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PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年(14)

 写真はウェリントン駅。今は新しい車両になり、これらのタイプは走っていません。赤いのが特に古い車両でした(普段出てこない、リバイバルイベント走行でした)。

 語学学校に通っていたころ、担当の先生が陪審員の仕事があるとのことで、代役の先生が来た。こちらの人にしては小柄でやせた男性だった。小麦アレルギーで食事が大変とのこと。「ニュージーランド人はね・・・。」という話が結構ためになった。この人は一歩引いた目でニュージーランドを観察しているようなところがあり、その話が自分は結構好きだった。
 ある日、「よく、How are you? は習うでしょう。返事の仕方はいろいろあるかもしれないけど、ニュージーランド人は多少具合が悪くても、元気だと返事するんだよね。相手に心配させないようにね。」

 おばあさんに、How are you? と訊くと、Not bad at all. 悪いところは何もないわ、と答えていた。いつでも、だれにでも。

 おばあさんが亡くなった年の暮れ、私は長女のサーシャさんの家に泊めてもらうことになった。彼女はこの家族のスポークスマン的なところがあり、おばあさんの亡くなる前の様子をたくさん教えてくれた。

 私の前では気丈に振舞っていたおばあさんだが、やはり気持ちが不安定で、眠れないときもあったようだ。また自分も気づいたように手が震えるなど、不自由さも増え、日常の行動一つ一つがしんどくなってきたようだった。
 「大変だったのよ。ごはんを全部食べたように見せて、椅子にぶら下げているハンドバッグにかくして、でカビが生えちゃって。」たぶん、食べるのも面倒くさくなっていたのだろうか。いや、もうおじいさんのところに行きたかったのではないだろうか。

 サーシャさんがある夜、電話をしたら、「今までは元気だと必ず返事してたのに、その日はじめて『疲れたよ』と返事したの。その晩、おじいさんと眠っていたベッドで亡くなっていたのよ。」神様に召される、という言い方があるけれど、人知れず苦しい思いをしていたおばあさんを、神様が救ってくれたのかもしれません。

 これからは、少しずつ、街のあれこれをまた書きたいと思います。

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