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加藤寛慶大名誉教授がホリエモンをディスった理由とは??「福澤諭吉なら、今、こう言う」

みなさん、わたしのnoteをご覧いただきまして、ありがとうございます😀

以前、書いた記事のリライトです。
加筆訂正しました。

こちらは、2009年に発行された本です。

はじめに


もうそろそろ一万円札の任期満了を迎えようとしている福澤諭吉。
思えば大変長らくわたしたちの「富」の象徴として存在してきたわけです。
福澤は日本の経済成長期も、停滞期も、バブルも、凋落期も、ここ数年ではコロナというパンデミックもわたしたちと共に観てきたのですね。
氏は、天国でそんな日本人の姿をどのように感じ取ってきたのでしょうか。

福澤諭吉と言えば、日本最古の大学というものを設立した人で有名です。
これが、かの有名な慶應義塾です。

これは私塾ですから、正式に国として初めて認可されたのは東京帝国大学を筆頭とする、いわゆる旧帝国大学。7つあります。
ご存じのように、東大、北大、東北大、大阪大、京大、名大、九大ですね。

このうち、東大と東北大は仕事で縁があり、何度も足を運んでいます。
また、名大とは現在も業務上、連絡を取り合うこともあります。

卒業生でもないのに、図々しく訪れることもしばしばあり、親交が深い。
これも何かの縁なのでしょうか。。。。奇縁でしょう。

その後、この慶應と早稲田が私立大学として同じ日に正式に大学として認可されたと記録されています。
このあたりちょっと意外ですよね。

福澤と大隈重信は私立大学の開祖として、資金繰りには苦労されたそうで、そう考えると尊敬の念しかありませんし「学問」を広めるためにお金を集めるのに奔走して、さぞやご苦労されたことと想像に難くありません。

福澤はお金を借りるためにいろいろな人に声をかけていましたが、

「大学なんかやったって金にならんから辞めておけ」と諭されています。

しかし、江戸時代から明治時代に移行し、身分秩序が崩壊して、これからは、学問をする人が日本を動かしていくのだという彼の信念は揺るぐことはなく、命を懸けて、学問を世に広めようとした努力が伺えます。
ですから、彼は学者ではなく啓蒙家たる所以なのでしょう。

彼は新政府の一員として誘われても「官」より「民」を優先するという理念に揺るぎはありませんでした。

政府という国家権力よりも国民一人一人が学び、そして、国民が日本の政治を動かしていくのだという強い決意が彼を動かしたと思えます。
これをして「不撓不屈の精神」と呼んでも差し支えないでしょう。

国立(官立)VS民間

余談ではありますが、小生の連載中の拙作「コードネームは37109」では、
日本政府、すなわち旧帝国7大学VS民間大学のバトルストーリーを描いています。つまり、ダークセブン(旧帝7大学)対ユニバース(早慶上理+MARCH)という対立構造です。もう、お気づきでしたでしょうか。
これは原作漫画「仮面ライダー」の真の敵が実はショッカーという日本国家、政府そのものだったという衝撃に子供のころ驚いたことに起因していて、インスパイヤされたものです。

福澤諭吉は「学問のすすめ」で累計340万部のヒット作とさせて、現在の貨幣価値にして22億4400万を売り上げています。

当時の人口が3000万人くらいだったことを考えると、この記録はどんでもないことで、1万5000円もする高額本が飛ぶように売れたことにビックリです。

令和5年現在のベストセラー記録は黒柳徹子さんの「窓際のトットちゃん」で、600万部くらいですが、人口は1億人超え、定価も安価でしたので、以後もこの「学問のすすめ」ほどのセールスをたたき出すことはほぼ不可能と見られています。

福澤は、弟子の小幡徳次郎と共著とはいえ、莫大な利益を得て、これを元手に慶應義塾大学の経営を盤石なものとしたようです。

「学問のすすめ」おさらい


『学問のすゝめ』(がくもんのすすめ)は、福沢諭吉の著書のひとつであり代表作です。初編から17編までシリーズとして発行されました。初編のみ小幡篤次郎共著です。

1872年(明治5年2月)に初編が出版され、以降、数年かけて順次刊行され、1876年(明治9年11月25日)に十七編が出版され、一応の完成をみました。その後1880年(明治13年)に「合本學問之勸序」という前書きを加え、一冊の本に合本されました。

明治維新直後の日本人は、数百年変わらず続いた封建社会と儒教思想しか知りませんでした。本書は国民に向かい、日本が中世的な封建社会から、近代民主主義国家に新しく転換したことを述べ、欧米の近代的政治思想、民主主義を構成する理念、市民国家の概念を平易な比喩を多用して説明し、儒教思想を否定して、日本人を封建支配下の無知蒙昧な民衆から、民主主義国家の主権者となるべき、自覚ある市民に意識改革することを意図するものでした。

つまり、『学問のすゝめ』は、明治維新直後の日本人全体に向けられた啓蒙書であり、日本人が新しい時代に適応するための指針となるよう意図されていました。

ソース
(1) 学問のすゝめ - Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/学問のすゝめ.
(2) 【学問のすすめとは】内容を簡単にわかりやすく解説!!意味や .... https://nihonsi-jiten.com/gakumon-no-susume/.
(3) ガクモンノススメ特設ページ:[慶應義塾] - Keio University. https://www.keio.ac.jp/ja/gakumon150/.

