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PoppaとNannyと(4)~ウェリントンに通って20年

 前回は寄り道でカフェの話でした。

 ホームステイでお世話になるのが、老夫婦の家庭となったとき、おじいさんのほうに私は興味を持った。日ごろ、どんな一日を送っているのだろう。

 私は祖父、という人を知らない。父方も母方も生まれる前になくなっていた。古びた写真の中の人であった。だから、この夫婦の日常が、私にとってはとても新鮮だった。

 先日、高見映(高見のっぽ)さんが亡くなったというニュースがあったけど、おじいさんは彼と似たようなイメージであった。面長で細身で背は高め。よくガレージで古木を使って、何かを作っていた、そんなところがのっぽさんに似ていた。

 おじいさんは、いい意味で生きることに関して力みがなかった。おばあさんの家事を手伝い、それで十分満ち足りていた感じがした。日ごろは足が少し不自由なおばあさんのために、車を運転し、食後の皿洗いも彼の仕事。それが終わると、テレビを見ながら夕刊の新聞(今は朝刊に統一され、名称も変わった)に載っているクロスワードパズルを、「クロスワード・ディクショナリー」片手にきっちり解いて、床に就くのであった。

 趣味は釣りで、月間の釣り雑誌を宅配してもらっていたが、私と出会ったときは、行っていないようだった。釣果を誇る記念写真が飾ってあり、この時で満足したかもしれない。家に会ったボートはかなり古びていた。

 熱中できるものを追い求めることなく、日々穏やかに過ごしていく。かと言って、寂しくもない。愛する人がそばにいるだけで十分。そんな幸せもあるのだなと思い知らされた。

 おじいさんは、体に不自由なところはなかった。だから、少し年齢が離れた年下のおばあさんの手となり足となれた。だから、ふと「おじいさんがいなくなったら」と考えたら、少し怖くもなった。

 おじいさんは、40歳の時におばあさんと再婚し、金婚式まで行えた。その様子が手紙には書いてあり、おめでとうと返事した。しかし、その後、考えていたことが現実となった。

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