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【創作長編小説】天風の剣 第1話

第一章 運命の旅
― 第1話 黒の剣士、キアラン ―

  闇夜を切り裂く、光――。それは、鋭い剣の軌道だった。

 ガアアアア……!

 咆哮と共に、巨大な獣が音を立て大地に伏す。
 天高く輝く三日月だけが、すべてを見ていた。
 剣を振るったのは、すらりとした黒髪の男。
 その男の瞳は、右目が金色、左目が黒色という不思議な輝きを放っていた。
 男は、剣を大きく振り血を払うと鞘に収めた。

「ふむ……。この辺りも危険が多いとみえる――」

 男は、今晩のねぐらを探していた。辺りは木々もまばらな荒れ野。水辺も見当たらない上に、人を襲う大型の獣もうろついている。その獣には、毒があることを男は知っていた。食料になりそうだったら素早くさばいて処理をするが、疲れた体の夜食にも旅の保存食にもなりそうもなかった。

「残念だな。これだけ大きければ、当面の食事には困らないところだったのだが」

 自分に襲いかかってきた獣。しかし、彼も生きるために襲ってきたのだ、男は一人呟き、血で染まった獣のむくろに向かって、そっと手を合わせた。

「さて。今宵はどうするか――」

 野営には慣れていた。むしろ、ほぼ野営しかしていない。自分一人身を置く場所は、どうにでもなるといえばどうにでもなるが、男の体はすっかり冷え切り、体力の消耗も激しかった。
 黒い雲の流れる速度が速い。さっきまで輝いていた月が姿を隠す。木の枝も草葉も音を立て揺れていた。
 男は、遠くにぽつんと見える、一本の大木に目を留めた。
 大木の枝は風で揺れ、ねぐらも決まらず少し心もとない男を、手招きしているようにも見えた。

「あの木の下で、休むとするか」

 一人の旅。誰に説明する必要も、誰かの許可を得る必要もないのだが、男はそう宣言し、大木のもとへ足早に歩を進めた。
 近付いてみると、それは実に奇妙な木だった。
 荒れ野に一本だけ大木があるというのも考えてみれば少し妙ではあるが、その木は他の植物とはあきらかな違いがあった。

「この木は――!」

 それは確かに、太い幹もあり枝もあり葉もあり、力強く大地を抱きしめる根もある。しかし、動いていた。その木は、動いていたのだ。遠目には風で枝が揺れているだけと思っていたが、その動きは風とは無関係で、それぞれの枝がそれぞれのリズムで蠢いていた。
 まるで、木自体が意思を持って動いている。男は目を見張った。

「助けて……!」

 葉影の合間から、か細い声が聞こえてきた。

「なに……? 誰か、いるのか……!?」

 それは、子どもの声――、少年の声だった。
 男は電光石火の素早さで剣を抜く。無数の枝が、男の静かな闘気を察したのか、男を目がけてまっすぐ伸びてきた。
 男の剣が、風を斬る。
 男は襲い来る枝をすべて切り払った。流れるような無駄のない剣筋で、向かい来る枝という枝をすべてなぎ払う。

 これは、魔の者か……!

 手応えで、放出される空気で、男は理解した。
 この世界には、人とも獣とも違う、不思議なものが存在していた。人間よりはるかに高いエネルギーを持つ高次の存在というものもいれば、真逆に低い波動の恐ろしいエネルギーを持つ、闇の住人のような魔の存在もいた。
 魔の存在は、人を襲い食らうもの、人の心を狂わせ人を従わせようとするものなど、人にとって害になるものがほとんどだった。
 男は、枝を切りながら幹へと突き進む。たった一人で巨木の姿をした怪物の懐へ飛び込もうとしていた。

「おじさん! お願い! 負けないで……!」

 高い枝の中、少年が叫んだ。男が見上げると、枝葉と枝葉のすき間から少年の白い顔が見えた。

「私は、おじさんじゃないっ……!」

 男はそう叫びながら、幹の中心、大きなうろを目がけて剣を走らせた。

 これがきっと、やつの急所に違いない……!

 男の右目、金色の目が光る。その不思議な瞳は、色と輝きが特殊なだけでなく、魔の存在に対する鋭い感覚を有していた。
 男は力強く、幹のうろに剣を突き立てた。
 葉音。たくさんの葉が雨のように降り注ぐ。
 大木の形をした魔の者は、身悶えるように激しく蠢く。

「あっ……!」

 少年が短い叫び声を上げ、落ちてきた。
 男は剣をうろに突き立てたままにして手から離し、両腕で少年を抱きとめる。
 そして、素早く飛び下がった。
 揺れる大地。
 轟音を立て、大木の姿の魔の者は倒れた。

「あ、ありがとう……! おじさん……!」

 少年は、月のように輝く金の髪、海のような青い目をしていた。

「……礼の言葉は受け取る。確かに、私はお前の命を助けたのだからな。ただし、私はおじさんではない」

 男は、きっぱりとした口調で言い切ると、抱えていた少年を下ろした。

「え。僕から見たら、おじさんはおじさんだよ」

 確かに、男は年齢こそ二十代半ばだったが、醸し出す鋭い雰囲気、平坦ではない道をくぐり抜けてきたと思われる静謐な迫力から、「おにいさん」といった風情には見えなかった。

「……まあ、どうでもいい」

 男は、魔の者から勢いよく剣を抜き取った。剣を突き立てたとき、引き抜くとき、細身の体格には似つかわしくない力強さを発揮していた。

「おじさん……。えーと、じゃあ、おにいさん? おにいさんも、もしかしてここで野宿しようとしてたの……?」

 男は剣を収める手を止めた。
 男の頭に、疑問が浮かぶ。そういえば、この少年は、ここでなにをしていたのだろう。

 たった一人で? 大型の獣や魔の者が巣くうこの荒れ野を渡ろうとしていたのか……?

