Kaima

東京の大学生。ロングトレイルハイカー。 2024年3月までの2年間、休学してスイスで生…

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東京の大学生。ロングトレイルハイカー。 2024年3月までの2年間、休学してスイスで生活していました。 ロングトレイルや旅での体験を中心に、日々感じたり考えてたりしていることを記します。

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クングスレーデンの追憶

クングスレーデンの一部であるアービスコ・ニッカルオクタ間を歩いてから、もう1ヶ月以上の時が過ぎた。 それでもいまだに、毎日のように極北の地で過ごした7日間のことを考えてしまう。 きっとこれから毎年夏を迎えると、いつもあの広大な緑の世界を思い出すのだと思う。 クングスレーデンはスウェーデン北部のアービスコを北の始点とする、約400キロに及ぶロングトレイルである。 北欧で最も知名度のあるこのトレイルは、約150年間前から人々の足跡を残しながら、今なお多くのハイカーに愛され続けて

    • 【JMT#0】畏怖

      山の世界には43歳の壁と呼ばれるものがある。 植村直己、星野道夫、長谷川恒男、谷口けい…。 多くの著名な日本人の登山家・冒険家が43歳で命を落としている。 僕は今23歳。 山の世界の区切りの年まで、ちょうどあと20年が残されていることになる。 そんな節目の年に、僕はアメリカのジョン・ミューア・トレイルへと向かう。 日本を発つ日が刻々と近づいている。 約1年前に決心したこの山行が、果たして自分に相応のものなのか。 日々その疑いの念が強まっていく。 ジョン・ミュ

      • 青になびく

        人は複数の時間や場所、環境から構成されている。 あの時にいたあの場所はふとした瞬間に僕の前に現れる。 青の匂い。 それが今回、伊南で僕の中に刻まれたものだと思う。 これからこの記憶は僕を表し、僕を支えるものになっていくのだろう。 川の冷たさの中に、僕の生を感じた。 心臓が僕の体全体に血液を送る音。 遠くの山や遠くの海が空から降りてきた水を介して自分と繋がる感覚。 円の一部を成す自分として、その母なる円を愛するということ。 共鳴が生きる感覚を思い出させてくれた。 子どもたち

        • 青と白に包まれて

          白樺の木を見るとなぜか安心する。 焦茶色の樹皮を纏う木々が生い茂る中、白い幹は一際目立つ。 下界にはない木々を見ることで、自分は今都市から離れて、包まれた森の中にいるのだと確かめられる。 白樺と出会ったのは2023年9月に訪れた、ヘルシンキ郊外のヌークシオ国立公園が最初だった。 木々がのびのびと枝を伸ばすように、人もまた自然の恵みをめいいっぱい享受している。 人の生活と自然が切り離されることなく、自然な形で密接に繋がっている。 そんな環境で白樺が象徴的に根を張って

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        クングスレーデンの追憶

          渋谷が遠いものになっていく

          兎にも角にもノイズが多い。 これが2年ぶりに東京の生活に戻った感想だった。 電車内では広告が僕を見つめてきて、繁華街では乾いた音楽が耳に入ってくる。 ついこの前まで、純白な雪があらゆる音を吸収しているアルプスにいたのだから、この感想を抱くのも無理はない。 あの世界を構成していたのは、青い空と白い雪と小さな僕、そして時折耳を撫でる風だけだった。 まだスイスを離れてから約3ヶ月。 すでにもう、自分があの世界にいたことが嘘のように思える。 実体験を持った過去ではなく、他者の昔の記憶

          渋谷が遠いものになっていく

          「社会が社会問題について考える時間をくれない」問題

          昨日多くの人が「all eyes on Rafah」を投稿したことを受けて、自分のInstagramで以下のようなストーリーを投稿しました。 正直ここ数年で社会問題に対する自分の姿勢はだいぶ変わったと思います。 数年前であれば「社会問題に対して沈黙している人はそれだけで悪に加担している」というラディカルな意見でしたが、今はそうは思わなくなっています。 理由としては、そもそも社会の構造として「社会問題に携わるハードルが高すぎる」と感じる、というよりもむしろそういう認識が人

          「社会が社会問題について考える時間をくれない」問題

          April showers bring May flowers.

          スイスから戻ってきて、もうすでに約2ヶ月が経過した。 スイスで生活していた時の記憶は、もはや自分のものではないように思えてくる。 東京に戻ってきてから、いろんな面で自分はもう戻れないところに来てしまったんだなと感じる。 2年前に東京を出た時の自分と今の自分は明らかに違っていて、自分の中で大切にしている文脈は、他者の中では全く関係のない違うものとして存在している。 他者軸で生きるのはもうやめたつもりだったけれど、それでも今自分が考えていることや選ぼうとしていることは、多

          April showers bring May flowers.

