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自分に少し制限を与える

最近、珍しく人と飲みに行く機会が続き、外食が続いて帰宅も遅くなったりした。
その翌日は、やはり胃のもたれ感があり、食欲はないので、梅肉エキスをなめ、重曹クエン酸ドリンクや自家製のハーブティーを飲んで、お昼過ぎまでは食事をしないでおくと、少しづつ空腹感が生まれてくる。

忘れていた空腹感|junchan (note.com)


この感覚を改めて意識してみると、長年の一日3食という固定イメージが植え付けられ、自分自身の腹時計がなおざりになってきたことに気がつかされる。

一日3食、2食の是非というよりも、長年の習慣で固定化されて無意識に3食を繰り返している状態は、誤解を生むかもしれないが、ある意味、依存性に近い要素を含んでいるように思う。

栄養学的には一日に〇〇種類の栄養素を摂る、朝食は抜かずに規則正しく3食を摂るというのがベースにあるが、現実は、そのパターンを全ての人に適用することにはやはり無理があるかと思う。

お酒も、3年前に眩暈や耳鳴りでかなり苦しんだため、半年ほど断酒した。
2,3日断酒をすれば、それが習慣化していくが、逆にアルコールを飲みだすとそのことが習慣化さらには依存性を生んでいく。

また、眩暈や耳鳴りを誘発したスマホを長時間閲覧する習慣化によるストレート首も無意識で繰り返してしまうため、なかなか抜け出しにくい。
スマホの閲覧するアプリの時間制限や、夜はスマホを観ないよう引き出しにしまったり、フォローする人を絞りこんだりと色々な工夫はしてきたが、無意識の沼は、さりげなく忍びこんでくる。

この習慣化は、依存性から抜けるための手立てにもなりうるし、その逆もありうるように思う。
3食もお酒もSNSも、すべて同じ一括りにはできないと思うが、ベースは自分の身体の感覚を声を聴いていくとことに尽きるのではと思う。

奇しくも、最近、図書館で借りた「きれいな心のつくりかた」石崎貴比古著
を読んでいたところ、「何気なくしていることをやめてみる」という内容に
目が止まった。

現代は飽食の時代ですから、自分で制限しなければ、いくらでもおいしいものやぜいたくなものを食べることができます。(中略)
イスラム教のラマダンではないですが、食を制限することによって、逆に食べ物のありがたみが実感できるようになるはずです。(中略)
私たちは携帯電話を持つようになってから、本当にプライベートな時間がなくなったように思います。
ですから、ときには半ば強制的に通信機器の使用を控えることも必要です。
これは自分の生活を見直す意味でも、有効なのではないでしょうか。
このように行動を少し制限してみる、少し不便を感じてみることは、自分自身の内面と向き合うことにつながるのです。

きれいなこころのつくりかたより一部引用


まさに、3食、デジタルデトックスに意識が向いていた矢先でもあり、同じ方向性の意識に触れることで、内側でとても強調されるものを感じた。

言うまでもないが、ここでいう行動を少し制限するというのは我慢をするという感じとは異なると思う。

むしろ自分の本来の感覚を取り戻すために少し制限を加えるということが、
ストレスになると本末転倒になるので、この点の見極めも大切な要素かもしれない。

いずれにしても食欲やお酒、SNS等に対して、少し制限を加えていくことで、自分自身の内側で何が起こっているのか、どのような意識エネルギーが生まれているのかを認識できることにつながるかと思う。

無意識に繰り返していることを意識していくことは、松村潔先生が言われるには天王星が働くと言われており、それはマルセイユタロットカードでいうと11番の「Strength」のカードに該当する。

11番の「1+1」の2は私のエンジェルナンバーでもあり、チャートルーラ―天王星、タロットカード、エンジェルナンバーが繋がっていることが認識できた。


自家製のハーブティー
(ホーリーバジル、レモングラス、レモンマートル)



家人にもハーブティー煎れ秋うらら

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