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年初めの雑記-旅をするために生きて、生きるために旅をする。-

ドイツ語には「Warmduscher」という言葉がある。

直訳すると、温かいシャワーを浴びている人。

日本語にするなら、弱虫、臆病者といった意味を持つ言葉である。

(この言葉だけで、日独におけるシャワーの文化的意義の違いを感じるから興味深い。)


僕はこの言葉がなんとなく好きである。

というか僕を表している言葉のような気がする。

生暖かいシャワーを浴びる人。

コンフォートゾーンに居続けることが嫌いであっても、結局は暖かいシャワーの中にいるのが好きなのだ。

というか一体誰が冷たいシャワーを浴びていたいというのだろうか。


暖房の効かない部屋にただ座っているよりも、暖かい部屋で布団にくるまっている時の方が幸せだ。

夜に冷たい食事を食べるよりも、揺れる火を見ながら暖かいスープを口にする方が幸せだ。

僕は別にこれらをマイナスのことだと思わない。


旅や冒険は大好きだ。

自分の今まで知らなかったものを知っていくこと、自分の知識の範囲が広がっていくのを身をもって感じること。

柱につけた身長の印が、年々上へと進んでいく。

そんなような高揚感を覚える。


でも、僕は旅をしているときに常に自分の故郷を探しているのだと思う。

自分にとっての安寧はどこにあるのか。

クマが冬眠をする地中の洞穴のような、温もりを感じられる場所を求めているのだ。


僕には故郷と呼べる場所はない。

10歳くらいまで日本の中を転々と過ごし、その後は東京に身を置いてきた。

東京に住んでからも、ドイツに出たり、こうしてスイスに出たり、定住している気もしない。

人生の半分以上を東京で過ごしていても、「東京出身?」という質問に「そう、東京出身なんだよね」とは答えたくない。

自分が東京という街で過ごした時間から構成されているとは全く思えないからだ。

そうではなく、色々な都市を点々としてきたという、その複雑性自体が、自分という人間を構成している。

だからこそ、旅をしているときは自分にとって故郷はどこなのか考えてしまうし、もう存在し得ない自分にとっての故郷の姿を追い求めてしまう。


去る年末年始はトルコを旅した。

イスタンブールのアジア側からヨーロッパ側に船で戻る時、僕は夕日のきらめくボスポラス海峡の水面に強く惹かれた。

アジアとヨーロッパをつなぎ、今はウクライナの天然資源の重要な輸出経路という意味も持つ。

様々な意味における間・境界に位置するこの海に、あらゆるものを受け入れてくれるような大らかさを感じたのだった。

あの海に抱かれながら水面を漂うことができたら、なんて幸せなのだろうか。


このような感情が、僕をまた次の旅へと掻き立てている。

旅先のあの景色が、僕に日々の生活を過ごす活力を与えてくれている。

そして、いつか出会う次の景色が、僕にこれからの希望を与えてくれている。


故郷がないということは、同時にどんな場所でも心の風景になる可能性を秘めているということなのだ。





孤独が好きかと言われれば、最近になって僕はもしかしたら好きではないのかもしれないと思うようになった。

2022年の一番大きな気づきかもしれない。

村上春樹の小説の登場人物一人一人に、この質問を投げかけてみたいものだ。


孤独は好きと言えるかもしれないが、同時に嫌いだ。

というか孤独を好き好む人なんていないと思う。

存在するのは孤独に耐えられる人たちか、本や音楽、映画などを通して十分に他者からの養分を取り込める人たちだ。

そもそも人間誰しも、他者がいなければ生きられない。


こう書いているけれど、僕は他者に必要以上にエネルギーを使いたくないという面も持ち合わせてしまっている。

例えば、よほどの関係性にならない限り、他者に怒るなんてことはできない。

怒ることの方が圧倒的に自分の精神をすり減らしてしまうからだ。

初対面の人と上辺だけの会話をすることも好きではない。

自分でも、なんて都合の良い人間なんだと思う。


最近までの自分は、他者からの養分が足りていなかったのだろう。

平日の生活に疲れると、夜は家に帰ってただ寝るだけのような生活になる。

いざ休みを迎えても、自分から他者に会いに行こうと思える気力はないし、気づいたらベッドの上で一日の終わりを迎えてしまう。

本を読んだり映画を見たりするのも億劫になり、ただ小さい画面をスクロールして休日を終える。

他者の不在がさらに生活の活力を失わせ、スパイラルが加速していく。

そんな状態にはまっていた。


だからこそ、忙しい時期が終わると同時に、他者との繋がりを求めるように文章のアイデアが湧いてきた。

料理もしっかりして、人間的な生活を取り戻さないといけない。

まずは毎日シャワーを浴びることからスタートしたい。





2023年は知らないうちに始まっていました。

2023年のとりあえずの目標は、「月に2回は日本食を作ろう」です。

ちなみに1月はあと1週間ほどでおわりますが、まだ1回も日本食を作っていません。

頑張ります。

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