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【創作長編小説】天風の剣 第2話

第一章 運命の旅
― 第2話 旅の始まり ―

 冷たい風が吹きすさぶ。荒涼とした大地には、風の道を遮るものがなかった。
 流れる黒い雲のすき間から、時折月が顔を覗かせる。月は、果てしない荒野の中にある、男と少年――キアランとルーイ――を静かに照らしていた。
 キアランは、持っていたテントを設置していた。長年使いこまれ、すっかりくたびれてはいたが、持ち主の最低限の安全は守るという機能は果たしているようだった。
 ルーイは、懐から木彫りの小さな鷹のようなものを取り出した。それから、小さなガラス瓶を取り出し、瓶の中の琥珀色の液体をその木彫りの鷹に振りかけながら、なにか呪文を唱えている。

「鋭き目を持つ鷹よ、僕らの眠りを守り給え――」

 キアランがその様子を見て目を見張るのをよそに、今までただの木の塊に過ぎなかったはずの鷹が、命を吹き込まれたかのようにルーイの小さな手のひらから羽ばたき、あっという間に空へと飛び上がる。

「ルーイ! それはいったい……?」

 声をかければ、たちまち少年の魔法は解けてしまうのかもしれない、一瞬キアランはそんなことを考えたが、声を上げずにはいられなかった。
 木彫りの鷹が空を飛ぶ、そんな光景は、見たことも聞いたこともなかった。

「見張り番の魔法だよ! 獣や魔の存在、強い敵意や悪意を察して、教えてくれるんだよ」

 小さな鷹は、しばらく弧を描くように飛んでいたが、キアランの設置したテントのてっぺんにとまった。

「うん、当面は、安全みたいだよ!」

 鷹は、のんびり羽繕いを始めていた。辺りに危険な影を感じなかったようだ。

「……大したものだな」

 まるで本物の鷹のようだ、キアランはテントの上の鷹の自然な仕草と、あどけない顔つきのルーイを交互に眺めた。

「旅の安全には欠かせないよ! ただ、この魔法薬に限りがあるから、節約して使わないといけないんだけどね」

 ルーイは、キアランのすっかり感服したような視線を感じ、誇らしげに顔を輝かせた。そして大切そうに琥珀色の液体――魔法薬――の入った小瓶を懐にしまった。

「……ありがとう。ルーイ。今宵は安心して眠れそうだな」

「うん! こちらこそ、風を遮るテントをありがとう!」

 キアランは、少し動揺していた。ありがとう、自分の口から自然に出た感謝の気持ち。そんな言葉が戸惑いもなく出てきたことも意外だったが、自分に向け「ありがとう」の言葉が、大きく胸に響くように届けられたというのも驚きだった。
 ルーイは笑っていた。そこにはなんのためらいも、なんの計算もなかった。
 キアランは、たまらず目を逸らす。ルーイに心の奥まで見透かされるような、微かな恐怖心を覚えていた。

「……お前は、エネルギーの塊だな」

「えっ、なに? なんのこと?」

 ルーイは、ただでさえ大きな青の瞳を、さらに大きくした。

「……なんでもない」

 キアランは、振り返ることなくテントの中に入る。自分の心も体も、このテントのようにすっかりくたびれ果て、ぼろぼろに擦り切れてしまっている、そんな気持ちになっていた。
 ごうごうと、夜風が容赦なくテントを揺らす。キアランもルーイも野宿はすっかり慣れた様子で、それぞれ持参していた寝袋に入り体を横たわらせた。

