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渋谷が遠いものになっていく

兎にも角にもノイズが多い。
これが2年ぶりに東京の生活に戻った感想だった。
電車内では広告が僕を見つめてきて、繁華街では乾いた音楽が耳に入ってくる。
ついこの前まで、純白な雪があらゆる音を吸収しているアルプスにいたのだから、この感想を抱くのも無理はない。
あの世界を構成していたのは、青い空と白い雪と小さな僕、そして時折耳を撫でる風だけだった。
まだスイスを離れてから約3ヶ月。
すでにもう、自分があの世界にいたことが嘘のように思える。
実体験を持った過去ではなく、他者の昔の記憶のように思えるほどに現実味がないのだ。

正直東京に戻ることは嫌だった。
確かに、僕のスイス滞在はこの時期に終わるべきだったとは思う。
もう一夏、スイスで過ごせたらよかったけれど、仕事のことを考えるとこれ以上いるべきではなかった。
でも東京には帰りたくなかったのだ。
人口十数万人ほどの規模感にすっかり慣れきってしまった自分にとって、延々と住宅が続く巨大都市に戻るのが怖かったのだ。
今や自分のアイデンティティの大きな一部となったこのスイス生活が、圧倒的な大都市での生活によって自分の記憶から消されることが怖かったのだ。

久しぶりの渋谷駅で、ひたすら人の多さにびっくりした。
自分の記憶が2022年3月というコロナ真っ只中で止まっているから、もちろんそこからのギャップに驚くのは無理もない。
それでも、この街に蟻の大群くらいの人が同時に存在しているという事実、どこへ歩いていくにしても人の流れに乗らないといけない事実に、ただ愕然とした。
同時に人を障害物として認識してしまった自分にも落胆した。

渋谷付近の中高に通っていたから、もう人生の10年以上はあの街と関わりのある時間を送っている。
僕は渋谷が好きだった。
世界のカルチャーの中心地だった時代は知らないけれど、それでも本屋やミニシアターなど、昔の時代の気概が残っていた。
でももう僕が最初に出会った渋谷は無くなってしまったと思う。
アップリンクは無惨な形でなくなり、東急本店とBunkamuraも建物の老朽化で今は無くなっている。
ヒカリエにストリーム、スクランブルスクエアにフクラス、最近できたサクラステージまで、もはや名前を追えないほどに新しい高層ビルが建っていった。
元々公園とは程遠かった宮下公園も、人を排除したのち、「公園と名のつく商業施設」という都市の矛盾になった。
下から文化を築き上げていく渋谷らしい気概はもう失われ、ガラス張りの高層ビルの乱立する特徴のないただの都市に成り下がった。
内向きの論理に支配された世界の人間たちが、自分たちの利益の範囲内での「まちづくり」を実現しようとした結果、結局人々の滞留する空間をなくし、座る場所を探す人たちがスタバの空席を求めて練り歩く状況になった。
まだ高層ビル群とは縁遠い奥渋谷の入り口には、サイバーエージェントのビルが鎮座し、Abemaという新しい渋谷を象徴するものを作り出した。
以前まで渋谷を作っていた若者たちは次第にこの街から離れ、下北沢や高円寺、さらには清澄白河など、人情味や街の独自性を求めて新しい居場所を希求している。

なぜここまで成長という神話を信じていたいのだろうか。
空元気のまま文字通り透明で朧げな虚構を作った結果、街の特色を失って自分で自分の首を絞めている。
そんな構図は彼らには見えないのだろうか。
そこまで頑張らなくてもいいのに。
単純に僕はこう思ってしまう。

街だってある種生き物だと思う。
今までの文脈を断ち切って、「こうあるべき」というトップダウンの変化を加えれば何かしらの不具合が生じる。
「白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」とはいったものだけれど、魚たちの環境を変えるには綺麗な理想論だけではうまくいかない。
生き物を扱う人たちはせめて慎重であってほしいと思う。
山に手を入れるときのように。


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