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『ハマヒルガオ』第1話:オオクニヌシの秘密?


あらすじ

国造りの神であったオオクニヌシは、大和王権によって制圧されてしまい、怨霊となった。オオクニヌシの怨念を恐れた大和は、呪力によってオオクニヌシを巨大魚の姿に変え、日本列島に丸ごと封じこめた。日本が魚の形をしているのはそのためなのだという。
 
阿泉六夏(あずみりくか)は、祖父の文斗(ふみと)に「阿泉家の歴史」について知らされる。祖父によれば、阿泉家の人間は列島に封じ込めらているオオクニヌシを解放できる特別な種族らしいのだ。

阿泉家と、日本の神々の間に一体どのような関係があるというのか? 六夏の関心は日増しに高まり、自分が「選ばれし人間」であることを自覚しはじめ、奇怪な事件を起こしていくことになる。

13話完結 88,430文字

第1話:オオクニヌシの秘密?


 生暖かい便座の上で、オーギュスト・ロダンの彫刻のようにうずくまっていた阿泉六夏(あずみりくか)は、出したいのに出ないという、自分の自由意志ではどうすることもできない腹部の痛みの葛藤に耐えながら、目の前の壁に貼られてある学研の日本地図ポスターを睨みつけていた。

 四十七都道府県はすべて暗記しろと、低学年の頃から父に言われていたが、どうしても近畿や中国、四国、九州地方の各県の名称と配置が未だに覚えられない。糸魚川静岡構造線を境に、東側の地域の名称はすらすらと諳んじることができるのに、なぜ西側だけがそうなのか。六夏にとっての日本列島とは、いわば「西」だけが欠落した状態なのであった。

 夏ということもあり、閉め切ったトイレの個室には熱が籠り、ほとんどサウナと化していた。皮膚呼吸をしている体中の細胞たちも、その息苦しさのあまりに、溢れんばかりの汗を吐き出している。

 窓は開けていたが、風はなかった。外からは、庭の植木に身を潜めた蝉たちの、競り鳴く声が聞こえてくる。それなりの時間は経過したと思われるが、目当てのものが体内から出てくる様子はない。いつの頃からか、定期的に六夏の身体を苦しめている便秘という症状。六夏に呑み込まれ吸収されていった食物たちは、よほど六夏の体内に留まりたいのか、消化され、影も形もない姿に変わり果ててもなお、その両手両足を張って、六夏の腸から分離されることに抵抗し続けている。勘弁してくれ、と六夏は悲痛の思いでぼやく。

 不意にまた、日本列島の輪郭が目に留まる。
 
 経度35.190012、緯度140.360544。

 その位置は、わが町、夷隅郡御宿(いすみぐんおんじゅく)町。

 千葉県房総半島の東端。太平洋に面し、山々に取り囲まれた退屈極まりない田舎町。
 
 そこから北へ、少し右斜めに真っすぐ辿れば、本州最北の地、かつて「日の本(ひのもと)」と呼ばれていた地にぶつかる。ここに、平安時代の征夷大将軍、かの坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)が残したとされる「日本中央の碑」がある。そして御宿町からは水平に真っすぐ西へ。そこには御宿町とほとんど同じ緯度に位置する島根県の出雲市が位置していて、国造りの神が祀られた出雲大社がある。

 今、この三つの地点を、御宿→日の本→出雲→御宿という順に指でなぞってみる。すると、そこには均整のとれた二等辺三角形が浮かび上がってくる。もっとも、同一直線上にない三点を結べば、なんだって三角形にはなるのだが、この二等辺三角形についていえば、どこか人為的なものを思わせるくらいによくできているのだ。

 むろん、この手の話はよくある。茨城県にある鹿島神宮、息栖神社、千葉県にある香取神宮。この三つの神社を結ぶと直角三角形になり、東国三社のトライアングルパワースポットと呼ばれているのは有名な話だし、地図上で古代の遺跡や神社、仏閣、巨石群を結んだ直線状の線はレイラインと呼ばれる。もっともこれは、レイラインの端と端の地は、それぞれ、海から昇る朝日が美しい神社と、海に沈む夕日が美しい神社になっていて、その途上にある山々は、富士山をはじめ、ご来光を拝める地であることから、太陽の通り道を自然となぞったものでもある。人為的にその直線が作られたというよりは、むしろ自然という神様の意志が、そのような聖地を人間に造らせたともいえるだろう。