「キアラン! どこに、どうして、いったいいつから旅をしてるの?」

 ルーイが瞳を輝かせ、今感じている疑問をすべていっぺんに質問してきた。

「……質問が、多すぎるな」

 キアランは、テントの天井を見つめていた。

「あっ! まず、人に訊くより自分のことを先に話さなくちゃだめだよね!」

 ルーイが急に気が付いた様子で叫ぶ。

「えーと、僕はね……!」

「……別に、話さなくてもいいだろう。どうせ、次の町までなんだからな」

 ルーイの言葉を遮り、ため息交じりに呟く。

「ええーっ! そんな、せっかくなんだから、なにか話そうよう!」

 キアランは、黙ってルーイに背を向けた。

「キアラン! ねえ、キアランってば――」

 ルーイが懸命に話しかける。キアランは、そこまで付き合う義理はないと思っていた。
 風の音。次の町まで、あとどのくらいだろうか、これからどの方角に向かえばいいかなどと、自分の旅のことを考えようとしていた。
 しかし、心のどこかに、引っかかりがあった。

 ルーイ。ルーイだ。

 少し、かわいそうだったかな――、キアランは横目でルーイの様子を伺った。

 すう、すう。

 いつの間にかルーイは熟睡していた。

 ついさっきまで、あんなに騒いでいたのに!
 
 キアランは呆気にとられると同時に、吹き出していた。

 やはり、子どもなのだな――。

 キアランも目を閉じた。今まで意識しないようにしていたが、体が重かった。長年の過酷な放浪生活。危険と隣り合わせの孤独な旅。心も休まることがなかった。
 そう、今までは――。
 キアランは、ふと考える。
 そういえば、前に笑ったのはいったいいつだったのだろう。

 思いがけず吹き出す、そんなことが今まであっただろうか……?

 疲れきったキアランの体は、そう時間をかけずに眠りへと落ちていった。

 
 
 キアランは、夢を見ていた。
 それは、自分の過去の記憶だった。

「化け物め……!」

 キアランの金色の右目を指差し、村人たちは叫んでいた。
 子どもだったキアランは、自分を育ててくれていた育ての親の女性と、山奥深くに住んでいた。

「化け物なんかじゃありません! この子は、普通の人間です……!」

 女性――キアランにとっては母親――は、キアランを守るように抱きしめ、叫んだ。

「その目……! 忌まわしい金の目! 村に災害が起こるのは、きっとこいつのせいだ!」

「そうだ、そうだ! あんたがその子をどこかから拾ってから、村に不吉なことが起き続けたんだ……!」

 村人たちの罵声。自然災害、流行り病、凶作――。どこの村でも起こりうる災厄のすべてが、キアランのせいにされていた。

「あの化け物がいる限り、この村は栄えません――」

 それは、いつの間にか村に居ついた呪術師の宣託によるものだった。
 呪術師が村に来てからのほうが、村の災いは増えていた。しかし、村人たちは呪術師の言葉のほうを信じた。

「キアラン……! 一緒に逃げましょう! ここにはもういられない――!」

 母は、夜更けにキアランの手を取って家を出る。一振りの剣を携えて――。
 月は、流れ来る黒い雲の中に姿を隠す。
 草に足を取られそうになりながら、走るキアランがふと振り返ると、たくさんの小さな明かり。明かりは、キアランたちのもとへと押し寄せる。
 松明を掲げた村人たちと、呪術師だった。

「どうして!? 私たちはこの村を出るのに――!」

「その子どもと、剣を渡すのだ……!」

 呪術師の口が裂けていた。呪術師の鋭い目は闇の中光り、黒髪が蛇のように蠢く。
 化け物は、村人を操る呪術師のほうだった。
 キアランの右目が光る。

「あいつが、魔の者だ!」

 キアランの叫びは、村人には届かない。

「化け物を、それをかくまう者を殺せーっ!」

 村人が、手に持った武器を掲げた。
 村人に、呪術師の真の姿は見えていない。村人の目は曇り、熱に浮かされたように熱狂していた。
 キアランは、母の手から剣を取った。そして、呪術師目がけて走った。

