見出し画像

1年ぶりの日本。一時帰国の総括。

早朝に響く新聞配達のバイクのエンジン音を最後に聞いたのはいつだっただろうか。

1年間必死にスイスで生活して、なんだか身近なものの存在を忘れてしまったような気がした。

東京の夜の曇り空はうっすら灰色に光っていて、渋谷駅ではコツコツと人々の足音が響き続けている。

いつの間にかそんな当たり前なことが僕の記憶から消えていた。

この街では僕がいてもいなくても、いつもと変わらない時間が流れていた。




もう少し、帰ってきて違和感を覚えるものだと思っていた。

スイスを出る前は、てっきり小さな町での生活に慣れきってしまって、東京に二度と戻れないのではないかと思っていた。

でもいざ一時帰国してみると、川に流し入れたバケツの水のように一瞬で周りに溶け込んだ自分がいた。

あまりにも滑らかに社会に溶け込んでしまったものだから、自分の中で何を信じればいいのか分からなくなった。


東京は僕の目の中にある澱みや迷いに気づかなかった。

東京は僕を名前のない個人として平等に迎えいれた。

この街では僕は全く特別な存在じゃない。

自分が社会の中のマジョリティに属するということがいかに心地の良いことなのか、久しぶりに思い出せた気がした。


1年間1人でスイスに住んで、正直に感想を言うとしたら「疲れた」が最初に来る。

同世代もいない環境でマイノリティとして暮らすことがここまで辛いとは思ってなかった。

ドイツ語ができても英語で話しかけられ続けること。

何度も行っている見知った山について、相手の親切心から説明を受けること。

ある程度格式高いところでも、タメ口で話しかけられること。

言語が不自由であることから、知的に下に見られてしまうこと。

僕の肌には無数の小さな棘が刺さったままだ。

この国に何十年と住んだとしても、僕はただのアジア人としか見られないままなのだ。

スイスドイツ語がわからない僕に対してドイツ語で話してくれること。

結局スイス人同士の会話が盛り上がって、スイスドイツ語に戻っていること。

その優しさとやるせなさがただただ自分を刺してくる。


日本社会に違和感を覚えなければ、どれだけ幸せだっただろうか。

自分の利益の外側にある世界について知らないでいられたなら、どれほど楽だったのだろうか。

自分の前に立っている現実から逃げるように、僕はスイスに逃げ出したはずだった。


でも久しぶりの日本では、今までとは少し違う印象を抱いた自分がいた。

渋谷駅の階段を登る雑踏を改めて見つめると、人々の目の中に少しキラキラとしたものが見えた。

色んな人と再び話してみると、苦難や葛藤を忘れずに日本社会で働いている人たちがいた。

驕りを持った自分に悔いながら、日本で普通に働くことは別に迎合や逃げではないと思えた。


将来の道が明確になったわけではないけれど、自分には帰る場所があると認識できたことは大きかった。



人生のフェーズの境目には、どこかに渦潮のようなものがあって、僕はひとりそこでぐるぐると回っているのだろう。

海の中に引き込まれた後にしばらく経ってから、離れたところにぽっと浮かび上がる。

外から見ていると脈絡のないところに浮かんでくるように思えるけれど、自分からすると流れに乗って必然的にそこに辿り着くのだ。

僕が海面に出るまでは、まだ時間がかかりそうだ。


春の心地よい風が、迷う僕の背中を押している。

早く緑が芽吹いてほしい。そう思った。




さようなら、日本。また会う日まで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?