「……お前、一人でなにをしていた」

 男は振り返り、金の目で、少年を見据える。
 男の見立てでは、少年は、高次の存在でも魔の者でもなく、ただの人間の子どもである、そう思えた。

「え? 旅だよ、旅! おじ……、おにいさんも、そうでしょ?」

 あっけらかんと少年が尋ねる。

「この辺、野宿できそうなとこないんだもん! 困っちゃったよ!  大きな木があったからその根元で、休もうって思って近付いたら、いきなり捕まっちゃってさー! ほんと、おにいさんが来てくれて助かっちゃった!」

 少年は、屈託のない笑顔を向ける。
 それから少年は、男の腰のあたり、収められた剣を見つめる。

「おにいさんの剣、不思議な剣だね」

「不思議な、剣……?」

 少年は、声を弾ませた。

「おにいさんなら、あの強い魔の者も倒せる、そう思ったんだ!」

 私の、剣――。

 男は、自分の剣に視線を落とす。

 ずっと、一緒の、私の相棒――。

 夜風が吹き抜け、男と少年の間を通り抜けていく。かすかな大地の香りがした。

「おにいさん! 改めて危ないところ、本当にありがとうございました!」

 少年は、ぴょこんと頭を下げた。

「お前……。子どもなのにこんな危険な場所を……」

「あっ! おにいさん、僕を子ども扱いしたっ!」

 少年は自分が男を「おじさん」呼ばわりしたのを棚に上げ、男の「子ども」という認識を非難した。実際、紛れもなく子どもなのだが――。

「僕、子どもじゃないよっ!」

「……子どもだろう。どう見ても」

「僕の名は、ルーイっていうんだ! 僕はただの子どもじゃない!」

「……子どもだって皆、名くらいあるだろう。ただの子どもじゃないって、どう違うんだ」

 男は、やれやれとため息をつく。見知らぬ少年との会話という無駄な時間を費やさず、さっさとその場を立ち去っても別によかったのだが、この荒れ野に少年一人を置き去りにするほどの冷徹さは持ち合わせていなかった。

「僕は、魔法が使えるんだ……!」

 ルーイは、胸を張った。

「魔法……?」

 魔の者に日常を脅かされるこの世界、対抗する有効手段として「魔法」というものが発達していた。ただし、持って生まれた資質が関係するので、使える者は限られる。さらに、力の強い魔の者と戦えるほどの高度な魔法を扱える者は、ごく稀だった。

「そうだよ! たとえば、えーと、暗闇だって、照らせるんだっ」

 ルーイは、すう、と息を吸い込んだ。

「我に、光を! 照らし給え、闇を払い、朝の世界を、昼の世界を、今ここに……!」

 もやあ。

 上に向けたルーイの小さな手のひらの上に、白い煙のようなものが漂っていた。

「……それ、照らしている……、のか……?」

「て、照らしてるよっ」

 そう言われると、なんとなくだが、ぼんやりと明るいような気がする。

「なるほど。お前は、魔法が使えるのだな」

「そうだよ、僕は魔法使いなんだっ」

 男は腕組みし、少し首を傾げた。

「……あの魔の者に手も足も出ないようだったが……?」

 男が痛いところを突く。
 ルーイはしょんぼりと肩を落とす。

「……うん。まあね……。だって、強いんだもん。おっきな獣からは身を隠し逃げ出すことは出来たんだけどね」

 言葉の最後のほうが、もにょもにょと口ごもり、言い訳っぽくなっていた。
 男は、ルーイの頭に、ぽん、と手を置いた。
 そして、笑った。

「寒風吹きすさぶ真夜中に、この荒れ野をたった一人で渡り、獣から無事に逃げ切った。お前は、大した男だ……!」

 たちまち少年の顔が明るく輝いた。

「でしょ!? おじさ……、おにいさんこそ強くてかっこいいけど、僕もすごいでしょ……!」

 少年のまぶしいくらいの笑顔に、男は少し戸惑い、どう対応していいかわからず、少しだけ視線をそらした。

「……ここは、危険なところだ。近くの町まで付き添ってやろう」

「ほんと……? ありがとう……! ええと……」

 少年は声を弾ませた。きらきらと、青い瞳が輝く。明るく純真な瞳――。

「……私の名は、キアランだ」

 ためらいがちに、男は自分の名を告げた。

「ありがとう! キアラン!」

 ルーイは、なんのためらいもなく男を呼び捨てにした。

「……次の町、までだぞ」

 なつかれても、困るな――。

 キアランは、ため息をつく。しかしキアランは、この荒れ野のように乾いた自分の心に、あたたかいなにかが芽生えるのを、戸惑いながらも感じていた。


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