「社会が社会問題について考える時間をくれない」問題
昨日多くの人が「all eyes on Rafah」を投稿したことを受けて、自分のInstagramで以下のようなストーリーを投稿しました。
正直ここ数年で社会問題に対する自分の姿勢はだいぶ変わったと思います。
数年前であれば「社会問題に対して沈黙している人はそれだけで悪に加担している」というラディカルな意見でしたが、今はそうは思わなくなっています。
理由としては、そもそも社会の構造として「社会問題に携わるハードルが高すぎる」と感じる、というよりもむしろそういう認識が人々の間で根強いからです。
これは社会問題に関わらなくていいという話ではなく、多くの人が社会問題に携わろうとする際に、どんな社会構造がその障壁になっているのかという話です。
僕の意見としては、社会問題の関与を呼びかけることももちろん意味をなしますが、もっと社会全体として潮流を変えていくためには、根本的な障壁をなくしていかなければならないと考えています。
まだ稚拙な内容の議論にとどまっていますが、少しでも議論を前に進めるためにこの状態で公開します。
また、今回の文章ではパレスチナにおける問題を念頭に置いていますが、以下で使用されている「社会問題」という言葉は、「政治」という言葉に置き換えてみても意味を成しているかもしれません。
・「社会問題に携わる」ことのハードルが高いと認識されている
実際にはハードルの低い関わり方は様々ありますが、人々の認識としてはこうなっていると感じます。
社会問題に関わるには、多くの背景知識が必要とされる(と少なくとも感じられてしまう)ため、包括的な知識を得る相当なモチベーションを持たないと、「関係のない社会問題」の状態が続きます。
ハードルの低い関わり方を知ることも、その情報を得るためにかけるコストが重いと(認識上は)判断されてしまっているため、実際に情報発信をする人たちの思いとは反対に、それが広まることは難しい状態が続いている気がします。
・SNSを「政治的発言をする場」と認識する人が少ない
そもそも、世間を見ていると政治的な行動への忌避をまず感じます。
その中でも、SNSという人と繋がる場において、さらに政治的な発言を忌避する傾向の存在は疑いようがないと思います。
政治参加への忌避については、例えば以下の論文の内容が関連すると思います。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejipm/78/6/78_II_574/_pdf/-char/ja
ただ、SNSがその人の全てを表すわけでもないですし、SNSで示される意見がその人の全ての意見でもないという視点は忘れてはいけないと思います。
・生活の中で「社会問題」に関わる余裕がない
周りの人たちの発信を見ていると、基本的に何かしらの発信をしているのは学生か、ジャーナリストや物書きなど、日頃からパブリックにアウトプットをしている人たちでした。
学生時代に社会問題に関心を持っていて今働いている人たちは、基本的にそういったアウトプットをしている人たちが少ない印象です。
ただ、今回僕の発信に反応してくれた人たちが一定数いるように、気持ちとしては社会問題について考えたいが、今の生活の中でそこまでの余裕がないという人たちがある程度いるのではないかと推測します。
これは最近話題になっている『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』で展開されている論理と類似しているものです。
1日働いて家に帰ると何もする気が起きない。
平日ずっと働いていると週末何をする気も起きない。
確かに、戦争の現場に生きる人のように死の危険が迫っているか否かのような観点では、明らかに余裕があるのはもちろんのことですが、実際の認識として社会問題について考える隙がないというのは存在していると感じます。
僕自身も2年間働いている間、結構そのような状態になっていました。
これは紛れもなく仕事中心の生活から逃れられないという社会構造の問題であり、ライフスタイルの多様性が確保されない限りは、社会問題について考える余裕も生まれないのではないかと思っています。
これは社会問題に関わっている人たちに比較的に余裕があると言いたいのではなく、ただ単に個人の実際の現実認識がそうなっているという話です。
余裕があるかどうかという話では、客観性ではなくその人から見えている主観的認識がものをいうはずです。
地球上の誰かが不幸な目に遭っているからといって、あなた自身が幸せに生きてはいけないわけではありません。
あなたが生活の中で不安や困難を抱えていることは、他者によって単純に否定できる話ではありません。
自分で「今の生活で何か他のことをする余裕がない」と認識している状態で、社会問題に関わるのは現実的に考えるとほとんど無理ですし、自分の認識に嘘をついてやり通そうとするのも、将来的にメンタルなどの面でガタが来ると思います。
僕の認識に基づく社会の現状を説明したところで、別に誰かの社会問題に関わろうとする意欲が増すわけではないと思います。
また、正直僕個人では解決策を見出すことなんてできません。
ただ、それでも何かこの議論が何かしらの方向に進めばと思い、今回突発的にこの文章を書いてみました。
また最初にも書いていますが、個人が社会問題について少しでも考えて行った行動は、その人がパブリックな立場の人であったり、デマが含まれていたりしない限り、僕は批判されるべきではないと考えています。
社会問題への関わり方について誰も何が正解か判断できないですし、「All eyes on Rafah」のストーリーであっても、例えばその人の意見を可視化したり、少しでも他者に影響を与えたりと、プラスの面で作用していると思うからです。
どの方法が正しいかという観点ではなく、その先にはどんな行動を実践できるのか、より影響力を与えるにはどうしたらいいのか、という建設的な観点で議論を進めていくことが大切だと思っています。
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