テクノロジーの過信、人の革新
先日、NewsPicksアカデミアの藤原和博さんとDMMの亀山会長による「AI時代をどう生きるか」に参加した。
そのイベント内の流れで、藤原さんがリクルート創業者の江副浩正さんの話しをしはじめた。
いわく江副さんは「採用狂」で、銀行の重役の方とのアポイントメントをキャンセルして、有望な人材の採用面接を優先させたほどだそうだ。
採用に関するエピソードの中で最も驚異的だったのが「1年の採用費に76億円使った」というもの。
その時、リクルートは紙からデジタルへの変革期で、1000人の技術者を取ると決めていたそうだ。
そして76億円のうち32億円を使って、当時最先端のクレイ社のスーパーコンピューターを2台購入した。
しかし、そのうちの1台は結局1度も使わずに破棄したそうだ。
この豪快過ぎるエピソードを聞いて「変化を起こすのは結局『人』なんだ」としみじみと感じた。
テクノロジーが世の中を変える、と言われることもあるが、そのテクノロジーを使ったり受け入れるのは結局「人」なのだと。
スーパーコンピューターはデジタル化のツールではなく、スーパーコンピューターに惹かれた「未来の変革者」を集める客寄せパンタだったわけだ。
その後のリクルートの躍進ぶりはご存知の通りである。
前回のnoteにも出てきた「ポスト平成のキャリア戦略」に、このような一節があった。
テクノロジーもしょせんはツールなので、人間性の深い部分までは簡単に変えられない。それに社会が変わるのには時間がかかる。それなのに、シリコンバレー的な流れが日本にもすぐ来ると確信している。テクノロジーがユートピアをもたらすという錯覚を起こしているのです。
テクノロジーで人は簡単には変わらない。ただ、心を動かされるとあっさり変わってしまったりする。
心を動かすときには、人の感情に訴えかける必要があり、そこはまだテクノロジーが不得意な部分だ。
その感情を見極め、うまく落とし所を見つけることができる人が本当の意味での「変革者」になりうるのだろう。
変化を起こす必要が出てきた時は、まず変革者たり得る「人」を見つけることから始めようと思う。
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Photo by Eddie Kopp on Unsplash