伊藤銀次さん「ビートルズ・瞑想・音楽制作 ── 大切なのは“出発点”」
インドで瞑想するビートルズの姿をとらえたドキュメンタリー映画「ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド」。その劇場公開を記念して、ビートルズと同じ「超越瞑想(TM)」を学ばれたミュージシャンの伊藤銀次さんに、映画の感想や、瞑想と音楽制作の関係についてお話をうかがいました。
ビートルズは音楽を超えた存在
──自伝『MY LIFE, POP LIFE』を拝読しました。中学生の時にビートルズに夢中になって、クラスメイトをメンバーに見立てた架空のバンドのレコードジャケットを作った、というエピソードがとても印象的です。
銀次さん:妄想ですよね。僕は妄想を実現させてきたんです。ビートルズのように全米デビューしたかったし、できると思っていました。「なんでもできる」という感覚があって、それくらい彼らに憧れていたんです。当時は音楽がカルチャーだった時代で、ビートルズは音楽を超えた存在でした。彼らは西洋と東洋の文化ををつなげましたから、ファンは追いかけているうちに影響されてコスモポリタンになった。すごい時代を体験しました。
──今日は『MY LIFE, POP LIFE』の編集担当の荒野政寿さんにもご同席いただいています。以前からTMに興味を持ってくださっていたそうですね。
荒野さん:ビートルズやビーチ・ボーイズがきっかけです。リシケシュにも行きました。僕が行ったときも映画に出てくる写真展をやっていたので、撮影の時期と同じ頃かもしれません。
解散は自然な流れだと思えた
──銀次さんは映画について、「ある意味ピュアな青春映画のような趣もあってすがすがしい気持ちになった」とコメントされていましたが、他にはどのような感想をお持ちですか。
銀次さん:この後ビートルズが解散に向かって行ったのは自然な流れだったんじゃないかな、と思いました。TMを体験して、「本当に好きなことをやろうよ」と思ったのではないかなと。すごく良い感じでインドにいたんだな、と思いましたね。あと、僕もTMをしているのでジョージの話す体験談がよくわかりました。
荒野さん:ポール、ジョン、ジョージの3人はソロアルバムに入れる曲をこの時すでに書いていますよね。ジョンの「Child Of Nature」は「Jealous Guy」として発表されますし。映画を観ていると自然の流れでバンドが終わって行くのがわかりますね。必然というか。この後、シンガーソングライターが活躍する時代とも繋がっていきますよね。
演奏中に体験していた「超越」
──TMを学ばれたのは90年代の初めだそうですね。
銀次さん:当時町田にあったTMセンターのことを教えてくれた人がいて、そこで受講しました。精神的な世界についてはずっと関心を持っていたし、ビートルズがTMをしていたことも知っていましたけど、日本で学べるとは知らなかったですね。先生はTMについて、水の中をすーっと沈むというたとえで説明してくださって。
──「心は海のような深さを持っていて、TMは表面の波のレベルから奥底の深い静かなレベルを体験する」という説明ですね。
銀次さん:前から潜在意識っていうのは何なんだろうと思っていたんです。曲って「こういう曲を作ろう」と思って作るだけじゃなくて、いきなり浮かんだりする。作っている途中で違うアイデアが出てきた時に「違う」って言えることや、曲が完成した時に「これだ」と言えることも不思議でしょうがなかった。だって最初に作り始めた時は完成形はわかってなかったんですから。アーティストというのはいつも意識の表面から深いレベルを旅しているようなものですよね。「無」になるというか。説明を聞いて目から鱗でした。
アイデアは曲を作ろうと思う時には出てこなくても、リラックスした時に出てきたり、あきらめずにずっとその曲のことを考えていると時間が経ってから出てきたりする。普段は意識の深いレベルを体験することはできないけど、そこにはいろいろなものが眠っていること、いろいろな可能性があることに気づきました。それまで考えていたことを、実際にTMを体験して答え合わせができた感じでしたね。
──最初の指導でのTMはいかがでしたか。
銀次さん:たくさんの想念が出てきました。でも先生から「想念はいくら出てきても良い」と聞いて感動しましたね。だからナチュラルですよね。そしてコース中のある時、TM中に何も考えがない状態を体験しました。
