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沈黙のちから


元旦の震災に多くの方と同様に私自身も無力感を味わった。

金沢に住む俳句仲間の顔が先ず浮かんだので、彼にメールを送った。
初期の津波警報には対応し、すぐに家には戻れたが、継続する余震にびくびく過ごしているとの返信があった。


 きしくも年末から読んでいる若松英輔氏の「沈黙のちから」という本の冒頭の「悲しみに出会う」の章の最初の六行が、とても象徴的であったので、その文章を引用させていただいた。

冷たい風が肌を突き刺すようなあの日、悲しみとは何かを知った。それまでは、悲しさという概念を頭で理解していただけで、己れの悲しみを生きてはいなかった。
大きな悲しみもなければ、小さな悲しみもない。存在するのは、ただ一つの悲しみであるという素朴な事実を知らなかった。人生には、悲しみという扉を開けなくては知り得ないことがあることも、また、悲しみは悲しみのままでは終わらないことに気がつくのにも短くない時間が必要だった。

若松英輔氏の沈黙のちからより引用



本書のタイトルにもなっている沈黙のちからという言葉にも詩形から生まれる余情、情緒の中に普遍的な意識が生まれ、それにより人と人との繋がりが育まれていくように思う。

場がなければ絵を描くことができないように、沈黙がなければ音楽を奏でることはできない。空間がなければ彫刻を置くことはできず、香りが舞うこともない。色、音、香りなど私たちが感覚するものはすべて、余白によって包み込まれている。
宮澤賢治に「無声慟哭」という詩がある。天空を揺るがすほどの声になるはずの慟哭なのに、声にならない、というのである。
言葉にならない慟哭を、賢治は余白と沈黙というコトバによって歌い上げた。それを読む者もまた、言葉だけでなく、そこにコトバを感じなくてはならない。

若松英輔氏の沈黙のちからより引用


元旦に今年九十になる両親と妹夫婦たちと久しぶりに歓談した。
父は引き籠りがちの次男に向き合う私たち家族を鑑み、居間に小さな梅の鉢を買って置いていた。
父は、家庭の事情もあり、やくざ的な激しい生きざまを選択して、綺麗ごとではなく本質的な深い情をもって自分自身、他人とも向き合ってきた。
梅を指さしながら、私の家族が明るくなればいいな、気に入ったら持っていってもいいぞと。それ以上は何も語らなかったが私の家族が少しでも明るくなることを願って購入したような口ぶりであった。


情深き父は語らず梅の花





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