「あいつを倒せば、皆正気に戻る……!」

 キアランは、自分を捕えようとする村人たちの手をかいくぐり、ひた走る。
 剣の使いかたなど知らなかった。剣を持ったこともなかった。しかし、その剣は自分の体のように馴染んでいた。体の奥から、熱い力が湧き出る。剣に導かれるように、キアランの体は躍動した。
 村人たちの動きは、キアランの目に止まっているように見えた。村の男たちは労働で鍛えた屈強な体ではあるが、キアランの敵ではなかった。とても子どもとは思えない、いや、人間離れしたスピードで大地を蹴った。
 剣を突き上げた。呪術師――魔の者――を倒す、ただそれだけを考えて。
 黒い雲から、月が姿を現す。 
 剣は、魔の者の急所を貫いていた。

「ばけ……、もの……、め……」

 呪いの言葉のように呟きを残し、魔の者は絶命した。命を失ったとたん、魔の者は真の姿を呈した。それは黒く大きな、蛇と魚を合わせたような姿だった。

「母さん……! これで、もう、大丈夫だよ!」

 村人たちも、正気に戻っていた。皆、呆然と立ち尽くしていた。
 母は、重傷を負っていた。正気を失った村人数名に襲われたのだ。
 
「母さん……!」

 それから、村人たちは手のひらを返したように、親切になった。
 里で暮らすことを強く勧め、キアランたち親子の生活を手厚く援助した。まるで、自分たちの罪滅ぼしのように――。
 それは、気味が悪いほどだった。
 村人たちは、キアランを恐れていたのかもしれない。
 しかし、接する機会が増えると、表向きの親切だったものが真の交流に変化することもある。
 完全な和解、完全に溶け込むことはなかったが、平和な時間が流れた。笑顔を向け、心から支えてくれる村人たちも増えた。
 母は、村人から受けた傷で、寝たり起きたりがやっとの日々が続いていた。それからわずか数年で亡くなった。
 亡くなる前、母はキアランに告げた。

「キアラン……。あなたは、翼を持つひとから私に託されたのです」

「翼を持つひと……?」

「そのひとが、あなたを守り育てて欲しい、そう私に託してきたのです。あの剣と共に――」

「僕は、やっぱり、人間じゃ、ないの……?」

「いいえ……。キアラン。あなたにはきっと人間の血が流れている――」

 母は、キアランの手を握りしめた。

「村の人たちを、恨んではだめよ……! 村の人たちは、ただ怪物に操られていただけ……。弱い心につけいれられただけ――。憎しみを持ってはだめよ……。私もあなたも村の人たちも、皆同じ人間なのだから――」

「母さん……!」

「キアラン。私はたぶんもう長くない――。あなたを守れなくてごめんね……。あなたは、その剣と共に生きて……! その剣は『天風の剣』というの――」

「天風の剣――!」

「キアラン。母さんは、あなたと暮らせて本当に幸せだったのよ――」

「母さん――!」

「あなたは、もしかしたら自分のせいでって思っているのかもしれない。でも、そうじゃないのよ。あなたとの生活が、私にとっては宝物だったのよ――」

 母は微笑みを浮かべた。それは、とても美しい笑顔だった。
 それから、キアランは村を出た。
 長い旅の始まりだった。
 自分の生い立ちを探るために。剣の秘密を知るために。
 村に対する複雑な思い。それも自分の足で歩いて人生を探すことを決意させる大きな要因だったが――。
 キアランは、母の墓と本当に心を許せる村人たちにだけ最後の挨拶をし、あてのない旅に出る――。


 いつの間にか、朝日が差し込んでいた。

 ルーイがまくしたてるように訊いてきたから、昔のことを思い出してしまった――。

 キアランは、寝袋から抜け出す。意外にも、体は軽かった。
 足元を見ると、まだルーイは寝息を立てていた。
 キアランは、ふっ、と笑う。
 
 こいつの旅は、いったいどんな旅なんだろう――。

 ルーイの寝顔を見ながら、キアランの顔には自然と微笑みが浮かんでいた。

https://note.com/joyous_ferret33/n/nfcb2ea212402

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