【創作長編小説】天風の剣 第112話
第九章 海の王
― 第112話 最期の時間くらい ――
「これは、あのときの術……」
四天王パールは、うつろな瞳で呟いた。
四天王アンバーの術「封印の鎖」が、パールの尾の部分からすぐに全身へと広がっていく。
やがて、パールの動きが止まった。
「よかった……。一応、術が効いているようですね」
冷静な声でアンバーは呟く。
「この前のときより、私自身の状態はよいですが、やつの力自体が格段に増しています。術が有効な時間や効力は、あのときより劣るかと――」
「やつの急所を破壊する!」
アンバーの説明を遮り、シルガーが叫ぶ。そしてシルガーは、パールの急所である尾びれのような形状の部分と尾の境目を目がけ、衝撃波を放とうとした。
その瞬間――。
ゴオオオオオ!
「なっ……!」
一瞬の、一瞬のできごとだった。
動きが止まったと思われたパールの口から、衝撃波が放たれていた。
アンバーの術は確かに、パールの尾の部分の動きを縛り続けていた。しかし、上半身への術の影響は、不完全なものだった。
シルガーは、なぜ、と思った。
なぜ、自分は無事なのか。
そして、なぜ自分がパールの衝撃波の軌道から外れているのか、と。
アンバーだった。
今、シルガーの瞳に映るアンバーは、左手を伸ばし、左の手のひらをパールに向けている。
「アンバー!」
シルガーは、自分が強くアンバーに突き飛ばされ、パールの衝撃波から逃れられたのだ、そう悟る。
アンバーは、エネルギーを吸収するという左手で、パールの衝撃波を受け続けていた。アンバーの体の周りには、アンバー自身の力で透明な壁が張り巡らされ、パールの衝撃波の一部はアンバーの左手のひらに吸い込まれ、そして吸収されなかった過剰なエネルギーは、アンバーの周りに沿って流れるように後方へ飛んで行く。
「アンバー! 無理だ!」
シルガーは絶叫した。
アンバーの体は、光の洪水の中、ほとんど見えなくなっていた。
地上から、無数の金の光の柱が放たれる。それはおそらく、シリウスを筆頭とする、アンバーを守ろうとする高次の存在たちの守りの力。
それでも、無理だ、シルガーは激しく首を振った。
アンバーの輪郭が、欠けていく。漆黒の大きな四枚の翼が、失われていく。炎の中、溶けてしまうように。そして魔のエネルギーの中心部、急所から遠い体の先端から、失われていく。
急所を破壊されない限り、生き続け、復活が可能な魔の者。しかし、パールの放った業火のような衝撃波は、やがてアンバーの急所も焼き尽くしてしまうだろう――。
シルガーは、目を逸らした。シルガーが見届けるべきは、そこではなかった。
まっすぐ見据える、その銀の瞳は燃えていた。
それは、四天王の座を奪おうという野心から、ではなかった。
怒り、だった。
今この瞬間、自分がとるべき行動を、シルガーは知っていた。
「パール……! 今度こそ、貴様の最期だ……!」
シルガーは、撃った。衝撃波を。パールの急所目がけ、まっすぐに――。
「なに……!」
シルガーは息をのみ、大きく目を見開く。
あの巨大な尾が、尾びれが、目の前から消えていた。シルガーの衝撃波は、ただ青空を切り裂いていっただけだった。
シルガーは振り返る。まさか―、まさか――。
パールの顔は、そこになかった。
パールにも、自分や他の魔の者たちのように、空間を移動したり、一瞬で姿を消したりする能力があるのかと思った。しかし、どうも様子が違う、そう感じた。
シルガーは、見つけた。落下していく、パールの姿を。
パールは、人間の姿に変身していた。巨大なその体を一瞬で人間の大きさに変え、シルガーの攻撃の照準から逃れたのだ。
バッ……!
