悪い天気なんてない。悪いのは服の方だ。
アルプスの北側のヨーロッパの冬はどうしても好きになれない。
街全体に陰湿な空気が漂い、普通に暮らしているだけでもなんだか不幸せに感じる。
日照時間の不足はビタミンの不足へと移り変わり、鬱を誘発する。
今年のスイスの冬は少し奇妙だ。
12月は例年以上に寒さが早く訪れ、雪が積もった。
その後は極端に寒くなることはなく、近頃に至っては3週間ほどほとんど晴れの日が続く異常な天気になっている。
毎日遠くの山々が望めたことはとても嬉しかった。
けれど仕事が落ち着いて雪山に行くようになってからは、それが必ずしもいいわけではないことに気づいた。
今年のスイスは慢性的な雪不足に陥っている。
去年の冬も雪不足だったらしいが、今年はどうもそれ以上らしい。
ユングフラウ地域では所々裸の地面が露出し、2月の中旬というのにもう冬が終わるかのような雰囲気すら感じられた。
スイス中のスキーヤーは、そんな現状に悲しんでいる。
先日、僕の住んでる街で久しぶりに雨が降った。
そこで初めて、ヨーロッパの冬の雨が嬉しいと感じたのだった。
鬱を誘う雲が雨粒を落とすことで、次の休日に行く山の環境が整う。
こんな小さなことだけれど、僕にとっては目から鱗のような発見だった。
ノルウェーのことわざにこんな言葉がある。
Det finnes ikke dårlig vær, bare dårlige klær.
訳すなら、「悪い天気なんてない。悪いのは服の方だ。」といったところだろうか。
何かを悪いと決めつけるのは、自分の視野の狭い考えだったり、必要のない他者からの圧力だったりする。
ただ、難しいのはそれを客観視できるまで視野の狭さに気づけないということだ。
自分の経験に依って作られた「当たり前」は、いつも通りの日々を送っていると疑いの対象にもならない。
これは必ずしも悪いことではなくて、生活を緩やかに前へと導く潤滑油のようにも機能している。
それでも時には、その潤滑油にも疑いの目を向ける必要があるのだと、改めて感じたのだった。
複雑そうに見える物事は、案外簡単に解決することもある。
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