          街と自然のあいだ

          2年ぶりに東京での生活に戻る前に、この文章だけは書いておかなければと思った。 気の向くままに筆を走らせる。 僕は東京が好きなのだろうか。 スイスに来るまでの自分だったら、好きじゃないと答えていたと思う。 小学校前半まで転勤族として、日本の地方を転々としてきた自分。 東京という言いようのない都市に自分を結びつけたいと思わなくて。 人生の半分強は東京で生活してきたけれど、東京に帰属意識を覚えたことはなかった。 出身地を聞かれても、親しくなりたい人には「元々転勤族で・

          街と自然のあいだ

          冬のミコノス島に憧れ続けて。

          今僕はエーゲ海の船にいる。 エーゲ海の船旅。 理想的なハネムーンを連想するような甘美な響きのする旅は、実際には曇天の薄暗い早朝に目をこすりながら始まっている。 時より吹く海風が、ギリシャには似合わない冷たさを運んでくる。 今回の旅の目的は、閑散期のギリシャの島に行くこと。 持参した本はもちろん、村上春樹の『遠い太鼓』である。 この本は僕にとって特別な意味を持っている本だ。 村上春樹は海外に暮らしていた頃の自身を「常駐的旅行者」と言い表したが、僕もこの2年間スイス

          冬のミコノス島に憧れ続けて。

          秋のスイスからアイスランドの荒野を思う

          (この文章は10月中旬に書いたものです。) スイスの街にも秋がやってきた。 最高気温が15度を下回るようになったから、すぐにまた冬へと移り変わっていくのだろう。 僕はまだ冬を迎える準備ができていないというのに、季節は無情にも足早に変わっていく。 記憶というものは思っている以上に脆いものだ。 一生忘れない。 そう思ったものですら、徐々に細かい情報から朧げになってくる。 まるで落葉していく木のように。 記憶の幹は残っても、あの日あの時に感じた枝葉は、日々風に揺られ

          秋のスイスからアイスランドの荒野を思う

          晴れた日曜日の朝、僕が歩くことについて思うこと。

          晴れた日曜日の朝。 開けた窓から入ってくる冷気が心地よい。 スイスではようやく暖房がつくようになったから、建物の中はとても温かくなった。 風に役目を終えかけた木々の葉が揺れて、少し乾いた合唱音がする。 こんな清々しい日を家で過ごすのも悪くはないなと思う。 先週、急に盲腸になった。 月曜日の夕方から変な腹痛がし始めて、夜にはお腹の右下に痛みが移った。 寝れないほど痛む時もあったけど、ぎりぎり寝られたから次の日には普通に仕事に向かったけれど、典型的な盲腸の症状だと思

          晴れた日曜日の朝、僕が歩くことについて思うこと。

          山と僕 初心者ハイカーが思うこと

          先日、あるスイス駐在の偉い日本の人がこう話しているのを聞いた。 「スイスの山ってもちろん綺麗なんですけど、どこも同じに見えるんですよね。一回行けば十分というか。」 咄嗟に反論できなかった僕はとても悔しかった。 大好きなスイスの山を侮辱されたような気持ちになった。 僕は日本の山はほとんど知らない。 日本アルプスに登ったことはないし、富士山にも登ったこともない。 東京近郊で一人でハイキングしに行くことはたまにあっても、山用の道具を買ったことすらなかった。 そんな僕がスイスで山

          山と僕 初心者ハイカーが思うこと

          1年ぶりの日本。一時帰国の総括。

          早朝に響く新聞配達のバイクのエンジン音を最後に聞いたのはいつだっただろうか。 1年間必死にスイスで生活して、なんだか身近なものの存在を忘れてしまったような気がした。 東京の夜の曇り空はうっすら灰色に光っていて、渋谷駅ではコツコツと人々の足音が響き続けている。 いつの間にかそんな当たり前なことが僕の記憶から消えていた。 この街では僕がいてもいなくても、いつもと変わらない時間が流れていた。 もう少し、帰ってきて違和感を覚えるものだと思っていた。 スイスを出る前は、てっ

          1年ぶりの日本。一時帰国の総括。

          スイス生活1年目を経た頭の中。

          今日久しぶりに仕事終わりに街に出た。 街の広場に向かい、遠くにある雪山を眺めながら本を読む。 日照時間が日を経つごとにどんどん伸びていく。 気温が少しずつ春に近づいていく。 初めて出会ったあの頃のスイスと再会しようとしている。 僕がスイスに来てから、1年が経った。 時の巡りはとても無情で、季節という鏡は1年前とほとんど変わらない自分の姿を映し出している。 この1年で得たものは沢山あるけれど、成長したかと聞かれればなんとも言えないところだ。 もっとも、人や時間の

          スイス生活1年目を経た頭の中。

          悪い天気なんてない。悪いのは服の方だ。

          アルプスの北側のヨーロッパの冬はどうしても好きになれない。 街全体に陰湿な空気が漂い、普通に暮らしているだけでもなんだか不幸せに感じる。 日照時間の不足はビタミンの不足へと移り変わり、鬱を誘発する。 今年のスイスの冬は少し奇妙だ。 12月は例年以上に寒さが早く訪れ、雪が積もった。 その後は極端に寒くなることはなく、近頃に至っては3週間ほどほとんど晴れの日が続く異常な天気になっている。 毎日遠くの山々が望めたことはとても嬉しかった。 けれど仕事が落ち着いて雪山に行

          悪い天気なんてない。悪いのは服の方だ。

          年初めの雑記-旅をするために生きて、生きるために旅をする。-

          ドイツ語には「Warmduscher」という言葉がある。 直訳すると、温かいシャワーを浴びている人。 日本語にするなら、弱虫、臆病者といった意味を持つ言葉である。 (この言葉だけで、日独におけるシャワーの文化的意義の違いを感じるから興味深い。) 僕はこの言葉がなんとなく好きである。 というか僕を表している言葉のような気がする。 生暖かいシャワーを浴びる人。 コンフォートゾーンに居続けることが嫌いであっても、結局は暖かいシャワーの中にいるのが好きなのだ。 という

          年初めの雑記-旅をするために生きて、生きるために旅をする。-