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PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年(6)

写真は2022年大晦日、ウェリントンで行われたカウントダウンイベント。

 前にも書いたが、おばあさんは左足が少し不自由だった。ゆっくり歩を進めるたびに、左に傾き、そして元に戻る。でも不思議に転んだことは全くなかった。最初のホームステイから2年後の再会では、空港の中を歩いてきておじいさんと共に私を迎えてくれたことを今でも覚えている。
 
 おじいさんもおばあさんも、朝は早起きではない。自分がトーストなど自分で用意し、学校へ行く支度ができるころに起きてくる。おばあさんは浅く食卓のいすに腰掛け、ラジオを聴きながら、トーストをぼりぼりかじる。ぽろぽろパンくずが落ちるのに皿も使わない、そんな姿が思い出される。
 
 私が学校から帰るころ夕食を作っているのだが、おばあさんは一人でやっていた。そして食べるときには、神様に感謝の言葉をささげるのもおばあさんだった。家のことを仕切るのはおばあさんだった。終わるとかたずけはおじいさんの仕事。おばあさんはその間、ソファーに移ってたばこを一本味わう。その姿に貫禄さえ感じた。おじいさんは結構年上だが、おばあさんの命令で動いているようにも見える。今考えると相互補完関係なのかも。それが穏やかな暮らしの秘訣だったのだろう
 
 この後はテレビを見たりラジオを聞いたりして、適当なころに眠る。日中は何をしているのかとはいつも気になっていた。ただ、最初のころは次女の一人息子、つまり孫が日中は預けられていたので、何かと世話していたようだ。とはいえ、最近の日本の「じいじ」「ばあば」とは違い、甘やかさず、言うべきと思うところはきちんと言っていた。
 「こっちにいらっしゃい」という感じで自分が座っているところに呼び寄せ、悪い言葉を使ったときなどに、まさに説教をしていた。さすが日曜日に教会の礼拝にいくだけあるなあ、と思わせた。孫はきちんと聞いていた。この子は問題も起こすことなく、成人している。学校に通っていた時も、この子はよく先生に褒められていたと聞いていたが、この「説教」が聞いていたのかも。今考えると、この子はおばあちゃん子だったな。いつもニコニコしていたから、おばあさんのそばでは。
 
 ある夜、おばあさんはクッキーを作っていた。丸い生地におじいさんがチョコチップをくっつけていく。「お客さんやその子供に用意しているのよ。」と言ってくれた。その光景が、いま、とても懐かしい。

 アイルランドから移ってきたので、おばあさんの親族はアイルランドにいる。クリスマスの日、時差を見計らって、電話をかけるのが恒例だったが、おじいさんがなくなってから一度だけ、長女に付き添われ、飛行機で二泊三日かけて帰省している。でも、ニュージーランドに「帰って」いる。親族のいない土地で暮らす気持ち、聞いておけばよかったかな。

 二人が穏やかに暮らしているのを眺めて、こちらも気持ちがほぐれていたのだが、高齢ゆえ、お別れは覚悟していたつもりだった。それでも二人の姿はすぐ、そんな覚悟を忘れさせていた。しかも長生きだったから。しかし、おじいさんがなくなってから、この家族は大きく変化した。

 続きはまた。少し町のこと、自分のことを書いてから改めて二人とその家族のことを書きます。
 

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