Kaima

(旧名:うみとうま) 東京の大学生。ロングトレイルハイカー。 2024年3月までの2年…

Kaima

(旧名:うみとうま) 東京の大学生。ロングトレイルハイカー。 2024年3月までの2年間、休学してスイスで生活していました。

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クングスレーデンの追憶

クングスレーデンの一部であるアービスコ・ニッカルオクタ間を歩いてから、もう1ヶ月以上の時が過ぎた。 それでもいまだに、毎日のように極北の地で過ごした7日間のことを考えてしまう。 きっとこれから毎年夏を迎えると、いつもあの広大な緑の世界を思い出すのだと思う。 クングスレーデンはスウェーデン北部のアービスコを北の始点とする、約400キロに及ぶロングトレイルである。 北欧で最も知名度のあるこのトレイルは、約150年間前から人々の足跡を残しながら、今なお多くのハイカーに愛され続けて

    • 街と自然のあいだ

      2年ぶりに東京での生活に戻る前に、この文章だけは書いておかなければと思った。 気の向くままに筆を走らせる。 僕は東京が好きなのだろうか。 スイスに来るまでの自分だったら、好きじゃないと答えていたと思う。 小学校前半まで転勤族として、日本の地方を転々としてきた自分。 東京という言いようのない都市に自分を結びつけたいと思わなくて。 人生の半分強は東京で生活してきたけれど、東京に帰属意識を覚えたことはなかった。 出身地を聞かれても、親しくなりたい人には「元々転勤族で・

      • 冬のミコノス島に憧れ続けて。

        今僕はエーゲ海の船にいる。 エーゲ海の船旅。 理想的なハネムーンを連想するような甘美な響きのする旅は、実際には曇天の薄暗い早朝に目をこすりながら始まっている。 時より吹く海風が、ギリシャには似合わない冷たさを運んでくる。 今回の旅の目的は、閑散期のギリシャの島に行くこと。 持参した本はもちろん、村上春樹の『遠い太鼓』である。 この本は僕にとって特別な意味を持っている本だ。 村上春樹は海外に暮らしていた頃の自身を「常駐的旅行者」と言い表したが、僕もこの2年間スイス

        • 秋のスイスからアイスランドの荒野を思う

          (この文章は10月中旬に書いたものです。) スイスの街にも秋がやってきた。 最高気温が15度を下回るようになったから、すぐにまた冬へと移り変わっていくのだろう。 僕はまだ冬を迎える準備ができていないというのに、季節は無情にも足早に変わっていく。 記憶というものは思っている以上に脆いものだ。 一生忘れない。 そう思ったものですら、徐々に細かい情報から朧げになってくる。 まるで落葉していく木のように。 記憶の幹は残っても、あの日あの時に感じた枝葉は、日々風に揺られ

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        クングスレーデンの追憶

          晴れた日曜日の朝、僕が歩くことについて思うこと。

          晴れた日曜日の朝。 開けた窓から入ってくる冷気が心地よい。 スイスではようやく暖房がつくようになったから、建物の中はとても温かくなった。 風に役目を終えかけた木々の葉が揺れて、少し乾いた合唱音がする。 こんな清々しい日を家で過ごすのも悪くはないなと思う。 先週、急に盲腸になった。 月曜日の夕方から変な腹痛がし始めて、夜にはお腹の右下に痛みが移った。 寝れないほど痛む時もあったけど、ぎりぎり寝られたから次の日には普通に仕事に向かったけれど、典型的な盲腸の症状だと思

          晴れた日曜日の朝、僕が歩くことについて思うこと。

          山と僕 初心者ハイカーが思うこと

          先日、あるスイス駐在の偉い日本の人がこう話しているのを聞いた。 「スイスの山ってもちろん綺麗なんですけど、どこも同じに見えるんですよね。一回行けば十分というか。」 咄嗟に反論できなかった僕はとても悔しかった。 大好きなスイスの山を侮辱されたような気持ちになった。 僕は日本の山はほとんど知らない。 日本アルプスに登ったことはないし、富士山にも登ったこともない。 東京近郊で一人でハイキングしに行くことはたまにあっても、山用の道具を買ったことすらなかった。 そんな僕がスイスで山

          山と僕 初心者ハイカーが思うこと

          1年ぶりの日本。一時帰国の総括。

          早朝に響く新聞配達のバイクのエンジン音を最後に聞いたのはいつだっただろうか。 1年間必死にスイスで生活して、なんだか身近なものの存在を忘れてしまったような気がした。 東京の夜の曇り空はうっすら灰色に光っていて、渋谷駅ではコツコツと人々の足音が響き続けている。 いつの間にかそんな当たり前なことが僕の記憶から消えていた。 この街では僕がいてもいなくても、いつもと変わらない時間が流れていた。 もう少し、帰ってきて違和感を覚えるものだと思っていた。 スイスを出る前は、てっ

          1年ぶりの日本。一時帰国の総括。

          スイス生活1年目を経た頭の中。

          今日久しぶりに仕事終わりに街に出た。 街の広場に向かい、遠くにある雪山を眺めながら本を読む。 日照時間が日を経つごとにどんどん伸びていく。 気温が少しずつ春に近づいていく。 初めて出会ったあの頃のスイスと再会しようとしている。 僕がスイスに来てから、1年が経った。 時の巡りはとても無情で、季節という鏡は1年前とほとんど変わらない自分の姿を映し出している。 この1年で得たものは沢山あるけれど、成長したかと聞かれればなんとも言えないところだ。 もっとも、人や時間の

