【創作長編小説】天風の剣 第111話
第九章 海の王
― 第111話 永遠の関係、それが幻想だとしても ――
「アンバー様。あたたかいうちに、どうぞお召し上がりくださいませ」
それは、深海でのパールとの戦いの、一週間ほど後のある日。
紫の空に、ぽつりぽつりと星が生まれ始める。食欲をそそる肉の匂いを運ぶ、たなびく白い煙。
白銀は、主人であるアンバーのためにと夕餉の準備をしていた。
「アンバー様。この木の実のスープもどうぞ。滋養がつきますよ」
黒羽は、山野を探し回り、木の実の中でも貴重で栄養価が高いものを集めてスープをこしらえていた。
「ありがとう。白銀。黒羽」
アンバーは、人間のように調理した食事というものを好んだ。
「葡萄酒も調達してまいりました」
白銀が、しわくちゃな顔をさらにしわくちゃにして笑う。近くの町の酒屋から購入した、とても高級な逸品だそうだ。
「白銀は、人間との取引が好きね」
二つに割った大きな硬い木の実を器にし、そこに白銀の分のスープもよそいつつ、黒羽が微笑む。人間から奪うことや盗むことが魔の者の常だ。しかし白銀は、わざわざ自然石や薬草などを探してそれを金貨にし、人間のふりをして買い物をすること、それを密かな楽しみの一つとしていた。
白銀は、身振り手振りを交えつつ、店主との買い物時のささいなやり取りを、アンバーと黒羽に再現してみせた。
「どの人間も、天気の話題が好きなのです。今後の空の様子を教えてやると、皆喜ぶのです」
白銀は、人間との会話の秘訣を披露する。アンバーの服の調達や仕立ての際にも、白銀はおおいに活躍していた。
「私は、人間と話したいとは思わないけど」
しわがれ声を弾ませる白銀を、怪訝そうに黒羽は見つめる。
「黒羽の場合、黙っていても人間の男がついていきますぞ。じいさん、あの美女はじいさんの孫か、じいさんよりあの子と話がしてみたい、そう言われたこともたくさんありますからな」
迷惑だとばかりに顔をしかめる黒羽。白銀は、カッ、カッ、と奇妙な高笑いをした。
アンバーは目を細め、従者ふたりの会話を眺めていた。
あたたかな食事も、それを準備した従者たちの時間や手間も、そして今笑い合うふたりの姿も、アンバーの回復に多大な効果を与えていた。
「ありがとう。白銀。黒羽。いつも、本当にありがとう」
星に、包まれる。今日も、明日も。
三体の魔の者は、束の間の穏やかな時を紡ぎ続ける。
いつ誰が欠けてもおかしくはない三体の魔の者たちの関係。
しかし、アンバーは望んでいた。
それは、さらなる高みに登ることより、困難で、ただの幻想に過ぎないかもしれない。「永遠」、というものを――。
ゴオオオオ……!
四天王パールの口から、強力な衝撃波が放たれた。
パールは大きく首を振り、離れた地点の空や大地を、あたかも焼き払うごとく、衝撃波を送り続けた。
それらは、おそらく、四天王アンバーの従者、白銀や黒羽、そして高次の存在であるカナフがいるであろう場所――。
「なっ! なにを……!」
パールの尾の先端目がけ、矢のような速度で飛んでいたアンバーだったが、絶句し、振り返る。
「白銀! 黒羽!」
アンバーは叫びながら方向転換する。
アンバーの意識は、自身の行動より二体の従者の波動に注がれた。
そこに、隙が生じる。
ドガッ……!
目の前が、真っ暗になった。
強い衝撃。全身を走る激痛。
なにが起こったのか、理解が遅れた。
パールの尾の一部がカーブを描き、アンバーに激突していた。
「アンバー!」
シルガーの叫び声が聞こえる。
大きく弾き飛ばされながら、アンバーは、白銀と黒羽の波動を探し続けた。
白銀……! 黒羽……!