青年の姿のパールの背から、四枚の漆黒の翼が現われ、空中で開く。
「それじゃ、また会おうね」
シルガーは、衝撃波を撃つ。しかし、翼の生えた青年の姿のパールは、笑い声を残しながらどこかへ飛び去って行った。
シルガーは舌打ちし、それから、
「アンバー!」
急いで振り返り、アンバーの安否を確認する。
「アンバー……」
風が通り抜ける。乱れた自身の髪で、視界が遮られる。
気配で、わかる。しかしシルガーは、自分の意思で自在に操れる長い銀の髪をわざわざ手で払いのけ、アンバーの姿をその目で見つめようとした。
アンバーの姿は、なかった。
空中に、なにかが浮かんでいる。それは、小さななにか。見た目ではそれがなんなのかわからない、小さな物体が浮かんでいた。
シルガーは息をのみ、そしてその小さななにかに手を伸ばす。
おそらくそれは、肉塊。
急所を中心とした、アンバーの最後の一部分。そこには、きらびやかな衣装も、漆黒の四枚の翼もない。
「アンバー……!」
シルガーは、震える両手でそれをそっと包み込むようにした。
『そのときが、来ましたよ』
アンバーの声が聞こえる。それは、小さな焼け焦げた物体から発せられた、かすかな声。
「アンバー……。すまない……。あなたが身を挺して、パールを仕留める時間を作ってくれたのに――」
パールを仕留められなかったことを、シルガーは詫びる。
シルガーにはわかっていた。アンバーがなぜ、衝撃波から逃れず受け続けていたかを。
アンバーは、シルガーを守ると同時に、シルガーに託していたのだ。今度こそ、パールの息の根を止めるようにと――。
『いえ、シルガーさん。そんなことより、あなたの待ち続けていた時間が、やっと来たのです』
「私の……、待ち続けていた時間……?」
シルガーは、自分の声が震えていることに気付く。
目が、熱い。そして頬が、熱い。
あふれてきて、頬を伝い落ちていくなにか。
『さあ。今度は、あなたが、四天王になる番です』
小さな塊が、告げる。夢が叶うそのときが来たのだ、と。
『私を殺して、あなたが四天王になるのです。白銀と黒羽は、きっとあなたの――』
ヒュッ。
小さな塊が、言い終わらないうちにシルガーは飛んでいた。小さな塊を、胸に抱きつつ。
『どこへ向かおうというのです! 私の命は、もうじき消える。その前に、あなたの手で私を殺さないと、新四天王はあなたではなく新しくどこかで誕生することに――!』
シルガーは、黙って飛び、眼下の森に向かって急降下していく。
『シルガーさん! 早くしないと、あなたの求めていたその座が――』
シルガーは、森に降り立つ。
そこには、白銀と黒羽、それからカナフがいた。
「アンバー様……!」
白銀たちも傷を負い、激しく疲弊していた。
「アンバー……、様……!」
シルガーは、白銀と黒羽が重ね合うように差し出した手のひらの上に、小さな物体をそっと置いた。
白銀と黒羽は、変わり果てた主人を抱きしめるようにして――、泣き崩れた。
「私の求めるものは、自分の選んだとき、自分の意思、自分の手で掴み取る」
シルガーは、そう言って長いため息をつき――、
「最期の時間くらい、自分のために使え」
絞り出すような声でそう呟いた。そして、長い銀の髪をひるがえして、背を向けた。
ぱちん、踏みしめた小枝が音を出す。
かすかに胸が、痛い。まるで小枝が、胸に刺さっているかのようだ、シルガーは自分の胸に当てた手のひらを強く握りしめる。そう考えてから、ふと、魔の者にとって、果たしてそんなものが痛みといえるのだろうか、シルガーは疑問に思う。
ささいな痛みが、打ちのめすくらいの威力を持って胸に迫るのはなぜだろう、森の緑が歪んで見えるのはなぜだろう、シルガーは不思議に思う。
シルガーは、一瞬立ち止まり、振り返ることなく呟いていた。
「あなたの座が奪われることはない。誰にも。あなたは、永遠に四天王だ」
『……ありがとう。シルガーさん。ありがとう。白銀。黒羽。カナフさん。本当に、ありがとう……』
風に乗って届く、かすかな声。
『白銀、黒羽。本当に、ご苦労でした。あなたがたは、もう自由です――』
ほどなくして聞こえてきたのは、おそらく白銀と黒羽の絶叫と嗚咽。
葉擦れの音が、頭に大きく響く。
どんなに耳を澄ませても、どんなに意識を集中させても、アンバーの声が二度と聞こえてくることはなかった。
これが、涙か。
シルガーは、自分の頬を手の甲で拭い、見つめた。
どこかで、新しい命が生まれるだろう。
新しい四天王の誕生。それが、繰り返されてきた歴史。
どうでもいい。
シルガーは、どうでもいい、そう思った。新しい四天王がどこで生まれたのか、そしてそれがどんな強さの四天王か、知りたいとは思わなかった。
「どうでもいい……!」
シルガーは飛び立ち、叫ぶ。
自分が倒すべき四天王はただひとり、シルガーは己の拳を強く握りしめていた。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
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