 しかし、六夏が指で辿った日の本、出雲、御宿の三点に関していえば、いくらネットで調べても、これといった情報は出てこない。恐らくこの三角形は、阿泉家特有のものであり、今年七十二歳になる祖父の文斗(ふみと)だけが主張し続けていることなのだ。

 そのことについては、六夏が物心つかぬ頃から、子守歌ように聞かされていた。この阿泉三角形(祖父がそう呼ぶ)の内にこそ、これまでの日本の歴史を覆しかねない、大いなる秘密が隠されているのだと、祖父は痰の絡まった喉で声を震わせる。

「お前は十二歳になった。もう立派な大人だ。そろそろ阿泉家のことについて、その核心について知ってもよい時分だろう」

 先日、祖父は山のように積まれた本の中から、何やら聖書のような仕様の分厚い日記帳を取り出して、背表紙の埃を払いながら六夏に手渡した。ご先祖様の歴史が忘却されないようにと、祖父が四十歳の頃から書き留めてきた手記なのだそうで、その手記を六夏が手に取り、何が書かれているのだろうと興味深そうにページをめくり始めると、祖父はそれまで堪えてきた感情をおさえきれないというように、鼻水をすすりながらむせび泣くのであった。
 
 まだすべてを読み切れたわけではないのだが、紺色のインクの万年筆で記された、およそ六百ページ近くになる祖父の手稿、『阿泉家の歴史と賦霊(ふれい)の力について』は、次のような章立てで構成されている。
 

  [序章]  二つの種族、二つの日本
  [第一章] 日本の起源と古の神々について
  [第二章] 神々の争い、塗り替えられた創世神話
  [第三章] 古の種族の末裔たち 
  [第四章] 巨大なる一者、その賦霊の力について
  [第五章] 二つの種族、その対立の歴史
  [第六章] 阿泉家のご先祖様と夷隅について
  [第七章] 阿泉家が持つ力、その宿命と使命について
  

 すぐに目がいってしまった第四章「巨大なる一者、その賦霊の力について」の冒頭部分では、これまで祖父の口から聞かされてきた阿泉三角形のことが、こう書かれている。

日の本と出雲、そして夷隅。一見、なんの関連性もなさそうなこれら三つの地点を結んでできる二次元形状は、「阿泉三角形」と呼ばれ、阿泉家の先祖の代から語り継がれている。この阿泉三角形とは何か? 言い伝えによると、この日本列島には、国造りの神オオクニヌシの化身である、巨大魚が眠っているのだとされる。日本列島がどこか魚のような形をしているように見えるのは、まさにその巨大魚そのものが象られているからであり、巨大魚の寝姿なのである。文字通り、そのオオクニヌシの眠りの上に、われわれ日本という島国は形成されているというわけだ。このオオクニヌシの深い眠りを妨げぬよう、実は、日本列島そのものに巨大な結界が張り巡らされていて、阿泉三角形とはその結界の意なのである。結界を作る三つの地、それが日ノ本、出雲、夷隅である。これらの地に共通するものとは何か? それは日本列島の「古の種族」が大いに関わる地ということである。

『阿泉家の歴史と賦霊の力について』294頁

 祖父の説明によると、古代において、日の本とも陸奥国とも呼ばれた今の青森県がこの巨大魚の頭部になっていて、征夷大将軍である坂上田村麻呂が「日本中央の碑」を打ち込むことになった場所こそが、巨大魚の顎の付け根あたりなのだという。

「どうだ、魚が大きく口を開けているように見えるだろう?」

 祖父は日本地図で青森県を指さし、六夏に同意を求める。

「私には魚には見えないけど」と六夏は素直な意見を口にする。

「むしろタツノオトシゴのように見える」

「どこがよ?」

「ほら、北海道が頭で、本州が胴体」

「北海道は含めていない。そもそも北海道が日本になったのはつい最近のことだ」

「最近っていつ?」

「明治になってからの話だ。儂はもっと以前の話をしている」

「明治だって、大昔じゃない。それに、どうして青森県が日本中央なの? どうみても日本の端じゃない?」

「ここがもともとは、日の本と呼ばれる古の種族の国であり、列島の中枢であったからだ。彼らと対立していた大和朝廷が日本列島を支配するようになると、その国号を奪い、今の『日本』という呼び名にしたともいわれている」