アンバーの脳裏に、白銀と黒羽の笑顔が浮かぶ。洞窟の水音、きらめく水面――。
『……わしは、アンバー様を心から好いておる』
『そ、そんな、大それた……! わ、私ごときが、アンバー様に対し、そのような……!』
あの日の彼らが、そして星々の時間が、心をよぎる。
空。青空。おそらく、アンバーは回転しながら落下している。飛び散る自身の血が、視界を遮る。シルガーの呼ぶ声が、アンバーを地上に導く風の音にかき消される。
パールの尾が、容赦なくアンバーを追う。
風が、迫る。地上への風ではない、意図的な、アンバーを追う、風が――。
そのとき、アンバーの深紅の瞳に、輝きが宿る。
見つけた……!
かすかな、ふたつの波動。そして、それを守るように包む波動、おそらく、それはカナフの力――。
その感覚を受け取った途端、アンバーの中でふたたび時が流れ始めた。遠いところを見つめていたアンバーの瞳が、突然本来の役割に戻る。瞳は、映した像を、脳にすぐに対処すべき危険情報として突き付けた。
アンバーの視界一杯に広がる、パールの鱗。パールの尾は、アンバーの眼前にきていた。
叩きつけられる――!
ヒュン……!
一瞬前だった。パールの尾がアンバーの全身の骨を砕く、一瞬前にアンバーの体は上昇していた。
「シルガーさん!」
シリウスを助けた先ほどのように、今度はアンバーがシルガーに抱えられていた。
「四天王アンバー! 大丈夫かっ?」
風に負けない大声で、シルガーが問う。
「ええ! 大丈夫でした! 白銀も、黒羽も、それから、カナフさんも……!」
「そっちか! 自分のことより!」
「ええ! もちろん、私が気がかりなのは、そっちです!」
パールの尾の一部が、ぐんぐん迫る。
下を見れば、そこは辺り一帯、巨大なパールの尾がからみつくように広がり蠢いていた。その光景は、本当にそれが一本の尾なのか、そしてもう尾の収集が付かず結ばれてこんがらがってしまっているのではないか――、人間の感覚で表現すれば、まるで悪夢のようだった。
爆発音。
アンバーを抱えて飛びながら、シルガーは、目の前に迫るパールの尾を目がけて衝撃波を放つ。
衝撃波の直撃した尾の一部分は損傷し、シルガーとアンバーは距離を取ることに成功する。
眼下に見える尾の動きはさらに激しくなり、尾同士がこすり合う音なのか、ゴ、ゴ、ゴ、とくぐもった不気味な音をあげ始めた。
「今度は、こっちか!」
上半身をねじらせた、パールの顔が見えた。顔が見える、ということは――。
熱と光、音。
パールの口から、シルガーとアンバーを狙った強烈な衝撃波が放たれる。
シルガーは速度を上げながら右に大きくよけて、その軌道からそれる。
シルガーとアンバーの瞳の端に映る、目がくらむような強い光の軌道。
アンバーは、ため息とともにゆっくりと言葉を吐く。
「よかった……。白銀と、黒羽が無事で――」
「安堵してる場合か。アンバー」
シルガーの指摘に、ふふっ、と笑い声を漏らしつつ、アンバーは呼吸を整えた。
「そうですね。私も、大技を出しますか。シルガーさんのおかげで、少し休めましたからね」
アンバーの周りに、エネルギーが集まり始めた。
「今度は前のようには効かないと思いますが――」
アンバーの闘気が集まり、シルガーの体もびりびりと痺れるようだった。シルガーは、静かな笑みを浮かべた。
耳をつんざくようなパールの衝撃波。そのいくつもをかわし、いくつもを超え、空を切り開くように、アンバーを抱えたシルガーが飛ぶ。
「封印の鎖……!」
アンバーの声が、パールに降り注ぐ。
眼下に見えるパールの尾は、黒いもやに包まれた。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
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