──思考を超えた「超越」の体験ですね。
銀次さん:それまでもステージで演奏している時などに、思考が全くない瞬間というのは経験していました。それは眠っているのともまた違う状態なんです。
ムードに支配されなくなる
荒野さん:TMを始めた頃から、ウルフルズやザ・コレクターズなどプロデュース業が本格的に忙しくなりますよね。何か物の見方が変わったりということはありましたか。
銀次さん:ずっとソロ活動をやってきて、40代に入ってこれまでのノウハウを活かしたいと考えていた時期でした。自分ではよくわからないけど、作業している時にまわりのムードに全く支配されなかったというのはありましたね。ヴィジョンを立てて、それに向かって着々と駒を進めていくことができていました。ロックとかポップスってパーっとやったら作れるものではないんですよ。大瀧(詠一)さんから学んだことです。頭を抱えているわけではないけど、考えて作っていく。
荒野さん:「その人たちがここに行ったら正解」というのをいつもすごく冷静に見ていらっしゃるんですよね。
銀次さん:冷静に見ることができたのはひょっとしたらTMの効果だったのかもしれないですね。あと、無理矢理何かをしようとしてもそれはできないということがわかりましたね。もちろん自分がやれることはやるんだけど、実際に思った通りになるには、空気がそういうふうに流れて行く必要がある。
アイデアを見逃さない
──ウルフルズと言えば『MY LIFE, POP LIFE』の中に、古いデモ音源から『ガッツだぜ!!』の原形を見つけ出すエピソードがありました。
銀次さん:TMをしていると、見逃してしまうようなアイデアを見逃さなくなりますね。それはしょっちゅうありました。だけどそれは、自分が「こうしたい」と思っているから必要なアイデアを掴めるんだと思います。そうでなければ通り過ぎてしまいますよね。誰かに関心を持ったり、良い曲を作りたいと思ったりする、そのことが生きると言うこと。そしてそういう意識でやっていると勝手に物事が動いていくことがある。何かを置いておくと、勝手にくっついて動き出すとかね。そういうものの助けがなければ、何事もうまくいかないですよ。そういうサムシングが起こることが大事なんです。
「自然であることが効率性の基盤」というマハリシの言葉がありましたよね。他の人と意見が食い違っても、それをやわらかく伝えて「こっちが良いよ」と方向を示しているうちに自然の力が動き出すようになる。僕はただ「こっちが良いよ」と言っていただけかもしれないですね。
荒野さん:ご自身の楽曲でTMの影響が表れている曲はありますか。僕は『LOVE PARADE』(93年)で大きな変化を感じたんです。歌詞もこれまで言っていなかったことを言い始めたように思いました。
銀次さん:影響を受けてもあまり直接的には書かない方だけど、『DREAM TIME』はそうかな。 一種のユートピアみたいな世界だよね。
作品作りは「出発点」が大切
──今年はデビュー50周年、本当におめでとうございます。音楽制作について、ロックやポップスについて、あらためて思うことなどはありますか。
銀次さん:曲を作るとき、作業しているときは「これが売れる形だろう」とは思わないんです。自分がその曲に求めている、グッとくるとか、ワクワクするとか、そういうものしかなくてね。曲を作るのって出発点が大切なんです。「こんなのを作りたい」っていうね。結果は自ずとついてくる。長く音楽をやっていると技術が身についてくるので、全く曲が作れないということはないんです。だけど形を組み立てたからといって魂があるかどうかはわからない。自分が感動できるものじゃないとね。同じ瞬間は一度もないし、過去に良い曲を作っても次も良いとは限らない。いつでも新曲です。不思議でしょうがないけど、何百曲作ってもいつも何もないところから出てきて、このメロディは僕のどこにあったんだろうと思う。
ロックやポップスについて、「これだけたくさんの曲やメロディが出尽くしたからもう終わってるね」と言う人もいます。でも、たとえば「『Get Back』みたいな曲を作りたい」と言ってもそれは盗作ということではないんですよ。自分が好きな曲と同じ世界、同じ気持ちや雰囲気を持ったものを作るというのはクリエイティヴなことでね。そうやってバトンがずっと渡って来て、ポップスは綿々と続いているわけです。だからロックもポップスも終わっていないですよ。