「うーん、まだ理解が追いつかないなあ」

「とにかくだ。この巨大魚の大顎に、なぜ田村麻呂が石碑を打ちこむことになったのかを説明しよう」

 祖父は六夏の戸惑いにかまうことなく続ける。「スナック・えびす」という文字がプリントされたマッチで、咥えていた煙草に火を点ける。祖父の首元を纏いつくようにして、煙が立ち昇っていた。六夏にはその煙が、どこか崇高なもののように見えた。

「平安初期、桓武天皇が坂上田村麻呂に、東北の脅威であった『蝦夷(えみし)』の討伐を命じる」

 祖父は煙の行く先に目を細めながら、ゆっくりとした口調で語り出す。

 坂上田村麻呂の東北遠征とは、蝦夷の首長、阿弖流為(あてるい)との戦いとして歴史の教科書には記されている。阿弖流為は朝廷からは国賊と見做され、華夷思想のもと討伐の対象となり、のちに大武丸(おおたけまる)とか、悪路王の名で東北の鬼伝説として語られるようになるわけだが、彼こそはまさに、オオクニヌシの血を受け継ぐ、古の種族の王であり、オオクニヌシの霊力を宿すものであった。その力を恐れた大和朝廷が、坂上田村麻呂に命じて成敗するに至った。

 坂上田村麻呂は、阿弖流為を捕らえるだけにして討つことはなかった。そして、「この男はオオクニヌシ様の加護の下にある東北の英雄。決して殺してはなりませぬ」と天皇に上申したのだが、天皇は聞く耳を持たず、阿弖流為を打ち首にしてしまった。

 これではオオクニヌシの怨みと怒りを買うだけであろうと恐れた坂上田村麻呂は、オオクニヌシが巨大魚として蘇ってしまうことを封じるために、石碑をこの巨大魚の顎の付け根、日の本の地に打ち込み、オオクニヌシの御霊を祀っている出雲神社と、夷隅郡御宿の三点を繋いだ結界を張ることで、オオクニヌシの怒りを鎮めているのだという。

「日の本と出雲はなんとなくわかるんだけど、もう一つがなぜ、御宿なの?」

「御宿を含む夷隅、この一帯は『古事記』が書かれた頃より、伊甚国(いじみのくに)と呼ばれている。この地は出雲の人間がかつてここにやってきて、そう名付けたとされている。その証拠に、出雲市には伊甚神社があり、この夷隅には――」

「あ」と六夏は何かを思い出したように声をあげ、祖父が言いかけていた言葉を遮る。

「いすみ市に、出雲大社っていう神社がある」

 いすみ市とは御宿の隣の市である。明治期には、このいすみ市も含めて夷隅郡としてあったのだが、なぜか御宿町と大多喜町を残し、市として独立している。

「左様」、祖父が小さく頷く。

 驚くべきことに、出雲の伊甚神社の緯度は35.39°一方、夷隅郡いすみ市の出雲大社の緯度は35.28°と、ほとんど同じ緯度に位置するのだという。
「いずも」と「いじみ」と「いすみ」。
 
 ここ御宿は、出雲と大いに関係がある地であり、われら阿泉家は、出雲の人間との繋がりを持つ者なのである。
 
 それでは、この阿泉三角形に隠された謎とは一体何のことであろうか。祖父は、「口にすることも憚るくらいに恐ろしいこと」と言い、身震いをおさえるように、背筋をピンと伸ばす。そして祖父の手記、第四章にはこんな件(くだり)がある。

阿泉三角形による結界が崩壊する時、この世の内部環境を一定に恒常させようとする力の均衡は失われ、磁力と重力、強い力と弱い力の混乱により、時空間の歪みが生じるとされる。われらが巨大なる一者、オオクニヌシの霊力――われわれはそれを賦霊の力と呼ぶ――が解き放たれ、日本列島の直下に眠っていた巨大魚は蘇り、天を割くようにして突き立ち、空を駆け巡り、天誅を下すようにして落下を始める。巨大魚が触れるものすべては呑み込まれ、この世にある物は姿かたち何一つとどめることなく消え去ることになるであろう。そのエネルギーは、日本列島そのものの存在を揺るがしかねないとさえ言われている。

『阿泉家の歴史と賦霊の力について』303頁


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13話完結 88,430文字 
ちょっと長いですが、最後まで読んで頂けますと幸いです!



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