ウェリントンではなくてすみません。  2005年暮れ、去年と同じ日にウェリントン空港着。おじいさんは今回も迎えに来てくれた。といっても今年一時期入院していたから、心配していたのだ。さすがに運転はオークランドから帰省中のアーニーに代わってもらっていた。しかし杖を持っているとはいえ、あまり頼らずにすたすたと歩いてきた姿に、「この年齢で快復するなんてすごいな」と思い、安心した。  この2年前、おじいさ

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年~(9)

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年(8)

           Absolutely Positively Wellington  私が初めてこの街に来たとき、市はこのような標語を掲げていた。正直にいうと、「活気がないなあ」というのがこの街の私の第一印象だったから、市がこういうメッセージを出すのももっともだったと思う。  ウェリントン駅から町を見ると3つの道筋があり、出口から右側に進むと商店が並ぶLambton Quayという通りで、百貨店のFarmersや大手書店のWhitcoullsがあります。商店やホテルが並ぶFeathersto

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年(8)

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年(7)

           海外旅行のお土産、というとチョコレートは定番の一つでしょう。ニュージーランドを代表するブランドは、イギリスに本社のあるCadburyでした。南島のダニーデンに工場と見学施設があり、町の観光スポットにもなっていて、私も一度訪れたことがあります。なのでMade in New Zealandと書かれたチョコレートをスーパーで買い、よくお土産にしていましたし、日本でも輸入食品の店でみつけることもできました。  しかし2018年この工場が閉鎖となり、オーストラリアの工場製のものが販売

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年(7)

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年(6)

          写真は2022年大晦日、ウェリントンで行われたカウントダウンイベント。  前にも書いたが、おばあさんは左足が少し不自由だった。ゆっくり歩を進めるたびに、左に傾き、そして元に戻る。でも不思議に転んだことは全くなかった。最初のホームステイから2年後の再会では、空港の中を歩いてきておじいさんと共に私を迎えてくれたことを今でも覚えている。    おじいさんもおばあさんも、朝は早起きではない。自分がトーストなど自分で用意し、学校へ行く支度ができるころに起きてくる。おばあさんは浅く食卓

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年(6)

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年~(5)

           (写真の公園は、ウェリントンから北東方向にあるマスタートンという町の公園です。ニュージーランドワインの産地の一つ、ワイララパ地方の中心の町です。)  おじいさんは90歳まで、寝たきりにもならず、長生きした。おばあさんのおかげなのかもしれない。といっても何か尽くしてがんばった、ということでもない。  おばあさんは少し足が不自由で、歩くときには左側に1回傾き、次に元の姿勢になって、のっしのっしとゆっくり歩いていた。長くは歩けないが、家の中を転びもせず歩くのである。洗濯もでき

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年~(5)

          PoppaとNannyと(4)~ウェリントンに通って20年

           前回は寄り道でカフェの話でした。  ホームステイでお世話になるのが、老夫婦の家庭となったとき、おじいさんのほうに私は興味を持った。日ごろ、どんな一日を送っているのだろう。  私は祖父、という人を知らない。父方も母方も生まれる前になくなっていた。古びた写真の中の人であった。だから、この夫婦の日常が、私にとってはとても新鮮だった。  先日、高見映(高見のっぽ)さんが亡くなったというニュースがあったけど、おじいさんは彼と似たようなイメージであった。面長で細身で背は高め。よく

          PoppaとNannyと(4)~ウェリントンに通って20年

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年~(3)

           サッカー女子日本代表チーム「なでしこジャパン」が今、ワールドカップで活躍しています。先日のノルウェーとの試合、ウェリントンのスタジアムで行われました。  試合の途中、「風の影響が・・・」という実況が聞こえましたが風の街、Windy Wellingtonと地元でも言われます。首都、という以外これといった観光資源がないようですが、あるんです。  アメリカのCNNが、ウェブサイトで2019年に8つのベストなコーヒーの飲める都市をとり上げており、その8番目にウェリントンが挙げられま

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年~(3)

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年~(2)

          ホームステイでおじいさんとおばあさんの家にお世話になったのだが、子供は全部で6人の大家族であり、家はその子供たちみんなが育った家である。 6人と言ったが末っ子が双子であったそうだ。そうだ、というのはこの片方の人には、会っていない。クリスマスに私は毎年行っているのだけれど、なぜ来ないかは分からない。 おじいさんはオークランドより少し南、ワイカト地方の中心、ハミルトンという町の生まれ。ウェリントンでタクシードライバーをしていた時、おばあさんがお客だったそうだ。おじいさんはなく

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年~(2)

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年~

          初めて投稿します。よろしくお願いします。なお、人物名は私を含め、すべて仮名です。 語学留学すると、ホームステイ先はよく、その学校から紹介される。1回目の時は母親と就職したての息子の2人家族だった。2回目がこのあと世話になる家族なのだが、家自体はおじいさん、おばあさんのだけが住んでいるが、子供が6人おり、特に近くに住む娘2人がよく出入りしていた。 そのうち、スーザンの息子はまだ小さく、働きに行く間この家で預かっていた。その子がおじいさんをPoppa、おばあさんをNannyと呼

          PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年~