福沢諭吉なら、今、こう言う―加藤寛インタビュー

こちらの書籍、文字も大きく平易な文体で書かれていて、とても読みやすい。誰でも楽に読めて理解しやすいです。

Amazon.co.jp: 福沢諭吉なら、今、こう言う―加藤寛インタビュー (オーディオブックシリーズ) : 寛, 加藤, 緑, 宮崎: 本

福澤の時代と今の時代が似通っている。
日本が経済的に世界に後れを取っていて窮地に立たされている。

それを筆者である加藤寛と宮崎緑がインタビュー形式で対談している。
そこから、この現状打破の布石として頂きたくご紹介に至りました。

当時、嘉悦大学学長だった、加藤寛さんと、千葉商科大学教授(現・学部長)の宮崎緑さんの対談集。

加藤さんも宮崎さんも慶應出身の方で、福澤諭吉直系の弟子と言っても差し支えないだろう。

加藤さんは慶應の教授をしつつ、湘南藤沢キャンパス(SFC)を創設されたことは余りにも有名な話。そこでも教鞭をとられた。

氏の略歴は以下のように華々しいもので、官民問わず、大活躍されて、
勲一等の栄誉も授かっている。日本の経済学者としてトップクラス。

まさに福沢諭吉を語るうえで、なくてはならない存在でした。
でした、と過去形になるのは、氏が既に鬼籍に入られた人であるからです。

加藤/寛(かとうひろし)
1926年岩手県生まれ。経済学者。経済学博士。通称はカトカン。

学歴
1956年慶應義塾大学経済学部卒業、1952年(昭和27年) 慶應義塾大学大学院修士課程修了。1955年(昭和30年) 大学院経済学研究科博士後期課程満期取得。 ハーバード大学大学院留学。1966年(昭和41年)9月22日経済学博士(慶應義塾大学)博士論文は『ソ連経済の成長方式』。
(慶應義塾大学において・学士・修士・博士号を取得) 

職歴
慶應義塾大学経済学部教授(現、名誉教授)、同大学総合政策学部設立後、初代学部長、千葉商科大学学長(現、同大学名誉学長)、嘉悦大学学長、日本ファイナンシアル・プランナーズ協会理事長、元米価審議委員、元臨時行政調査会第四部会長、元税制調査会長、その他多数の学界外役職歴任。

教育者として様々な分野で活躍する教え子や弟子を輩出し、政界に小泉純一郎、橋本龍太郎、小沢一郎、学界に竹中平蔵、黒川和美、川野辺裕幸、丸尾直美、等々多数、経済界でも諸分野で活躍する人材を輩出している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

加藤学長(そう呼ばせて下さい)が、国家を憂い、政府を憂い、国民を憂い、全身全霊で、日本経済の発展に寄与された。そこには真摯な態度で向き合い、なんとかして、国民がよい暮らしと豊かな生活が保障される国づくりを考えておられた。
このあたりが、学長が志された福澤諭吉の意図するところであったように思えます。

加藤学長は、ここで、富裕層の為でなく、一般的な庶民、国民こそが、
学問のすすめの精神を実行し、政府にたよらず、各個人が“独立自尊”の気概を強く持つこと。
日本における主要技術は全て、中小企業にささえられているとの主張をされていました。

先に本著の感想から述べていきましょう。

現在を遡ること十年前の本とは思えないほど先見の明に溢れていますね。

福澤諭吉と同じような教育者であったのは他でも無く故加藤寛学長をもって他に無いでしょう。

経済学者であり教育者であった加藤寛を失った日本の損失は余りにも大きいといえます。

我々が福澤諭吉、加藤寛が遺した「独立自尊こそ全て」であるという気概を持って前に進まなければならないですね。
まさに必読の著です。

是非とも、大学生や、大学に行かなかった人にもお薦めしたいです。

見やすい日本語と大きなフォント。誰にも読めることを前提としているこの本はもうそれだけで素晴らしい本です。

わたしが、福澤の「学問のすすめ」でも、この加藤学長のもっとも、強調しているところは、学問とは「実学である」という点にあると思います。

昔でいえば、実学とは、読み書き、そろばんなどでしょうか。

実際に、実学を学ばなければ、社会に出てから役に立ちません。

ホリエモンをディスってる加藤寛さん


103ページ

加藤流「学問のすすめ」

加藤

「~(前略)~日本では金儲けのために勉強しているという人がけっこう多いのですね。最近は堀江某とかいう人もそうでしたね。「何をやってるんですか」と聞いたら、「金儲けをしている」って。」
金儲けをするなら国立大学なんか行くなとわたしは言いたい。税金でやっているのだからね。
金をもらったら、それを今度はみんなに分配しましょうと。これを福澤先生はちゃんと「学問のすすめ」に書いてあるのです。人間の世話をすることと保護をすることは別なのですと~(後略)」

情報社会まで予見していた福澤諭吉


福澤諭吉は、遠い時代の人でありながら、今の情報社会まで予想していたようです。 これは本当に驚くべきことですよね。何てすごいんでしょうか!

彼は現代のパソコンやインターネット、スマートフォン、SNSのような社会を漠然と空想していて、それを「インフォルメーション」と名付けていたそうです。

インフォルメーション、今で言うところのインフォメーションですね。

IT。つまりインフォメーション・テクノロジーという言葉。

今では当たり前のことですが、当時としては誰も予想がつかない、とても画期的で驚くべきことだったでしょうね。

なぜなら、英語が普及していない時代だったから、日本語で翻訳することができず、このような言葉を使っていたのだと言われています。

他にも彼は「経済」や「法律」「簿記」などの英語を日本語に翻訳していたことをご存知でしょうか。

そして、テレビも何もない時代に、彼は自室にいても電波で情報が流れてくる世の中が来ると考えていたようです。

このような先見の明を持っていた人は、世界でもほとんどいなかったようですよ。


最後まで、お読み下さり、ありがとうございました。よかったらスキ、フォローよろしくお願いします😉

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