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人見知りたちへ

たちへとか言っちゃったけど安心してくれ。
俺も仲間だ。

人見知りだ。

いい歳こいてバリバリの人見知りだ。


と、言うと「え〜全然そんな風に見えない」「またまたぁ、嘘だぁ!」と返されることもしばしば。


あのな、それはな、一応大人だからだ。

っていうか多分自分なりに努力してきて、誤魔化せるようになったんだ。

今でも苦手なタイプに丸出ししてしまうこともあるが、基本的には成長したんだ。

結局全然人に踏み込めていないのだ。


俺が子供の頃、俺の周りには人見知りと思わしき人間がいなかったように思う。
分からなかっただけかもしれないけど、少なくとも両親や周りの大人は初対面の人でも丁寧に挨拶し、談笑し、ちゃんとコミュニケーションを取っていたように記憶している。

今思うとそれも大人の対応でしかなかったのだろうか。


そんな周りの大人達を見て子供ながらに人見知りだと自覚していた俺は、大きくなったら勝手に人見知りは直るものだと漠然と思っていた。


しかしね、直らないんだよこれが。
それを自覚した時にショックだったよね。

「えっ?俺、大人なのに人見知りじゃん!」

って。

俺の思い描いていた大人は、人見知りをしない人だったのだ。



20代前半〜中盤が俺の中で人見知りを克服しようと努力した時期だったように思える。

友達や知り合いが増え、お酒を飲むようになり、外の世界に出るのが楽しくなった時期だった。

友達を増やしたい!面白い人と出会いたい!刺激的な日々を過ごしたい!
芸能界にいる以上、そんな憧れもあった。

それには沢山の人達と出会う必要があり、積極的なアプローチとコミュニケーションを取らなくてはいけない。
黙ってても人が集まるような面白い人間ではないのだ。


お酒の力を借りて初対面の人と話す。
もちろん上手くいかないとこもあるが、慣れもあって話すことも上手くなり始め、顔見知りがどんどん増えていった。
その時間はとても楽しいもので、自分自身、人見知りを克服できる兆しの様なものを感じていた。

でも、結局それはお酒の力やその時の気合いというか、勢いのコミュニケーションだっただけで、「友達」ではなく、「知り合い」を増やしだだけだったように思える。

もちろん、その時期に知り合って仲良くなった仲間は今でも少しはいるし、
その時に培ったもののお陰でなんとか人と接することができているようにも思えるので、自分には必要な経験だったわけだけど。
ほんとに少しは人を楽しませることだったり、人の悩みを聞いたりすることくらいはできるようになったのだ。

しかし残念ながら、努力むなしく人見知りは克服できなかった。



俺は人の顔を覚えるのがとにかく苦手だ。

数回は会わないとなかなか覚えられないし、
何かその人との強烈なエピソードでも無い限り一発で覚えて、次会った時自信を持って話しかけたりなどできない。

だってすごくカワイイ女の子でさえすぐ忘れてしまい、「あの子カワイイね」「え?お前会ったことあるじゃん」というやりとりも少なくない。
髪型なんて変えられた日にはもう終わりなのだ。


このあいだなんか、これはいよいよ末期だなと思ったのが、

街を歩いていて知り合いに偶然会ったけど、向こうから声をかけられても誰だか分からず何とかやり過ごすということはよくあるのだが、

ドンキホーテの前で腕にイカついタトゥーがいくつも入って、剃り込みの入った明るい髪をしたヤンチャそうな兄ちゃんが後輩らしき男の尻を笑いながら蹴っていて、「ちょ、やめてくださいよ〜」みたいなやり取りを目撃して、

「あーゆー人苦手だなぁ」なんて思いながら通り過ぎようとしたら、

「おー!譲二じゃん!久しぶり!」

って、イヤイヤ!さすがに誰!!?
こんな強烈で特徴的な奴なんで覚えてないんだよ!?
と、自分が信じられなくなった。



ただ単に顔を見分ける能力とか、覚える能力が欠落してるんだろうなと思っていたのだが、
ある人に言われたのは、

「お前は人に興味がないんだよ」

という一言だった。


うーん、、、確かに興味があるか無いかで言ったらどちらかというと無い方かな?
とは思うんだけど、

ちょっと言い訳をさせて欲しい。


それにも自分が思うに人見知りが関係している。

当然人と話すときは顔を見るものだけど、
ちょっとどこかでちゃんと見れていない、と言うか、直視しているようでしていない、と言うか、
会話をしたりするので精一杯で、顔を記憶するところまで意識がいっていないと言うか、、、いや、もちろん覚えようと思って覚えるものではないとは思うんだけど、そこまで相手と向き合えていないというか、、、分かるかな?この感じ?

とにかく余裕がないのだ。
俺の目に写っているものは、思ったほど脳に行き届いていないのだ。

だから顔よりも、どんな話をしたか、その時のシチュエーションを思い出すとスッとすべてがクリアになることが多い。

(あのタトゥー剃り込み兄ちゃんは誰だったのか今だにマジで思い出せない)



人見知りの原因って人それぞれなのかな?とも思うんだけど、
多分俺の場合は、ただの自意識過剰なんじゃないかな?というのが自己分析結果だ。

人にどう見られているのか、どう思われるのか、
過去の色んな記憶を辿ると、これが原因だったんじゃないかな?と思い出すこともある。
それは幼稚園の時とかほんとに小さい時のわずかな記憶も。

あの時、あの人と上手くいかなかったな、とか、あんなこと言われたな、とか、嫌われたな、とか。
そういう小さい1つ1つの傷の積み重ねがそうさせている気がする。

要は人に対して自信が無いのだ。



でも不思議なもので、
歳をとるとそれもなぜか人見知り自体を受け入れられるようになってくるものだったり。

あれだけ嫌で、なんとかしたいと思っていた人見知りも、

「まぁ、でもこれが自分なんで」

と、開き直れるようにもなってきたり。


単に悩み疲れただけかもしれないけど、そんな人見知りのお陰か、

手のひらに一時期流行った「KY線」がクッキリとある俺が、ちゃんと空気を読むよう意識できたり、
あまり無闇に人に踏み込まないせいか、人間関係の面倒ごとに巻き込まれることが少なかったりなど、利点も感じていたりする。

本来はネガティヴが生んだ怪物である俺も、そんな自分のそういうところも悪くないと思えるようにもなったのだ。

「歳をとると色んなことがどうでもよくなる」って誰かが言ってたけど、本当なんだなぁ。
まぁ、もっと現実的な悩みとか増えたりするものだけどね。。



そういえば人見知りが直ったって言う人がいたんだけど、
「人見知りでいても意味ないと思った」と人見知りを克服したと語っていたんだけど、
そんな頭で考えて直るようなものならとっくにやっている。
そもそもあなたは元から人見知りではなかったのでしょうよ。


あ、あと人見知りだけど子供にはしないって人も俺から言わせれば人見知りではない。

だって、子供だってちゃんと人間だぜ?
人見知るでしょうよ?


俺は甥っ子、姪っ子にも人見知りするほどの人見知りのベテランである。

仲良くなる方法はただ一つ。
向こうが成長してコミュニケーション能力が上がることだけ。

だって俺、人見知りだもん。


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