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🎹私と音楽🎶🎵

私は、高校の時に2年と3年で音楽コースに所属していた。音楽との出会いは、小学校1年から習っていたピアノで、小学校4年まで習っていた。(小学5年の時先生は、自死してしまった。)音楽コースでは、器楽でピアノと声楽と音楽理論をしていた。器楽(ピアノ)では、バイエルを使い、毎日のように練習曲を弾いていた。声楽では、コールユブンゲンという教科書を使って、ソルフェージュを学んでいた。授業で、声を何回も出すので、喉を痛めてしまうこともあった。音楽理論では、楽譜の書き方や作曲法、聴音などを学んだ。私は、部活動では、高校1年と2年で同じく音楽系のコーラス部に所属し、学校が、仏教の宗門校だったので聖歌隊もしていた。年に何回か、(入学式や始業式・終業式・宗教行事・卒業式)などで全校生徒の前に出て、ステージに登り聖歌隊として、聖歌を歌い、全校生徒の歌を引っ張っていかなければならないという緊張というか、責任があった。宗教行事の報恩講や、親鸞聖人の誕生日の藤まつりなど、歌う曲が必然的に増える。聖歌を覚えるだけでも大変だった。器楽で弾いていたピアノは、6年のブランクがあり、指を慣らすのが大変だったのくに加え、思ったよりも上達しなかった。声楽も、思うように上達はしなかった。歌は好きだが、思うように歌えないもどかしさがあった。中学の剣道で喉を酷使していて、痛めてしまっていたのもあり、かなり厳しかった。声が出ないのではなくすぐに枯れてしまう。1週間出すと、次の週には調子が悪くなって出にくくなるという具合だ。高音域はすぐに出なくなってしまっていた。その間隔が段々狭くなり、一日で声楽をやった日は、部活にも支障が出てしまい、うまく発声できず、音楽コースなのになんで下手なのと怒られる日々で、次第に仲間外れにされて、部活動のコーラス部との両立も難しくなっていた。そして、コーラス部を退部した。コーラス部のメンバーに、音楽コースの仲間がいてその人に怒られていた。音楽コースでは、卒業の前に卒業演奏会を行って、友達や家族、先生に聴いてもらう機会がある。私は、ピアノ独奏を希望していて、曲目も決めていた。ジャズに挑戦したいと思っていた。しかし、先生は、私が発達障害者で覚えが悪いからと曲目をバイエルの中の曲に決めて、連弾にしようと言ってきたのだ。言い返す余裕もなく、卒業の時だからと、先生との連弾を承諾した。弾きたい曲も弾けない歯痒さは、あったが、頑張って良かった。今は、ポップスを上手く歌いたいと思っており、ボーカルレッスンを受けようと考えている。

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