          スイス生活1年目を経た頭の中。

          悪い天気なんてない。悪いのは服の方だ。

          アルプスの北側のヨーロッパの冬はどうしても好きになれない。 街全体に陰湿な空気が漂い、普通に暮らしているだけでもなんだか不幸せに感じる。 日照時間の不足はビタミンの不足へと移り変わり、鬱を誘発する。 今年のスイスの冬は少し奇妙だ。 12月は例年以上に寒さが早く訪れ、雪が積もった。 その後は極端に寒くなることはなく、近頃に至っては3週間ほどほとんど晴れの日が続く異常な天気になっている。 毎日遠くの山々が望めたことはとても嬉しかった。 けれど仕事が落ち着いて雪山に行

          悪い天気なんてない。悪いのは服の方だ。

          年初めの雑記-旅をするために生きて、生きるために旅をする。-

          ドイツ語には「Warmduscher」という言葉がある。 直訳すると、温かいシャワーを浴びている人。 日本語にするなら、弱虫、臆病者といった意味を持つ言葉である。 (この言葉だけで、日独におけるシャワーの文化的意義の違いを感じるから興味深い。) 僕はこの言葉がなんとなく好きである。 というか僕を表している言葉のような気がする。 生暖かいシャワーを浴びる人。 コンフォートゾーンに居続けることが嫌いであっても、結局は暖かいシャワーの中にいるのが好きなのだ。 という

          年初めの雑記-旅をするために生きて、生きるために旅をする。-

          ドイツ語学習者が英語について思うこと

          高校の時にドイツに留学してから、僕の英語に対する苦手意識はとても大きくなってしまった。 学び始めたのは英語の方が圧倒的に先だけれど、ドイツ語の方が何も考えなくても話せる状態になってしまった。 今日は英語(圏)について思うことを色々と書いていく。 ただ、これから書くことは偏見が多く含まれており、自分自身でも間違っていると思うことも多い。 ただ、英語以外に関心が向きがちな自分はそういうふうに感じてしまっている、ということ自体を書き表したいのでご留意いただきたい。 ・英語圏は「英

          ドイツ語学習者が英語について思うこと

          想像力の対象を広げること:写真との向き合い方

          先日ポルトガルを縦断する旅に出たとき、ユーラシア大陸の最西端、ロカ岬を訪れた。 崖の上から海を見下ろしたとき、海面に浮かぶひとつの岩に向かって夢中になってシャッターを切った。 ユーラシア大陸の東からやってきた自分からすれば最果ての地のような場所で、風雨にさらされ、ひとり孤独に波に揉まれる岩を見た時、そこに自分が映っているような気がしたのだ。 「自分」という存在を理解できている人はいるのだろうか。 僕は一番近くにいる存在である「自分」のことを理解しきれないという事実が、

          想像力の対象を広げること:写真との向き合い方

          ヨーロッパでの差別体験

          (差別的体験へのトラウマがある人はご注意ください。) 先日Twitterを見ていると、在独日本人界隈でこのWeltというドイツの全国放送への批判が殺到していた。 カタールW杯でのドイツの敗戦を報じるニュースで、Jimmy Hartwig氏がアジア人に対する差別的な言葉である、「Ching, Chang Chong」という表現を使ったことに対する批判だった。 正直この言葉が差別的であるというのを知ったのは、恥ずかしながら比較的最近のことだった。 ドイツではじゃんけんの掛

          ヨーロッパでの差別体験

          元転勤族家庭で身につけた処世術

          高校在学中にした1年間のドイツ留学のときも、僕はホームシックという状態にならなかった。 怒る人がいそうだけれど、そもそも親とはあの1年間で1度しか電話しなかった。 しかもその1回は、ヨーロッパに住んでいる自身の親戚を訪れた際、その親戚がうちの親と電話をしていたから話しただけで、自分から電話をしたわけではない。 流石に今回のスイス生活では、親に近況を伝えないと申し訳ないと思い、せめて2か月に1回くらいは電話するようにしている。 (それでも少ないと言われそうだけど) (LINEで

          元転勤族家庭で身につけた処世術

          写真・旅の収奪性について

          Twitterをスクロールしていると、このツイートが目に入ってきた。 https://twitter.com/asahara1966/status/1594758407235334144?s=12&t=0S-Elj53Yto7ROO4nLpKjg あんまりヨシダナギという写真家について知らないので撮影者の考えは推測できない。 仮にこれが本当であるとしたら残念だけれども、ただ写真や旅の特性を考えるとまああり得る話と思ってしまう。 山のように写真を撮って、さまざまな場所を

          写真・旅の収奪性について

          【旅の手記】2022.09.16 ノルウェー・スヴォルヴァー

          5時に起きる。旅の間は目覚まし時計の鳴る前に起きることが多い。ホステルの同部屋の人たちが起きる前に部屋を出た。外はまだ深い闇に包まれている。 バス停を探す。オスロ郊外のバス停なんて、正直目的地に着いたところでそこが本当に正しいバス停なのか分かるはずもない。ちょうど来た他のバスの運転手に聞いてみる。 「そこで合っていると思うよ」 その一言に安心してお礼を言った。バスから降りるともう一度ドアが開いて、 「次のバス停の方が確かだからそこまで乗ってきな」と言われた。 「ほら

          【旅の手記】2022.09.16 ノルウェー・スヴォルヴァー